January 9 2007, No.280
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     リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World   
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ NLW ■
         *** http://scousehouse.net/ ***        


□■ INDEX ■□

 ▽フロム・エディター
 ▼「ベスト・オブ・NLW」(2006年)
 ▽今週のフォト


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▽フロム・エディター
―――――――――――――――――――――――――─ NLW □

新年あけましておめでとうございます。

2007年のスタートは、恒例の新春特別企画「ベスト・オブ・NLW」です。
昨年1年間の「リヴァプール・ニュース」の中から、個人的に印象に
残っている10本を選んでお届けします。

つい先ほど、2006年の最初のニュースからざざーっと見て行って、ぱ
ぱーっと選んだのですが、結果的にほとんどがフットボールものとビー
トルズものになってしまいました。
なんと10本のうち7本です。
日ごろ、「リヴァプールはフットボールとビートルズだけじゃないです
よぉ〜」と、ことある毎にエラそうに主張している身としては、困ってし
まってわんわんわわんなのですが、どれも充実したニュースばかりな
ので、差し替えせずにそのまま掲載することにしました。

来週号からは通常のNLWです。
ミナコさんの特派員レポートや、マイキーさんのドイツW杯レポートをお
届けできると思います。
どうぞお楽しみに!

                          ― Kaz (09/01/2007)


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▼「ベスト・オブ・NLW」(2006年)
―――――――――――――――――――――――――─ NLW □

*** 1月28日(土) *******************************

【ゴッド・イズ・バック!】
1月27日、ロビー・ファウラーのリヴァプール復帰が電撃的に発表さ
れました。
マンチェスター・シティからのフリー・トランスファーで、契約は今季終了
まで。来季へのオプションもついています。
ロビーは現在30歳。1993年のデビュー以来、330試合で171の
ゴールを挙げたリヴァプールでは、サポーターからは “God” の愛称
で呼ばれる圧倒的な人気プレイヤーでした。しかし2001年11月に
電撃的にリーズへ放出され、翌シーズンからはマンチェスター・シティ
でプレイしていました。

4年ぶりの復帰を果たしたロビーのファースト・インタヴューが、LFCオ
フィシャル・サイトに掲載されました。

― おかえり、ロビー。

「サンキュー」

― 今の気持ちを一言で表現できる?

「う〜ん…正直に答えるとノーかな。だってまだ実感がね。でもこのア
ンフィールドに戻って来れたのはグレイトな気分だったよ。オフィスに
入ってペンを持って紙にサインしてって…そうなったらいいなって僕が
ずっと思ってたことが現実になるなんてね」

― 再びここのドアを通り抜けて階段を上がって…戻って来れて最高
  の気分?

「まったくそう。すっごくハッピーだよ、コワイくらいに! ゾクゾクしてる
し…それしか言いようがないね」

― リーズへの移籍が決まって行ってしまう時の、車の中で君がものす
  ごく悲しそうな顔をしてる写真を思い出すけれども、あの時またリ
  ヴァプールでプレイするチャンスがあるって思ってた?

「たぶんノーかな、正直に言って。でもここを出てからすごく落ち込んだ
し、いつも戻りたいと思ってた。ちょっと長いことかかったけど、『ただ
いま』って言えるのがほんと嬉しい」

― 君は本の中で、アンフィールドでやり残した仕事があるから復帰し
  たいって書いてたよね。君はファンにさよならを言う機会もないまま
  行かなければならなかったけれども、今は帰って来てファンにハ
  ローって言おうとしている…。

「そうそう、あれはいちばんの後悔かもね、僕のフットボール人生で。
事実を言っておくと、移籍が決まったのはサンダーランドとの試合中
だったんだ。ハーフタイムに荷物をまとめてね。だからきちんとさよな
らを言うチャンスなんてまったくなかった。赤いユニフォームでアン
フィールドに戻って来るのはいい気分だろうね。あのトンネルをくぐっ
て出て行って…アメイジングだろうな」

― そろそろ電話のベルは鳴り止んだかな?

「いや、ずっとスイッチ切ってるよ! たぶん100個くらいメッセージが
入ってるんじゃないかな、少なくてもね!」

― マンチェスター・シティやリーズでも楽しんでプレイしてたと思うけど、
  リヴァプールへの愛情は失ってなかったんだよね?

「最愛のクラブだからね、ずっと。小さい頃応援してたのはもういっこ
の方だけど、11歳でリヴァプールに入ってからは、このクラブに係
わってるみんなとずっと一緒にやって来たんだから。また赤いユニ
フォームを着れるなんてアメイジングな気持ちだよ。こんなチャンスを
もらえるなんてホントに嬉しい」

― この移籍は、いきなり話が持ち上がってあっという間に決まったみ
  たいな感じだったね。スチュアート・ピアース(マンチェスター・シティ
  監督)がすごく協力的だったってことなのかな?

「その通り。すごく、すごくいい人でね。リヴァプールが僕にちょっと興
味を示してくれてるって聞いて、ぜひとも実現させたいって思った。ス
チュアート・ピアースはすごくよくしてくれたよ。僕の気持ちをよく理解し
てくれて、リヴァプールへ戻れる手助けをしてくれたんだ」

― リック・パリーとラファエル・ベニテスが君を呼び戻そうと尽力したわ
  けだけど、どうかな、ラファ・ベニテスの新生リヴァプールでプレイ
  するのは。楽しみなんじゃない?

「そうだね、今まで彼の元でプレイしたことはないけど、この1年の成
績はファンタスティックだよね。直接はまだ何も聞いてないけど、選手
やサポーターも含めて、クラブの関係者からはいいことばかり聞いて
るよ。ワクワクするな」

― ラファは、君の持ってるクラブへの愛情とかリヴァプールへのパッ
  ションが、今の他のプレイヤーたちの士気を高めてくれるだろうっ
  て言ってたよね。自分ではそうなると思う?

「うーん、そうなるといいけどね。さっきも言ったように、ここは僕の最
愛のクラブで、だからどんな形でも役に立ったり、他のプレイヤーにい
い影響を与えられるなら、そりゃあグレイトだと思う」

― いちばん早くて水曜日のバーミンガム戦でデビュー、もしくはベンチ
  入りの可能性があるわけだけども、自分ではどう思う?

「いやあ、先のことはわからないよ。僕が決めることじゃないしね。でも
そうなったらいいね」

― KOPの前で、再びリヴァプールのプレイヤーとして走って出て行く
  のって、どんな気持ちになるだろうね?
「いやほんと、考えただけでビリビリくるなあ。正直言って、今でもまだ
ちょっと信じられないって感じもあるんだから。ほんと夢みたいだ」


*** 2月18日(土) *******************************

【44年前のビートルズ】
初期ビートルズの演奏シーンを収めた8mmフィルムが発見されまし
た。
ハンブルグから帰国し、黒の革ジャン姿で演奏するビートルズ。小さな
ステージの周りには、すでに金切り声を上げる少女たちの姿も映って
います。
このフィルムはある男性のお父さんの持ち物の中から発見され、男性
はビートルズのオリジナル・ドラマーのピート・ベストに購入を持ちかけ
ました。
ピートのプロダクション・カンパニー「ベスト・ウィッシズ・プロダクション」
はそのフィルムを購入し、早速このビートルズのギグの時期や場所の
特定に取り掛かりました。

ベスト・ウィッシズのダイレクター、アラン・ハンフリーズは、こう話してい
ます。
「証拠になりそうなものを調べあげて、なんとかして特定しようとしたん
だよ」
「まずピートはまだバンドにいる。マッカートニーはヘフナーのベース
で、それからジョージはカントリーマンのギター。あの頃彼が『エコー』
の広告を見て買ったものだ。で、これは1962年だろうと」
「さらに、彼らの後ろのカーテンには、ヴァレンタインのハートマークが
飾られている。ということは、その年のヴァレンタインの日か、もしくは
12日だろうと。ヴァレンタインの前の土曜日だからね」
「だがこの会場を特定できる人間は誰もいなかったんだ。不思議なこ
とにね。アラン・ウィリアムズやザ・マージービーツにも見てもらったけ
れども、わからなかった」
「最初はこれはサウスポートにあるフローラル・ホールだろうと見当を
つけたんだが、ピートと一緒に実際に行ってみて、違うってことがわ
かった。あそこよりステージはずっと小さい」
「ピートの手帳では、それにいちばん近い日付のところが、トランミアの
ノース・ロードのセント・ポールズ・プレズビテリアン・チャーチでのギグ
となっていたんだ。今はもう存在しないところだ。で、我々は、このフィ
ルムが撮影された会場はたぶんここに間違いないだろうと結論づけた
というわけなんだ」

この時期のビートルズには、すでにブライアン・エプスタインがマネー
ジャーとしてついていました。しかしステージでの姿から、ブライアンが
彼らの前髪を下ろし、革ジャンを脱がせてスーツを着せるようになる以
前の時期だということになります。
ハンフリーズ氏は続けます。
「動くビートルズを映した最初期のフィルムだろうね。これまで知られて
いるものより、8ヶ月か9ヶ月古いはずだ。カラーとしては唯一のフィル
ムだよ」
「グラナダTVがキャヴァーンで撮った有名なのがあるけど、あれはこ
の次に古いことになるね。それに白黒だし」

このフィルムには早速テレビ局からアプローチがあり、ドキュメンタリー
番組に使用する話し合いが持たれているそうです。

このニュースは、フィルムに収められたビートルズのギグからちょうど
44年目となる、今年2月14日のヴァレンタイン・デイに地元紙『リヴァ
プール・デイリー・ポスト』に掲載されました。


*** 3月3日(金) *******************************

【イエロー・サブマリンになった迷子のクジラ】
今年1月、テムズ河にクジラが迷い込んで大騒ぎになりましたが、50
年前のマージー河にもクジラが迷い込んだことがあるそうです。
そしてそのクジラが、ビートルズのヒット曲&映画「イエロー・サブマリ
ン」のインスピレーションになったのではないか、という話です。

新証言を発表したのは、ウールトン出身で現在はデンマークに住む農
業ジャーナリストのデイヴィッド・アシュトンです。
デイヴィッドは、幼少時にジョンと仲良しでした。マージー河にクジラが
迷い込んだ時も、へイル灯台の近くまで、ジョンとこっそり見に行きまし
た。デイヴィッドはその時のことを、はっきり憶えています。
その時にジョンと描いたクジラの絵を最近発見したデイヴィッドは、
ビートルズの「イエロー・サブマリン」のヒントはここにあったに違いない
と言っています。

デイヴィッドの話です。
「あのクジラとイエロー・サブマリンには何がしかの関係があるとずっと
考えていたんだよ。で、あの絵を見て、やっぱり間違いないと確信した。
見ればわかってもらえると思うよ」
「ジョンと私は、よくへイル灯台で遊んだもんだ。クジラが迷い込んだ時
も一緒に見に行ったんだよ」
「もう腐りかけていてね、黄色くなっていた。カラスやカモメに食べられ
ていた」
「それで、2人でそれを絵に描いたんだ。母にもらった僕のスケッチ
ブックにね。2人でっていっても、実際にはジョンがほとんどを描いたん
だけど」
「母はそのスケッチブックをずっと保管してくれていて、10年くらい前に
僕に戻してくれたんだよ。その時は中を見てなかったんだけど、最近
整理した時に出てきて、その絵を見つけてもうびっくり。信じられなかっ
たよ」

件のクジラは、1953年の9月にマージー河岸に打ち上げられました。
港湾当局は、そのクジラを救出することが出来ず、窒息で苦しむ様子
を見かねて、仕方なく銃殺しました。体長は21フィート(約6.4メート
ル)で、体重は4トンだったそうです。

デイヴィッドは今、自分の家族のために、この絵にまつわる話を執筆し
ているところです。もちろん、この絵を手放すつもりはまったくありませ
ん。
「この絵はジョンのものだと思ってるよ。私のじゃなくて。売ることはまっ
たく考えてないさ。たぶんものすごい値がつくだろうけどね」
「ジョンと僕は親友だったからね。7歳ぐらいの時からの友達だ。いつ
も一緒だったんだよ。ユース・クラブとかボーイスカウトとか教会のコー
ラスとかね。あの絵は僕が12で彼が13の時のものだよ」
「みんな忘れがちだけど、あんなに有名になる前のジョンは、どこにで
もいるノーマルな人間だったんだよ」


*** 5月15日(月) *******************************

【優勝!】
13日、カーディフのミレニアム・スタジアムで、リヴァプール対ウエスト・
ハムのFAカップ決勝戦が行われました。
ジェイミー・キャラガーのオウン・ゴールに続いてディーン・アシュトンに
もゴールを許して2点を先制されたリヴァプールでしたが、32分にジブ
リル・シセがゴールを決め、前半を1−2で折り返します。
後半に入り、54分にキャプテンのスティーヴン・ジェラードが見事な
ゴールを決めて2−2。しかしウエスト・ハムはその10分後にポール・
コンチェスキーのゴールで再びリードします。
そしてロスタイムに入った90分、ジェラードが起死回生の同点弾を
ゴールに突き刺し、3−3。試合は延長戦へ。
延長でも決着がつかずにもつれ込んだPK戦では、リヴァプールの
ゴールキーパー、ぺぺ・レイナがスーパーセーヴを連発。3−1でリ
ヴァプールの優勝が決まりました。

試合後のラファエル・ベニテス監督の話です。
「まずシーズン62ゲームを闘いきった選手たちを称えたい。足を痙攣
させていた選手も多かったが、最後まで決して諦めずに戦い、ファンタ
スティックなジョブをやり遂げてくれたね。スティーヴン・ジェラードが2
つのファンタスティックなゴールを決めた。彼の実力は誰もが認めると
ころだし私もすごいと思っている。しかし私はチームの勝利だと言いた
い。彼を含めて、選手たちみんなが見せてくれたエナジーのレヴェル
はアメイジングだった。スティーヴンもそう言うはずだよ」
「本当にファンタスティックなファイナルだった。うちのサポーターたちも
いつものようにファンタスティックに我々を後押ししてくれた。ミスが出
たのはちょっと残念だったが、自分たちの手で流れを変えた。ハーフ
タイム前にシセが重要なゴールを決めてくれたのでハマンを入れた。
彼がボールをキープし、攻撃の起点になってくれた」

フル出場したヨン・アルネ・リーセはこう話しています。
「自分たちが負けるなんてまったく考えなかった。残り5分になっても、
ロスタイムに入ってもね。世界一のプレイヤーがチームにいるんだよ。
何だって可能だって思ってる。僕が誰か何とかしてくれって祈ったちょ
うどその時、スティーヴィーの最終兵器が飛び出したんだ。ボールが
ネットに突き刺さった時、彼に『ビッグ・キッス』をプレゼントするつもり
で走って行ったよ。思い直してやめといたけどね! 優勝できてとにか
くブリリアントだよ。ウチに不利な状況もあったけど、今のこのチーム
にはものすごい結束があるからね。誰も負けるなんてことは考えない
のさ」

リヴァプールのFAカップ制覇は、2001年に続いて7度目です。


*** 7月8日(土) *******************************

【まるでスカウサー】
先週にスタートした『サマー・ポップス』は、35年ぶりのリヴァプール公
演となったザ・フーの登場などで、早くも最高の盛り上がりとなっていま
す。
そんな中、フェスティヴァルの最終日に出演するブライアン・アダムス
のインタヴュー記事が、地元紙 Liverpool Echo に掲載されました。
「エコー」紙のメール・インタヴューに答えたもので、当初ブライアン側
は、「忙しいので2,3の質問なら」と言っていたそうですが、意外にたく
さんの回答してくれています。
対応にあたったマネージャーが「ブライアンはちょっとふざけてるんで
す」と言うとおり、真面目な答えはほとんどありませんが、いかにもスカ
ウサーたちが喜びそうな、ローカルでユーモラスなコメントが次々に登
場します。

― 現在の活動拠点は?
「ディングル」

― 今進めているプロジェクトは?
「ディングル地区の落書きを消すこと」

― やってみたいことは?
「カークビーへの日帰り旅行」

― リラックスしたいときには何を?
「マージー河を渡るフェリーに乗るさ」

― 今もUKチャートのナンバー1を獲るような素晴らしい作品を作って
いますね。その才能ってどういうものでしょう?
「えーと、マシュー・ストリートでの夜遊びよりちょっとましって感じかな」

― あなたのキャリアでのハイとロウを挙げてください。
「あんまりロウな時ってなかったと思うよ。あのリヴァプール対チェル
シー戦を除いては…この話はやめとこうか」

― リヴァプールでの演奏を楽しみにしていますか? この街や人々に
はどんな印象がありますか?
「すごく楽しみにしているよ。あそこの人たちって最高にフレンドリーだ
から。でもあのトラックスーツ(運動着)を見るのはあんまり楽しみじゃ
ないけどね。(注:リヴァプールのストリートでは、多くの人がトラック
スーツ姿で歩いている)」

― 今度のサマー・ポップスでは、メラニーCとのデュエットを見られます
か? (注:メラニーCは、リヴァプール出身で元スパイス・ガールズ。ブ
ライアンの "When You're Gone" のレコーディングに参加)
「いいや。彼女はどこかのチッピー(注:フィッシュ&チップスのテイクア
ウェイ)で働いてるって聞いたけど。もし見かけたら、おいでって言っと
いてよ」

― メラニーと最初に仕事をしたとき、どういういきさつだったんですか?
「スパイスで彼女だけスケジュールが空いてたんだ」

― 今でも連絡は取ってます?
「いいや。彼女がチッピーで働き出してからはぜんぜん」

この記事の執筆者 Kate Mansey は、インタヴューをこう結んでいます。
「ブライアン、会えるのを楽しみにしていますよ。それと、グッド・タイム
を過ごせるよう私がマシュー・ストリートを案内してあげましょう」


*** 7月14日(金) *******************************

【サー・ポールの最初のギター】
サー・ポール・マッカートニーが生まれて初めてコードを鳴らした正真
正銘の最初のギターが、まもなくオークションにかけられます。
そのギターの所有者はポールではなく、ポールのリヴァプール・インス
ティテュート時代の同級生で親友だった、イアン・ジェイムズ氏です。年
齢はもちろん、ポールと同じ64歳です。

ジェイムズ氏は、この REX のアコースティック・ギターを、長年オーム
スカークの自宅のロフトにある箪笥の一番上に大切に保管していまし
た。しかし、老後の生活のためにと、今回オークションに出品すること
を決意したのです。

このギターには、ポール本人による証明書が付けられています。
「ここにある、僕の昔の級友であるイアン・ジェイムズ所有のギターは、
僕が生まれて初めて手にしたギターなのです」
「これはまた、リヴァプール8区のエルスウィッチ・ストリート43番の彼
の家で、彼に教えてもらいながら僕が初めてコードを鳴らしたギターで
もあるのです」

イアン・ジェイムズ氏は、こう話しています。
「ポールが音楽の道に進むのに、少しは手助けできたんじゃないかっ
て思ってるんだ」
「このギターは、私が12か13のときに祖父が買ってくれたものなんだ。
いくらしたのか、はっきりとは知らない。でもポンドまで行かなくて、何シ
リングかだったのは確かだな」
「ポールと私は、よくつるんで遊んでたんだ。学校帰りに私の家に寄る
こともしばしばだった。2人ともロックン・ロールに興味を持っていたか
ら、それじゃあってことで、彼にいくつかのコードを弾いてみせたりした
んだよ」

1957年の7月6日、15歳になったばかりのポール少年は、セイント・
ピーターズ教会のホールで、クォリーメンとして出演していたジョン・レ
ノンと出会います。
「何か弾いてみな」とジョンに言われてポールは "20 Flight Rock" など
の曲を弾き、歌いました。ポールがたくさんのコードや正確な歌詞を
知っていることに驚いたジョンは、後日クォリーメンにポールを誘いま
す。
この出会いがなければ、ビートルズは誕生していなかったかもしれま
せん。

ジョンと出会った時のことを、サー・ポールはかつてこう語っています。
「あそこで彼(ジョン)の知らなかったコードをいくつか弾いてみせたん
だ。まさにイアン・ジェイムズに習ったやつをね。その日はそれで帰っ
たんだけど、やったぞって気分だったね。いいところを見せられたから
ね」

ジェイムズ氏は、当時をこう振り返っています。
「その頃にはもうポールは自分のギターを持っていた。私も自分のを
持って行った。自分たちもあそこのホールでプレイさせてもらえるって
思ってたんだ。でも司教さんに君らはダメだよって言われてしまってね」
「それで私たちは近所のカフェに行った。さっきのことでちょとうんざり
してたから、私はそこでおいとましたんだが、他の連中は後でまたホー
ルに戻って、演奏したんだろうね。というわけで、これがまあ、私が
ビートルズのメンバーの座にいちばん近づいた瞬間ってことになるか
な」

現在のポピュラー・ミュージックの歴史を作ったともいえるこのギター
は、保存状態もかなり良く、10万〜15万ポンド(2100万〜3200万
円)の値がつくと予想されています。

"Music Legends" と題され、200点以上ものメモラビリアが出品される
このオークションは、今月28日、ロンドンのアビーロード・スタジオで行
われます。主催するのは、エンターテイメントや音楽専門のオークショ
ナー、Cooper Owen です。


*** 7月21日(金) *******************************

【全国第6位】
観光ブームのまっただ中にいるリヴァプールですが、昨年の海外から
の訪問者数は、前年のほぼ2倍にを記録したそうです。
これは英国の国立統計局からの発表によるもので、2005年に海外
からリヴァプールを訪れた人は、43万8000人でした。2004年の21
万人を大きく上回っています。
この数字により、英国全体の観光地のランキングで、リヴァプールは
10も順位を上げて、第6位に急上昇しました。オックスフォードやバー
ス、ケンブリッジなどといった超有名な観光地よりも上位です。

「マージー・パートナーシップ」の観光部門の責任者、ポール・ウィル
シャーはこう話しています。
「こんなにも数字が伸びたのにはさまざまな理由が挙げられますが、
やはりキャピタル・オブ・カルチャーが主な要因ではあるでしょうね。あ
れでこの街と地域の注目度がぐんと上がりましたからね」
「でもそれだけじゃなくて、リヴァプール・ジョン・レノン空港も大きなファ
クターです。東ヨーロッパやスペインからのヴィジターが、ものすごく多
いですからね」
「それから、スポーツのイヴェントですね。グランド・ナショナルや全英
オープン、リヴァプールFCのチャンピオンズ・リーグの成功などが、か
なり貢献していると思います」
「海外からの観光客がリヴァプールに滞在する期間は、延長傾向にあ
るんですよ。観光アトラクションにとっては有利ですね。『ビートルズ・ス
トーリー』は昨年、過去最高の入場者数を記録しました。そしてその多
くが、インターナショナルなヴィジターだったんです」
「私たちは、ツーリズムが成長し続けるような計画を練っています。絶
対確実なものがないのが観光ですけどね、テロリズムとか為替レート
とか、あらゆるグローバルなファクターがからんできますから。ですが
たくさんの要素をうまく見極めて成長を続けて行けると思います」

マージー・パートナーシップの調査によると、リヴァプールを訪れた人
のうち98%が「他人にもすすめたい」と回答し、83%が「2008年まで
にまた訪れたい」と回答しています。
リヴァプール・シティ・カウンシルのウォーレン・ブラッドリーはこう話して
います。
「ツーリズムは今や我々の最大の産業のひとつであり、かなりの収益
をもたらしています。この街を歩けば、誰もがそのことを実感するで
しょう。ここは一度観光で来たら、また戻って来たくなる街だと我々は
信じています。ビジネスで来た人も、次は観光で来てみたいと思うし、
観光で来たなら来たで、今度はもっと長い滞在で来ようと思える、そん
な街なのです」
「できれば来年はトップ2に入って、そして2008年にはトップに立てれ
ばいいですね」

リヴァプール・ジョン・レノン空港のコミュニケーションズ・マネージャー、
ロビン・チューダーはこう話しています。
「この数年で私どもはドラマティックな成長を遂げました。この空港はも
はや、週末の格安旅行に利用するだけのものではないのです」
「私どもの空港は現在、60の都市と結ばれています。10年前はわず
かに3都市でした」
「リヴァプールの名前はみなさんご存知だったでしょうが、チャンピオン
ズ・リーグ優勝などの大きなイヴェントで、より有名になったと思いま
す。この街で学ぶ学生や、ヨーロッパから来て就職する人、それから
友人や家族を訪ねて来る人もかなり多いですね」


*** 7月26日(水) *******************************

【全英オープンは大成功】
7月20日から23日まで、ウィラルのホイレイクにある「ロイヤル・リ
ヴァプール・ゴルフ・クラブ」で行われた今年の『全英オープン』は、過
去最高の23万人の観衆を集め、大成功のうちに閉幕しました。

優勝したタイガー・ウッズは72万ポンド(約1億5000万円)を獲得しま
したが、お祝い気分は彼だけではありません。
マージーサイドの観光局も、この大会の開催で1億ポンド(約220億
円)以上もの経済効果があったと発表しました。

ホイレイク周辺のエリアだけに限っても、800万ポンド(約17億6000
万円)の経済効果があったとされ、このうち参加したゴルファーたちが
127万ポンド(約2億8000万円)、メディア関係者が400万ポンド(約
8億8000万円)をこの地域で使ったと計算されました。

ウィラルの商工会議所のチーフ・エグゼクティヴ、ケン・デイヴィーズは
こう話しています。
「ツーリストやゲストのおかげで、ウィラルの経済効果は8000万ポン
ド(約176億円)くらいあったと、私たちは見積もっています。利益がど
のくらいになるのかについては、まだこれから計算しないといけません
けどね。でもほんとうによくやったと思いますよ」
「今回来てくださったみなさんには、また家族や友人を連れて戻って来
ていただきたいですね。そうすると、これからさらに何億ポンドももたら
されるってことになりますね」
「実際に足を運んだ人以外にも、TVで1億人以上の人がこの大会を
見たわけですからね、これでウィラルはツーリスト・マップに返り咲くの
は確実じゃないでしょうか」

「マージー・パートナーシップ」のツーリズム・スキル&ディヴェロップメ
ント・マネージャー、カレン・イリングワースはこう話しています。
「たくさんのレストランから、たったの1日で通常の1週間分の利益に
なったって聞いています。たいへんな成功でした。普通なら目立たない
小さなところでさえ大繁盛でしたものね」

ホイレイクにあるレストラン「ル・ブールヴァード」のオーナー、トニー・
ダーネルはこう話しています。
「タイガー・ウッズ以外は全員来てくれたんじゃないかな。期待以上な
んてもんじゃないよ!」

「リヴァプール・エコー」紙に、この大会期間中の飲み物や食べ物の消
費量が掲載されています。

 ビール…40万パイント
 紅茶…25万カップ
 ミネラル・ウォーター…27万本
 フィッシュ&チップス…9万8000人前
 サンドウィッチ…2万食
 シャンペン…5000本


*** 9月17日(日) *******************************

【復活を願って】
ウールトン・ヴィレッジにある映画館「ウールトン・シネマ」が、78年の
歴史に幕を閉じました。
今年6月、ウールトン・シネマのオーナー、デイヴィッド・ウッドが59歳
で亡くなったことにより、未亡人のフラーはシネマの存続は困難と判断
し、閉館を決心しました。

9月3日、午後7時30分から、最後の映画が上映されました。
特別なセレモニーは何もなく、普段と変わりない、いつもどおりの上映
となりました。
古き良き時代の面影を残す客席には、およそ185人の観客と20人
のスタッフが座り、「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン2:デッド・マンズ・
チェスト」を一緒に観ました。

マナージャーのジュディ・ボールは、映画のインターヴァルの間に、ス
ナック・トレイで、ウールトン・シネマ最後のアイスクリームを売り切りま
した。このシネマの常連たちに愛された、1950年代風の伝統的なス
タイルです。
終了後、ジョディはこう話しています。
「何か記念になることをしたいと思う反面、派手にはしたくないって気持
ちでもあったの。誰かが亡くなったからクローズするわけでしょ。だから
追悼のアトマスフィアはキープしたかったのよ」
「スタッフにとっては悲しい夜よね。常連の何人かにとっても。でもみん
な楽観的でいようとしてるわ。だってわたしたちみんな、これをファイナ
ル・エンディングにしたくないって思ってるから」

ウッド・ファミリーとシネマのスタッフたちは、ウールトン・シネマの銀幕
に再び光が灯される日が来ることを願っています。
ウッド夫人の元には、現在、映画館として興味を示す7つのバイヤー
と、再開発を希望する1つの企業からのオファーが届いているそうで
す。

ウッド・ファミリーがシネマの経営を始めたのは、およそ100年前に遡
ります。
1908年のボクシング・デイに、亡くなったデイヴィッド・ウッドの祖父
が、ウォルトンに「べドフォード・ホール」というリヴァプール初の映画専
用のホールをオープンしたのがそもそもの出発点でした。
べドフォード・ホールは大成功し、「べドフォード・シネマ」チェーンとして、
次々に新しい映画館がオープンしました。その中には、ジョン・レノンの
いちばんのお気に入りの映画館だったウェヴァトリーの「アビー・シネ
マ」も含まれていました。

しかし、デイヴィッド・ウッドの代になると、映画の配給事業の方に興味
を持っていた彼は、シネマの経営をほとんどやめてしまいました。
そのデイヴィッドが、唯一、情熱を持ってシネマの経営にあたったの
が、ウールトン・シネマだったのです。彼は1992年にこの歴史のある
シネマを買収しました。

ウールトン・シネマは、1927年のボクシング・デイに、「ザ・ピクチャー・
ハウス」の名前でオープンしました。
シングル・スクリーンでキャパシティは256席という小さな映画館です。
ジョンが通っていた教会であり、ポール・マッカートニーと出会った場所
でもあるセイント・ピーターズ教会のすぐ近くにあります。
このシネマのあるウールトン・ヴィレッジは、少年時代のジョン・レノン
が毎日のように遊びに来たところです。映画好きであったジョン・レノン
のことですから、きっとこの映画館に何度も足を運んだことでしょう。

最後の上映の後、ウールトン・シネマの電話ではこんな録音メッセージ
が流されています。
「ウールトン・シネマにお電話くださり、ありがとうございます。たいへん
残念ですが、現在このシネマは閉館中です。これまでのご愛顧に感謝
するとともに、またお会いできることを心より願っております」


*** 10月22日(日) *******************************

【ショーン・レノン インタヴュー】
来月にリヴァプールでコンサートを行うショーン・レノンが、地元紙「リ
ヴァプール・エコー」のインタヴューに答えています。
以下に抜粋して紹介します。

(10月9日に31歳になったショーン。父ジョンと同じ誕生日であること
について)
「僕にとってはやっぱり特別な日だね。誕生日にはいつも、親父のこと
をいろいろと考えちゃう」
「365分の1の確率なんだろうけどね、でもあの親父と同じ日に生まれ
たってことは嬉しいな」

(ファースト・アルバム『イントゥ・ザ・サン』以来、なんと8年ぶりの新作
『フレンドリー・ファイア』をリリースしたばかりのショーン。しかし彼は、
ヒットチャートでの成功にはまるで興味がないと言います)
「僕はスターなんかじゃないよ、ぜんぜん」
「自分で自分のプロモートをするのって、すごく面倒くさい。大嫌いだ。
絶対無理ってわけじゃないけど、すごく居心地の悪い思いを我慢しな
きゃいけない」
「っていうか、僕は自分がコマーシャルな人間だとは全然思ってないん
だよ。だからそういうゲームには参加するつもりはない」

(ジョン&ヨーコの息子としてのプレッシャーについて)
「ダッドみたいにならなきゃってプレッシャーは感じないな、正直言って。
うまく言えないけど、僕に対する偏見みたいなのを感じるのは、批評と
かで、僕がレノンの息子ってことにこだわってる人が何か書いてるのを
読んだ時くらいだよ」
「とは言っても、曲を書いたり演奏したりってのが今の僕の日常生活な
わけで、結局親父と同じようなことをしているわけだよね。でも、誰かの
期待に応えるためじゃない。そういうプレッシャーは僕にはないよ」

(リヴァプールについて)
「リヴァプールには2度ほど行ったことがあるんだけどね。わかってもら
えるかな、僕にとっちゃ実にヘヴィーなことなんだよ。どうしたってダッド
を亡くしたことの大きさみたいなものを突きつけられることになるから。
それにイングランドには親しい知り合いがいるわけじゃないから、リ
ヴァプールでひとりぼっちってことになる。で、こう感じることになる。ワ
オ、ここは僕のヒストリーや僕のダッドにとってものすごく大事な場所
だ。けれども、僕からは取り上げられてしまった」
「取り上げられてしまったってのは適切な言葉じゃないかもね、でも、
少年の頃の僕が失ってしまったものなんだよね」

(そう言った後ショーンはしばらく考え、言葉を継いだ)
「リヴァプールはね、ダッドがいない喪失感みたいなものを僕に意識さ
せるところなんだ」
「もし親父が生きていれば、きっとリヴァプールのことを話して聞かせて
くれただろうし、連れて来てもくれただろう。そう思う。僕にとってはいろ
んな意味を持った場所なんだ」
「でも、ビートルズを抜きにしても、リヴァプールは今もヒップな音楽の
街であるのは事実だよね」

(亡き父とは、彼の残した音楽を聴くことによって一体感を感じることが
できるとショーンは言います)
「たくさんの音楽を残してくれたのはラッキーかなって思う。だって愛す
る人を失った人で、僕ほどたくさんの思い出を残してもらった人ってそ
んなにたくさんいないと思うから」
「音楽を残してくれてよかったみたいなことを今言ったけど。でも僕は
ラッキーだって言うのはヘンだよね。だって生きててくれるほうがよっぽ
どいいもん」

(父と同じ音楽の道を進むショーンですが、苗字を利用して父の足跡を
なぞることにはまったく興味がないように見受けられます)
「ビートルズとか親父の音楽を、僕が意識して避けてると思ってる人が
たくさんいるみたいだけど。でも別に距離を取ろうと思ってるわけじゃ
ないよ。ビートルズを聴いてなかったら音楽をやってたとは思えない。
影響受けてるよ」
「ファミリーって感じかな。元々の居場所さ。ビートルズのおかげで、僕
はミュージシャンになるべく育ったんだ」
「ビートルズは大好きだよ。でもお気に入りのビートルズ・ソングは? 
なんて訊かれてもデタラメに答えるけどね」
「そうだな、お気に入りの色は? とかお気に入りの本は? なんて訊
かれてもデタラメに答えるよ。そんなのいっぱいありすぎて答えられな
いもん」

(新作、そしてソングライティングについて)
「愛の終わりや、すべての終わりについての歌を書いて、『フレンド
リー・ファイア』っていうタイトルにしたんだ。愛し合う人同士が傷つけあ
うことがある。そのメタファーにちょうどいい表現だと思ってね」
「え? でも僕の歌はドキュメンタリーじゃないよ。実際にあったことを
そのまま歌にしてるわけじゃない。歌ってファンタジーだもん。実生活
にインスパイアされることはあるけど、同時にドリームとかイリュージョ
ンだってたくさん歌に入ってるよ」

ショーン・レノンのリヴァプール公演は、11月4日、スタンレー・シア
ターで行われます。


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