December 27 2005, No.231
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     リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World   
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ NLW ■
         *** http://scousehouse.net/ ***        


□■ INDEX ■□

 ▽フロム・エディター
 ▼「ベスト・オブ・NLW」(2005年・前期)
 ▽スカウスハウス・ニュース
 ▼今週のフォト


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▽フロム・エディター
―――――――――――――――――――――――――─ NLW □

第231号。今年最後のNLWです。
今週と来週の2週間は、年末年始の恒例企画である、「ベスト・オブ・
NLW」です。
この1年間にお届けした「リヴァプール・ニュース」の中から、前期・後
期それぞれ10本を選んでお届けします。

「あれからもう1年なのかあ」
「そういえばこんなこともあったなあ」
「あの時はひたすら悲しかったなあ」
「あの時は無茶苦茶感動したなあ」
…などなど、ニュースを選びながら、いろんな思いがよぎりました。ほ
んとうにこの1年、いろ〜んなことがありましたね。

振り返ってみれば、2005年のNLWは、ずいぶんとにぎやかでした。
毎週毎週、テンパりながらもすごく張り合いのある、充実した気持ちで
発行していたような気がします。

にぎやかにしてくれた筆頭は、そうですね、やはり特派員レポート
「ゴールドフィッシュだより」です。
「リヴァプールの生きた情報」を「オンタイムで伝える」コーナーとして、
すっかり定着しました。今やもうNLWに欠くことのできない連載です(で
も今週はお休みです。楽しみにしてくださっているみなさん、すみませ
ん!)。
ミナコさん、どうもありがとう。そしてこれからもよろしく!

それから、たくさんの素晴らしいエッセイを掲載することができました。
ハレルヤ洋子さんの「僕のリヴァ日記」と「愛の呪文」、abbeyroad さん
の「レッズCL優勝に寄せて」、earlybird さんの「遠くて近い Anfield 」、
そして、下村えりさんの「 Football の旅」と「リアルエールのすすめ」。
どれもが、今も新鮮な印象として残っています。わくわくしながら編集
作業をしたことを、昨日のことのように思い出します。
寄稿していただいたみなさん、ありがとうございました。編集者として、
ほんとうに幸運でした。

そして最後に、ご購読いただいているみなさんにも感謝します。
今年も何とか1年間、無事に発行を続けることができたのは、みなさ
んのおかげです。ありがとうございます。

あ、忘れてました!
リヴァプールという街とそこに住むスカウサーたちにも、とびっきりの
感謝の気持ちを捧げないといけませんね。
“Cheers, mates!!!”

では、では、2006年もよろしくお願いいたします。
みなさん、どうぞよいお年を!

                         ― Kaz (27/12/2005)


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▼「ベスト・オブ・NLW」(2005年・前期)
―――――――――――――――――――――――――─ NLW □

*** 1月8日(土) *******************************

【大津波からの生還】
5日夜、13時間のフライトを終えたジョン・メトカルフェが、故郷のリ
ヴァプールに到着しました。
ジョンは、インド洋大津波からの生還者です。
ウエスト・ダービー出身で24歳、ダイビング・インストラクターのジョン
は、3年前からタイのピピ島に住んでいました。そして昨年12月26
日、ダイビング中に大津波の被害に遭ったのです。
津波に流されたジョンは、鉄板で腕・左足・臀部の肉を削られ、さらに
はパーム・トゥリーに串刺しになりましたが、一命をとりとめました。し
かし、一緒に暮らしていたガールフレンドは今も行方不明のままです。

ジョンはこう話しています。
「本当に怖かった。死ぬと思った」
「何時間も続いたように思えたけど、後で聞くとほんの10分くらいの
間の出来事だったんだね」
「木に串刺しになって、まったく経験したことのないすごい痛みだった
けど、自分で引き抜くだけの力はもう残ってなかった。そんなことがで
きるとはとても思えなかった」
「でも、自分の周りの水が、どんどん自分の血で真っ赤に染まって行
くんだ。それで、何とかして脱出しないと出血多量で死ぬか、溺れ死
ぬかしかないんだと思った」
「で、覚悟を決めて、全部の力を振り絞って、そこから脱出したんだ」
「近くにあった屋根の上に乗ればだいじょうぶだと思ったけど、その屋
根が崩れてしまった。ものすごい恐怖を感じた」
「でも、周りに浮いているものを片っぱしから掴んでいたら、青い
チューブが流れて来て、それに必死にしがみついたんだ」
「そしたらそれが偶然1軒の家に流れ着いた。僕は屋根の上に這い
上がって、救助が来るまでそこにいた」
「ただただ、ラッキーだったね、僕は。死なずに済んで」

ジョンの怪我の状態は深刻で、これからマージーサイドの病院で治療
を受けます。
ジョンがまったく保険に入っていなかったために、バンコクの病院で受
けた治療を含めた莫大な医療コストは、ジョンの家族が負担すること
になります。
ジョンの父親のデイヴィッドは、すぐに車と別荘を売る手配に取り掛か
りました。

ジョンの実母で現在ウエールズに住むサンドラはこう話しています。
「ほんとにひどい怪我なのよ。私はもう家に帰って来てほしいと思って
るの」
「まあこれからしばらくゆっくり休んで、それからこれからのことを考え
てくれたらいいんだけど。できたらここに住んでほしいわね。私たちが
ちゃんと面倒みるから」
「最初はね、ダイヴァーはみんな死んだって聞かされてたの。誰も助
からなかったって。もうこの世の終わりみたいな気分だったわ」
「でも28日になって、何人かは生きてるってことがわかった。それで
ちょっと希望が持てたわけ」
「それからは大使館に訊いたりとか、あらゆる手を尽くしたんだけど、
それ以上は何にもわからなかった」
「で、やっと4日目になって、ジョンの実父のデイヴから連絡が来たの。
ジョンが生きてるってね!」


*** 1月21日(金) *******************************

【ハード・デイズ・「ファイト」】
リヴァプールの新しい「ファブ・フォー」、デイヴ、ビル、ジョージ、そして
レイの物語が、今月25日にBBC2で放送されます。
この4人は、リヴァプールの名物ツアー「マジカル・ミステリー・ツアー」
や、伝説の「キャヴァーン・クラブ」を所有するキャヴァーン・シティ・ツ
アーズ(CCT)のダイレクターたちです。
彼らは今、「世界で初めてビートルズをテーマにしたホテル」となる、そ
の名も「ハード・デイズ・ナイト・ホテル」を作り上げようとしています。

「ハード・デイズ・ナイト・ホテル」は、完成すれば、120のベッドルーム
を備えた、最先端を行くホテルになります。
各フロアーはビートルズのアルバムにちなんだデザインが施され、ハ
リウッドのアーティスト、シャノンによる壁画が各部屋の壁に描かれま
す。最上階のペントハウスは、ビートルズが最後のギグを行った「ルー
フトップ・コンサート」にちなんだ内装になります。
また、このホテルは、伝説の「キャヴァーン・クラブ」とは、地下で結ば
れることになっています。

CCTは1985年、学校教師のビル・へックルとタクシー・ドライヴァー
のデイヴ・ジョーンズによって設立されました。
ジョン・レノンの死からその時までに、何百万人ものファンがリヴァ
プールを訪れていましたが、当時のリヴァプールには受け入れ態勢と
呼べるようなものはありませんでした。

CCTを作った理由を、デイヴはこう語っています。
「ある時私の横に停まったタクシー仲間のひと言が、そもそものきっか
けになったんだよ。彼はどうやって大金をせしめたかを自慢していた。
なんでも、日本からやって来たツーリストをセフトン・パークで降ろして、
『ここがストロベリー・フィールズですよ』と言ってやったんだと。わざわ
ざ地球を半周して巡礼にやって来た人たちにそういうことをするなんて
ね。それからなんだよ、何とかしなくちゃいけないと私が考え始めたの
は。遠くからやって来るファンたちを、ちゃんと案内してあげたいと思っ
たんだ」

デイヴとビルは、貯金をはたいて1950年代のバスを買い、ビートル
ズのフィルム『マジカル・ミステリー・ツアー』と同じペイントを施しまし
た。
アップルの許可も取り付けた彼らは、そのバスで、ビートルズにゆか
りの深い場所へファンたちを案内することを始めました。彼ら自身が
ツアー・ガイドでした。
副業としてツアーを行っていた彼らでしたが、1週間の乗客が500人
を超えるようになると、元の仕事を辞めざるを得なくなりました。それ
からは、ビートルズ・ビジネスに没頭することになります。

そして1991年、デイヴとビルはキャヴァーン・クラブを買い取ります。
3人目のパートナーとしてジョージ・ギネスを迎え、さらに、キャヴァーン
のブッキング・マネージャーとしてレイ・ジョンソンが加わりました。
彼らの「マジカル・ミステリー・ツアー」はすっかりポピュラーなアトラク
ションに成長し、CCTはシティ・カウンシルと共同で大きなフェスティ
ヴァルを運営するまでになりました。毎年8月末に行われる、「イン
ターナショナル・ビートル・ウィーク」です。世界中からビートルズ・ファ
ンやトリビュート・バンドがやって来るこのフェスティヴァルの期間中は、
リヴァプールの街はカーニヴァルのような雰囲気に包まれます。

1992年になると、ビルは、キャヴァーンの隣のビルディングを「ハー
ド・デイズ・ナイト・ホテル」にしようという夢を抱くようになりました。
そして彼らは思惑通りその「グレード2」に指定されている大きくて古
いビルディングを買い取り、入居していたテナントにお金を払って出て
行ってもらいました。
しかしそこからは苦難の連続でした。1997年から2001年の間、依
頼したディヴェロッパーが、次から次へとプロジェクトから撤退したの
です。
しかしそれでも彼らはあきらめず、昨年に数百万ポンドの資金を調達
し、再びこのプロジェクトは動き出しました。

今回BBCで放送される番組は、1997年から2004年までの彼らを
追ったドキュメンタリーです。彼らの苦難や、それを見事に乗り越える
様子が描かれます。


*** 2月2日(水) *******************************

【ソー・ロング、エリック】
クオリーメンのオリジナル・メンバー、エリック・グリフィスが亡くなりまし
た。64歳でした。
結成から50年を経てついに彼らのデビュー・アルバムがリリースされ
た、その2週間後のことでした。

ノース・ウエールズのデンビ出身のエリックは、10歳の時にウールト
ン・ヴィレッジに越して来ました。そしてティーンエイジャーの頃にジョ
ン・レノンのバンドのギタリストになりました。ジョンがスキッフルに影
響されて結成したバンド、クオリーメンです。
クオリーメンの名前は、エリックやジョンが通っていたクオリーバンク・
ハイ・スクールから採られました。バンドの他のメンバー、ピート・ショッ
トンやロッド・デイヴィスも同級生でした。

エリックは、1956年から58年までクオリーメンでギターを弾きました。
ポール・マッカートニーが加わった後もバンドの一員としてステージに
立っていたエリックですが、ジョージ・ハリスンが入ってギタリストが4人
になると、バンドを離れます。

エリックはその後、商船の船員になり、結婚後は公務員として成功し
ます。そして80年代の終わりからは、エジンバラでクリーニングの
チェーン店の経営者となりました。

1997年、キャヴァーン・クラブの40周年記念パーティーで再会した
クオリーメンのオリジナル・メンバーたちは、バンドを再結成する決心
をします。
そして同じ年の7月6日、ウールトンのセイント・ピーターズ・チャーチ
で「ジョンがポールと会った日」の40周年を記念した盛大なガーデン・
パーティーが開かれ、クオリーメンは40年前と同じようにステージに
立ち、演奏しました。
それぞれの道を歩んでいた彼らですが、それからは、世界各国を演
奏して回ることも生活の一部となりました。

クオリーメンは、昨年夏にリヴァプールで行われた「ビートルズ・コン
ヴェンション」で、デビューアルバム『ソングズ・ウィー・リメンバー』のリ
リースを発表しました。そして結成から50年目の今年1月17日、つい
に発売となっています。

昨年11月、ノルウェイでのコンサートを終えた後で、エリックはすい臓
がんと診断されていました。

クオリーメンのオリジナル・ドラマー、コリン・ハントンは、バンドの再結
成はエリックのおかげであり、アルバムの録音や、ヨーロッパやアメリ
カや日本を回るコンサート・ツアーの原動力でもあったと語っています。
「1997年のセイント・ピーターズ・チャーチでの再結成のとき、エリッ
クはすごくがんばってくれた。クオリーメンの復活と成功はエリックの
おかげなんだよ」
「エリックと初めて会ったのはまだガキの頃でね。思いやりがあってす
ごくいいやつだった。40年経ってもずっとあいつはそのまんまだった
よ。俺たちはすごくうまくやってた」
「エリックのいないクオリーメンはものすごく寂しくなるだろうな。それは
間違いない」

現在のクオリーメンの中心メンバー、ロッド・デイヴィスもエリックの死
を惜しんでいます。
「私はエリックを11歳の時から知っているけど、すごく恩義を感じてる。
私をバンドに誘ってくれたのがエリックだったからね。彼はとにかく完
璧主義者だったよ。音楽の知識は相当なものだったし、グレイトな
ユーモアのセンスの持ち主だった」
「クリスマスは奥さんのレルダや3人の子供たちと一緒に過ごすことが
できたから、それを利用してエリックは家族の負担を出来るだけ軽くし
ようとしたんだ。死を恐れずに平然としているところを見せることでね。
とても心配だったんだよ、家族のことが」

エリックの三男で31歳のダニーは、こう話しています。
「父を失って、家族全員が悲嘆に暮れています。でも、父が人生をフ
ルに楽しんだことは、私たちにとっての大きな慰めです」
「父はクオリーメンとしてもう一度一緒になってやれることを、そして世
界中を演奏して回ることを、最上の喜びとしていました」

クオリーメン復活のきっかけとなった、キャヴァーン・クラブ40周年記
念パーティー。
招待を断ろうとしていたエリックを説得して出席させたのは、彼の3人
の息子たちだったそうです。


*** 2月3日(木) *******************************

【親友との対決】
2月1日、リヴァプールはチャールトンでのリーグ戦を戦いました。
この試合の前、元リヴァプールのミッドフィルダーで現在チャールトン
で活躍するダニー・マーフィーが、親友スティーヴン・ジェラードとの対
決への特別な思いについて語っています。

チャールトンが今季リーグ戦でリヴァプールと対戦するのは2度目で
すが、アンフィールドで行われたシーズン序盤の対戦では、マーフィー
は出場したものの、怪我をしていたジェラードは欠場していました。

「シーズンが始まってから、これをずうっと楽しみにしていたんだよ」と
マーフィー。
「スティーヴィーとは何年も前から話してたんだけどね。敵同士で対戦
したらすごく変な感じがするだろうねって」
「ひとりの選手としては、最高の相手と対戦することで自分の実力を
試してみたいって気持ちはあるね。僕の知る限りでは、スティーヴィー
以上のミッドフィルダーはこの世界にはいないから」
「いや、自分の友だちだから言うわけじゃなくて、ほんとにそう思ってる
んだ。攻撃力や守備力、それから運動神経やミッドフィールドからの
得点能力。誰も彼には敵わないと思うよ」

「彼は以前よりもフォーワード的な役割を任されてるんだよね。今夜の
彼がどのポジションに入るかはわからないけど、ディディ・ハマンが出
場停止だから、真ん中に下がって僕と相対することになってほしいね。
たぶん僕らは、最初ちらっとだけ目を合わせる。それから思う存分や
り合うんだ」
「もちろん僕は、スティーヴィーを相手にフィフティ・フィフティでボールを
奪えるとは思ってないよ。そりゃあ無理な話だ」
「友だちと対戦するってのは不思議な気分だね。お互いをリスペクトは
するけれども、それを自分のパフォーマンスに引きずらないようにしな
いといけない」
「もちろんこれはスティーヴィーに限ったことじゃなくてね。キャラ(ジェ
イミー・キャラガー)、ジンジャー(ヨン・アルネ・リーセ)、それにサミ・
ヒーピアに対しても同じだよ。よくしゃべった仲だからね。今シーズン
はスティーヴィーとキャラがチームで際立ったプレイを見せているそう
だけど、それは僕にとってもすごく嬉しいことだね」

昨年7月にロンドンのクラブ、チャールトンに移籍したマーフィーは、ス
タートはスロウだったものの、ここに来て調子を上げています。
チームも、この試合前の時点で37ポイントでリヴァプールと並び、来
季のチャンピオンズ・リーグ出場圏内であるリーグ4位を目指していま
す。

「リヴァプールでは、ひとつ負けるだけで緊急事態で、ひとつ勝つたび
に危機脱出って感じだった」
「ここではそんなことはないよ。うちのチームはそんなに注目されてな
いから、僕らは自分の仕事に集中できる。ロンドンのプレスの興味は、
うちよりもチェルシーとアーセナルだからね。僕らはいい結果を目指し
てただこつこつ取り組めばいいってわけ」
「今はチームの調子がいいから、今夜もいい結果が出せると思う。こ
こザ・ヴァレーで我々に勝ったのはアーセナルとチェルシーだけだ。
ホームでのうちはちょっと手強いよ」
「個人的には、今はすごく落ち着いて来てるね。引越しも済んだし、試
合での調子もすごくいい」
「もうちょっと点を取れてたらもっと良かったんだけど。まあ、今夜勝っ
て3ポイント取ることができたらすごくいい気分だろうね」

試合の結果はどうあれ、マーフィーは終了後のチャンスを逃さない決
心です。
「スティーヴィーとね、シャツを交換することにしてるんだよ」
「背中に『ジェラード』ってネームが入ったリヴァプールのジャージーは
みんなが欲しいだろうけどね。でもさ、ちょっと心配なんだけど、僕の
名前が入ったチャールトンのジャージーを欲しがるリヴァプールの選
手って何人くらいいるんだろうね!」


*** 2月17日(木) *******************************

【親子で100歳】
ハイトンに住むエセル・ロスウェルさんは、今週火曜日(16日)に100
回目の誕生日を迎えました。
ドイツ軍の空襲にも、癌にも負けなかったエセルさんですが、驚くべき
ことに彼女のお母さんも、1976年に100歳のお祝いをしたのだそう
です。

40年以上前に夫を亡くしたエセルさんですが、彼女には2人の子供と
4人の孫、そして1人のひ孫がいます。
100歳のお祝いには、オーストラリアに住む孫のヘレンも、飛行機に
乗って駆けつけました。

エセルさんはウェヴァトリーのシシリー・ロードに生まれ、13歳でクロ
フォード・ビスケット工場に勤めました。
そして29歳の時にヘンリー・ジェイムズ・ロスウェルと結婚し、世界大
戦の時はシュロップシャーに引越して2人の子供を育てました。
48歳で乳癌と診断されたエセルさんは、両方の乳房を切除する手術
を受けました。

長生きの秘訣を尋ねられて、エセルさんはこう答えています。
「ただ生きて来ただけ。それだけなんですよ。わたしの母親は100ま
で生きたけど、わたしには絶対に無理だと思ってましたよ。だから自分
でも驚きなんですよねえ、ほんとうに」
「自分の健康には気をつけてきたつもりですよ。今もそうですけれど
ね。目や耳はちょっとばかし遠くに行ってますけどね、でもそれ以外は
健康なんですよ」

エセルさんの娘で65歳のポーリーンは、母親ついてこう語っています。
「去年までガーデニングしてたんですよ。精神的にもすごくいい状態で
す。毎朝クロスワード・パズルをやってるし、読書もしてます。今は『ダ・
ヴィンチ・コード』を読んでますね」


*** 3月15日(火) *******************************

【ベニテス感激】
先週木曜日(10日)、リヴァプールはレヴァークーゼンを相手に、敵
地でチャンピオンズ・リーグの決勝トーナメント1回戦セカンドレグを戦
い、準々決勝進出を決めました。
その試合の24時間前に、ケルンでちょっとしたハプニングが起きてい
ました。
リヴァプールのラファエル・ベニテス監督が、ライヴァルチームのチェ
ルシーの試合を観るためにアイリッシュ・バーに入ったところ、そこで
は、リヴァプールから遠征して来た大勢のスカウサーたちが彼を待っ
ていたのです。
ベニテスの訪問はサポーター・グループの招待に応えたものでした
が、群集に歓迎されるとは、彼自身夢にも思っていなかったということ
です。

ベニテスはこう話しています。
「チェルシーのゲームの後半を観ようと思って出て行ったんだよ。でも
結局、うちのサポーターたちを見るだけになってしまった」
「アメイジングなアトモスフィアだったよ、感動的だった。いつもはスタン
ドにいる彼らを、どアップで見ることができたんだ。ファンタスティック
だったね」
「わざわざドイツまで、あんなにたくさんのリヴァプールのファンが来て
るなんてね、まったく予想外だった。少人数ならいいかなと思って出か
けて行ったんだけど」
「みんなに気づかれないようにと思って、こっそり入って行ったんだよ。
気づいた最初のファンに『シ〜ッ、静かに』って言ったんだが、次の瞬
間、店じゅうが大爆発さ」

「50分くらいあの店にいたんだが、試合観戦なんてまったく不可能
だった。ファンたちみんなが私のところにやって来たよ。私のチャント
を歌ったり、握手したり、一緒にケータイ写真を撮ったりって感じでね」
「一応は言ったんだよ彼らに。私のことは気にしなくていいから試合を
観てくれよって。でもまったく無駄だったね」
「私がいる間は、ずっと歌が続いていた。素晴らしかったね。このクラ
ブのファンはスペインのファンとはとにかく全然違うんだ」
「ヴァレンシア時代はね、3年目になってやっと、ファンたちが私の歌を
歌ってくれるようになった。でもここでは、私が到着した時にはもう私
の歌が出来てて、歌ってくれていた。それからもずっとね。あのパブ
で、彼らとあんなに身近に接することができたのは、実にファンタス
ティックな体験だったよ」


*** 4月5日(火) *******************************

【ようこそユヴェントス】
5日にアンフィールドで行われるチャンピオンズ・リーグの準々決勝・
ファーストレグで、リヴァプールはイタリアの名門・ユヴェントスと対戦
します。
この2チームが対戦するのは、39名のユヴェントス・サポーターが命
を落とした「ヘイゼルの悲劇」以来、20年ぶりのことです。
リヴァプールでは、20年前の犠牲者を追悼する数々のセレモニーや
イヴェントが企画されると同時に、トリノからやって来るユヴェントス・
チームやサポーターたちを歓迎するムードが高まっています。

試合前日の4日、ユヴェントスの選手たちがリヴァプール・ジョン・レノ
ン空港に到着しました。
ネドヴェドやデル・ピエーロ、トレゼゲをはじめとするスター・プレイヤー
たちは、大勢のファンやリヴァプール市民たちによる歓迎を受けまし
た。

12歳の娘を連れてやって来た、ストックブリッジ・ヴィレッジに住むア
ラン・ボール(31歳)は、こう話しています。
「僕は人生の大部分をリヴァプールのサポーターとして生きてきたん
だ。この試合はすごく感動的なものになるだろうね」
「確かにずっと前に起きたことだけど、みんなあのヘイゼルのことは
忘れてないよ。明日は平穏な試合になってほしい」

試合当日の5日には、およそ3000人のユヴェントス・サポーターがト
リノから飛んで来ることになっています。
ジョン・レノン空港では、リヴァプール市長や市会議員による歓迎レセ
プションが計画され、インフォメーション・デスクにイタリア語を話すス
タッフが待機します。
また、シティ・センターのツーリスト・インフォメーション・センターでは、
ユヴェントスのメモラビリアが飾られます。

市会議員のフランク・ロデリックはこう話しています。
「感動的な試合になるでしょう。ユヴェントスのファンのみなさんには、
リヴァプールに降りた瞬間から最高に温かい歓迎を受けていただきま
すよ」


*** 4月26日(火) *******************************

【ベニテス語る】
24日、リヴァプールのラファエル・ベニテス監督が、LFCオフィシャル・
サイトでファンへの思いを語っています。

「ここに来てまだ少ししか経っていないけど、もう私はリヴァプールの
人々に愛着を感じている」
「『ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン』にやられてしまったね。ピッチ
に出てKOP席を見ると、サポーターたちみんながスカーフや旗を掲げ
て歌っている。あれには本当に感動させられる。私の心をかき乱すん
だ」
「歌詞はすぐに覚えたよ。彼らのメッセージをちゃんと受け取るように
ね」

ベニテスはさらに、メルウッド(練習場)からの帰り道での、ファンとの
遭遇のエピソードを披露しています。

「妻を乗せて運転していたんだが、リヴァプールのスカーフを持った少
年2人が私に気がついてね、私の車めがけて走って来たんだ。私が車
を停めると、彼らはスカーフを振って踊りだした。ラーファーベニテス、
ラーファーベニテスって歌いながらね。信じられなかったよ。で、私は
彼らにサインしてあげて車をスタートさせたんだが、うしろでずっとやっ
てるんだよ、ラーファ、ラーファって。車がばんばん走ってる道路の真
ん中でね!」
「こんなこともあったな。ここメルウッドを出た時、私が最後の1人で、
夜の7時だった。寒空の中、1人の男がぶるぶる震えながら私を待っ
ていた。私のサインがほしかったんだな。彼はただ『サンキュー』と言っ
ただけだったんだが、後で門番に訊くと、なんと朝の9時からずっと私
を待っていたってことだった」

「リヴァプールのファンは本当に特別だね。KOPから送られてくるアトモ
スフィアはファンタスティックだ。結果はどうあれ、一生懸命走ってハー
ドにプレイすれば、彼らはちゃんと分かってくれる。イゴール・ビスチャ
ンがいい例だ。彼の努力はサポーターにしっかり認められているから
ね」
「プレイヤーにとってはありがたいことだと思う。ああいうサポーターに
褒められれば、『ようしまたがんばろう』って気になるものだからね。そ
してその情熱を持ってプレイし続ければ、我々はファンのサポートに報
いることができる」

昨シーズンまで指揮を執ったヴァレンシアでは、受け入れられるまでに
時間がかかったとベニテスは言います。

「最初はかなり不満を持たれていたみたいだったよ。私の前のクラブ
が2部のテネリフェで、彼らはヴァレンシアだからなんだろうね。開幕
から13試合連続無敗という、ヴァレンシアのヒストリーで最高の記録を
作っても、まだ彼らは文句を言っていたよ」
「それで、14試合目に初めて黒星がつくと、『最低だ。監督を代え
ろ!』だ。でもシーズンの終わり、我々がリーグで優勝するとやっと、
『ワオ、ファンタスティック。あんたは最高の監督だ』となったけどね」
「ヴァレンシアでは受け入れてもらえるまでに時間がかかったわけだけ
ど、でも最後には私の名前をチャントしてくれていたし、よく話しかけら
れたりもしたよ。妻や子供を連れてパブやレストランに行っても、とても
ゆっくりはできなかった」
「幸運にも、家の近所に馴染みのバーが出来て、そこのオーナーは親
切にも私のために席を空けておいてくれたり、場合によっては店をク
ローズにしてくれたりしたんだ。外出する時はよく変装したな。サングラ
スとかかけてね! そう、リヴァプールではもうすっかりそういう感じに
なってるよ!」

今シーズンの結果がどうであれ、来シーズンのリヴァプールはもっと良
くなるとベニテスは確信しています。

「来シーズンについてはかなり自信があるよ。なぜって? それは私が
プレミアシップのことを理解できたからだ。私が、イングランド人の言
葉やメンタリティをより理解できたからだ。今年は何もかもが初めての
体験だったからね」
「私はミスを犯した。だが誰だってミスを犯すものだ。自分自身にジャッ
ジを下すのは、シーズンが終わってからにしようと思っている」


*** 5月27日(金) *******************************

【UEFAチャンピオンズリーグ・ファイナル】
リヴァプールFC、チャンピオンズリーグ優勝です!
25日、イスタンブールのアタチュルク・スタジアムで行われた「ヨーロッ
パ・チャンピオンズ・リーグ」の決勝で、リヴァプールはACミランに勝ち、
21年ぶり5度目のヨーロッパ・チャンピオンに輝きました!

試合は圧倒的なミラン・ペースで始まりました。
開始後1分も経たないうちに、FKからパオロ・マルディー二に先制点を
許します。その後もミランに中盤を支配され、何度もディフェンス・ライ
ンを破られるリヴァプール。23分にはハリー・キューウェルが負傷退
場。そして、39分と44分にエルナン・クレスポに決められます。前半
で早くも3−0のビハインド。

しかし後半のレッズは、見違えるような戦いをします。負傷したス
ティーヴ・フィナンに代えてディトマール・ハマンを中盤の底に起用し、4
バックから3バックにシステムを変更したことで、前半にはまったくな
かった安定感が攻守に生まれました。そして54分、左サイドのヨン・
アルネ・リーセからのクロスを、キャプテンのスティーヴン・ジェラードが
強烈なヘッドでゴール右隅に叩き込みました。3−1。大きなジェス
チャーでチームを、スタンドを鼓舞するキャプテンの姿に、スタジアム
のボルテージが一気に上がります。
勢いに乗ったレッズは、さらに怒涛の攻勢に出ます。2分後の56分に
ウラジミール・スミチェルが豪快なミドルシュートをゴール左下に突き
刺し、さらに60分、ペナルティ・エリアにドリブルで突進したジェラード
が倒され、PKを得ます。PKを蹴ったのはシャビ・アロンソ。一旦はGK
ジダに弾かれたものの、跳ね返って来たボールを自分で押し込み、つ
いに3−3の同点とします。この間、わずか6分。
その後はお互いに何度も決定機を作るものの、体を張ったディフェン
スと、GKのファインセーヴにより追加点は生まれず、90分が終了しま
す。

続いて行われた15分ハーフの延長戦も、気力、体力をふりしぼった
攻防でお互いにゴールを許さず、ついにPK戦での決着となりました。

ミランは、GKイェルジー・デュデクの大きな動きに幻惑されて、最初の
2人が失敗。しかしリヴァプールも3人目が止められてしまいます。こ
れで2−3としたミランでしたが、5人目のキッカー、アンドレイ・シェフ
チェンコのキックがデュデクに止められて、レッズの優勝が決まりまし
た。
3点差をはね返しての大逆転優勝は、大会史上初の快挙でした。

ラファエル・ベニテス監督は試合後、こう話しています。
「ファンタスティック。3−0とリードされ、負傷での選手交代を強いら
れ、終盤にも怪我人を出しての戦いだったのに。実にファンタスティッ
クだよ」
「間違いなく、今日は私のフットボール人生で最大の夜になった。ハー
フタイムでは、何らかの手を打つ必要があった。それでいくつか変える
決心をした。早い時間に1点が取れたことが大きかった。キャプテン
の得点はチーム全員を盛り上げる。それと、ウチのワンダフルなサ
ポーターたちの後押しのおかげで、チームが立ち直れたんだと思う。
彼らの目の前で、4点も5点を取られてぶざまに負けたりなんかした
ら、それこそ地元に帰れなくなってしまうしね」
「俺たちはやれるんだという気持ちを持ち、それを信じることができれ
ば、どんなことだって可能なんだ。そしてあの延長戦。私はウチの選手
たちを心から誇りに思う」

獅子奮迅の活躍を見せたディフェンダーのジェイミー・キャラガーは、
歓喜の中で「ビッグ・イアー(優勝カップ)」を持ち上げた後で、こう話し
ています。
「歴史に残るんじゃないかな。これから20年も30年も語り継がれるよ
うな」
「実際、こんなゲームって見たことないよ、僕はね。ハーフタイムで僕
は、俺たちは攻めなきゃいかんぞって言ったんだ。4,5点取られて
こっちはゼロ、なんてのはまっぴらだぞってね。そしたら最初の1点が
入ったんだ」
「あの終了間際の、シェフチェンコを止めたイェルジー・デュデクの
セーヴ、アンビリーヴァブルだったね。もとも、俺たちが優勝したってこ
ともまだ信じられないけど」
「ほんとアンビリーヴァブルだ。過去の栄光のストーリーについちゃい
ろいろ読んだりしたけど、今回は僕らのなんだよね」
「この試合は、最高の決勝戦のひとつになるんだろうね。でもまだ実
感はないよ。まだ信じられない気持ちなんだから」

おめでとうレッズ! おめでとうリヴァプール!!


*** 6月1日(水) *******************************

【ストロベリー・フィールドのクローズ】
5月31日、ザ・ビートルズの名曲で有名になったウールトンの孤児院
「ストロベリー・フィールド」が、クローズしました。
施設で働くスタッフたちはこの日、最後の荷物を運び出しました。

アシスタント・マネージャーのクレア・スマートは、スタッフたちはこれか
ら、子供たちやなじみの同僚に会えなくて寂しくなるだろうと語りました。
「今日はみんな沈んでたわ。終わってしまうのは悲しいわよね」
「荷物を片付けに来たのよ。書類とかね。それと、みんなで集まる最後
のチャンスでもあったのよ」
「ここの全員が、子供たちのためにベストを尽くしてた。みんな110%
仕事に捧げてたの。ブリリアントなチームワークがここにはあったわ。
これからはほんと寂しく思うでしょうね。この施設のことや、週末に手
伝いに来てくれてた子たちと一緒に働いたりなんかしたことが」

孤児院を運営する救世軍のノース・ウエスト地域のリーダー、マリオ
ン・ドリュー少佐は、こう話しています。
「『ストロベリー・フィールド』でのチャイルドケアは、これで終わりになり
ます。ただし8月までは、何人かのスタッフが残って管理義務を果たす
ことになりますが」
「今のところ、これからこの場所をどうするのかは、何も決まっていま
せん。決定までにはおそらく、長い時間がかかると思いますよ」


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▽スカウスハウス・ニュース
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*** 年末年始のお休みのお知らせ ******

スカウス・ハウスは、12月28日から1月5日まで、お休みとさせていた
だきます。どうぞご了承ください。
2006年もどうぞよろしくお願いいたします。


*** 通販のお知らせ ******

年明けの1月6日か7日に、LFCグッズの通販ページをアップいたしま
す。2006年カレンダーやLFCマガジン、KOP新聞などを用意していま
す。どうぞお楽しみに!


*** フットボール・チケット手配 ******

「スカウス・ハウス」では、リヴァプールFCおよびエヴァトンFCの、ホー
ムゲーム観戦チケットの手配を承っています。詳細は、ウェブサイトの
「スタジアムへ行こう!」ページをご覧ください。
http://scousehouse.net/football/stadium.htm


*** 語学留学生募集中 ******

「スカウス・ハウス」では、リヴァプールへの語学留学をサポートしてい
ます。
最短で1週間の短期留学から長期留学、夏期休暇コース、さらには最
近人気のホームステイ留学など、幅広く対応しています。
詳細については、ウェブサイトの「語学留学案内」ページをご覧くださ
い。
http://scousehouse.net/study/index.htm


*** ビートルズ・ガイドツアー ******

「スカウス・ハウス」では、リヴァプール&ロンドンのビートルズゆかりの
地を訪ねるガイドツアーをアレンジします。
ガイドはもちろん現地在住の日本人。レギュラー・ツアーのほか、
ちょっとマニアックなツアーも用意しています。また、ご希望により、プ
ライヴェート・ツアーのアレンジも承ります。
ツアーの詳細は、ウェブサイトの「ガイドツアー」ページをご覧ください。
http://scousehouse.net/beatles/info.htm


*** 原稿募集中 ******

「リヴァプール・ニュース」では、読者のみなさんからの投稿を募集して
います。
旅行記、レポート、研究、エッセイ、写真などなど、リヴァプール、ある
いは英国に関するものなら何でも歓迎です。
お気軽にお寄せください。楽しい作品をお待ちしています。


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▼今週のフォト
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*** 今週のフォト・アルバム ******

「ベスト・オブ・NLW(2005年・前期)」にちなんだ写真を、「NLW フォト・
アルバム」ページにいくつか掲載しています。どうぞご覧ください。
http://scousehouse.net/magazine/nlw_photo231.htm 


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□■ 第231号 ■□

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