June 16 2020, No.747
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リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World
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□■ INDEX ■□

 ▽フロム・エディター
 ▼NLWアーカイヴ:「アリステア・テイラー追悼」(2004年)
 ▽スカウスハウス・ニュース
 ▼今週のフォト


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▽フロム・エディター
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NLW No.747です。
先週の746号を配信したあとで、ちょうどその日(6月9日)がアリステア・テ
イラー(Alistair Taylor)さんの命日ということに気がつきました。
亡くなったのが2004年。あれから16年も経ったなんて。

ビートルズ・ファンならおなじみの…と言うには無理があるかな…んーと、熱心
なビートルズ・ファンなら名前は聞いたことがあるはず、という程度かな…そん
な感じの微妙な知名度ですが、もしアリステアがいなかったら、ビートルズの歴
史はあんなふうには進んでいなかったはず。アリステアがビートルズやブライア
ン・エプスタインに対して果たした役割・貢献度は、決して無視できないくらい
のヴォリュームだったと思います。質も量も、仕事でもプライヴェートでも。そ
してそして、何より人間的にも素晴らしいかたでした。

「16年前、アリステアさんの訃報を聞いたあとのNLWにはどんなことを書いて
いたんだろう?」
と思って、ちょっと発掘してみたところ、予想以上にまとまった分量の記事を掲
載していました。しかも、読んでみたらけっこう面白い。
「まぐまぐ!」さんのバックナンバー・サーヴィスはもうないし、スカウスハウ
ス・ウェブサイトの「ライブラリー」ページでも、第216号(2005年9月13日
発行)よりも前のNLWは見ることができません。
というわけで、「NLWアーカイヴ」というコーナーを作りました。第1回の今回
は、「アリステア・テイラー追悼」と題して、NLW No.154 とNo.155に掲載し
た記事を紹介します。16年前のNLWです。

今後もちょくちょく、埋もれている面白い記事、価値のある記事を発掘して行き
たいと思っています。

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                         ― Kaz(16/06/2020)


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▼NLWアーカイヴ:#01「アリステア・テイラー追悼」(2004年)
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過去のNLWからピックアップしてお届けするアーカイヴ・コーナーです。
第1回は、ちょうど16年前となる、2004年6月15日発行のNLW No.154(と、
その次週発行のNLW No.155)から。アリステア・テイラーさんの追悼記事を紹
介します。

≪≪≪ NLW No.154 - June 15, 2004 ≫≫≫

<フロム・エディター> 
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アリステア・テイラーさんが亡くなりました。
ビートルズを内側から支え、リヴァプールにも縁の深かった大切なか
たを、またひとり失ってしまいました。
知的で、飄々としていて、気さくで、ビートルズ・ファンのひとりひとりに、
いつも真摯に応じていたアリステアさん。残念でなりません。

近年のアリステアさんは、ビートルズ関係の催しによくゲストとして出
席し、ファンに親しまれていました。
もちろん、リヴァプールで行われる「ビートルズ・コンヴェンション」にも
毎年元気な姿を見せてくれていて、お会いするのがとても楽しみでし
た。

初めてアリステアさんに会ったのは、そのコンヴェンションの日で、場
所はアデルフィ・ホテルのバーでした。
ソファで奥さんらしい方と寛いでいるアリステアさんを見かけた僕は、
近寄ってこう話しかけました。
「こんにちは、ミスター・テイラー。日本から来たカズといいます。少し
よろしいでしょうか?」
「ああいいよ、もちろん」
少しお疲れ気味に見えたものの、アリステアさんは座り直し、笑顔で
快く応じてくれました。しかし続けて僕が、「ありがとうございます。ええ
とですね、ミスター・テイラー…」と言いかけた途端、間髪入れずに「ア
リステア!」と訂正しました。有無を言わさず、という感じでした。あの
真剣な眼差しと、ぴしゃりとした口調が忘れられません。
きっと偉そうにするのは好きではないんだろうな、と思いました。どん
な人とも、ひとりの人間として対等に接しようとしていたのでしょう。

それからの僕は、アリステアさんを見かけるたびに、気軽に声をかけ
るようになりました。もちろん呼び捨てです。
「やあ、アリステア!」
考えてみれば、ブライアン・エプスタインと一緒にビートルズを「発見」
したかたです。そんな伝説のようなかたと「タメぐち」なんて、なんだか
不思議な気分でした。でも、そんなふうに普通に話しかけることができ
て、嬉しくもありました。
「おうカズ、今年も来たか。どうだい調子は?」
アリステアさんは、いつでも、楽しそうに応じてくれました。昔のことを
訊ねると、どんな質問にもまじめに答えてくれました。

今年はもう会えないんだと思うと、実に寂しい気持ちになります。
短い間でしたが、アリステアさんの人柄に触れることができて、ほんと
うによかったです。
アリステアさんのご冥福を心よりお祈りします。
Thanks a million, Alistair !!

それにしても…。
アンクル・チャーリー、ボブ・ウーラーさん、ベリル・アダムズさん、アル
フ・ビックネルさん、そしてアリステアさん。
たった2年のあいだに、これだけの方が逝ってしまうとは。

                         ― Kaz (15/06/2004)


<リヴァプール・ニュース> 
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*** 6月11日(金) *******************************

【さようならアリステア】
9日、Alistair Taylor が、ダービーシャーの自宅で亡くなりました。68
歳でした。
アリステアは、ビートルズのキャリアの中で、キーとなる重要な役割を
果たしました。
アリステアは、ビートルズのメンバーやマネージャー Brian Epstein か
らは、“Mr Fix It” と呼ばれていました。ビートルズもブライアンも、例
えばツアーの時のリムジンの手配とか、買い物とか、ホリデイの段取
りとか、何かにつけてアリステアに頼んでやってもらっていたのです。
彼らにとって最も信用でき、頼りになる身内が、アリステアでした。もち
ろんアリステアは、頼まれたことはいつもちゃんとやり遂げました。

アリステアは、チェシャーのランコンに生まれました。
リヴァプールのレコード店NEMSに就職した彼は、すぐにマネージャー
のブライアンに認められ、彼の右腕として働くようになります。
1961年、ブライアンがビートルズをキャヴァーンで「発見」した時も、
ブライアンとビートルズがマネージメント契約を結んだ時も、いつもそ
ばにいたのがアリステアでした。

アリステアは、ブライアンが設立した NEMS Enterprises のジェネラル・
マネージャーを務め、また、ブライアンの死後にビートルズが設立した
Apple でも、ジェネラル・マネージャーに就任しました。

最近では、毎年夏にリヴァプールで開催される The Beatles
Convention のゲスト・スピーカーとして世界中から集まるビートルズ・
ファンに慕われていました。

リヴァプールの The Beatles Story ミュージアムのマネージャー
Louise Collier は、こう話しています。
「彼が逝ってしまったと聞いて、とても悲しい気持ちです。ビートルズの
ストーリーのほとんどの場面に立ち会った方でしたね」


<追悼 アリステア・テイラー 前編> 
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「インディペンデント」紙に掲載されたアリステア・テイラーへの追悼文
を、翻訳して紹介します。
著者は、リヴァプールの音楽ライターのスペンサー・リーです。

Alistair Taylor : 'Mr Fix-It' to the Beatles / Spencer Leigh
June 10 2004, The Independent

ビートルズ、そしてマネージャーのブライアン・エプスタインもが、アリス
テア・テイラーのことを “Mr Fix-It” と呼んだ。自分たちの問題を彼に
押し付ければ、何だって熱心に解決してくれるからだ。
実際アリステアは、彼らが持ちかける問題が大きかろうが小さかろう
が、まるで気にしなかった。公演後にビートルズを劇場から脱出させる
大作戦を指揮したかと思えば、彼らの代わりに買い物に行ったりして
いた。

「アリステア・テイラーは、素晴らしきナンバー2だった」
ビートルズの広報担当だったトニー・バーロウは、そう回想している。
「彼は、ナンバー1になりたいなんていう野心は、一度も抱いたことが
ないのではなかろうか。とにかくよく気が利いて、信頼できて、とてもと
ても律儀な男だったよ。ブライアン・エプスタインは、ありとあらゆる方
法でアリステアをこき使っていたが、彼は何とも思っていなかったね。
私を含めた他のスタッフ同様、彼がブライアン・エプスタインにクビを
言い渡されるのは日常茶飯事だったんだが、翌日にはケロッとした顔
で再採用されてたもんだよ」

1934年、チェシャーのランコンに生まれたアリステア・テイラーは、学
校卒業後、様々な職を経験した。
ロンドンに出てジョン・ルイス(デパート)に就職したものの、重い荷物
を持ってぎっくり腰をやってしまった彼は、8ヶ月間ギプスをしたのちに
職を失ってしまう。何の保障もなしに。
しかしバタシーに住んでいたその間に、彼は妻のレスリーと出会った。
2人は1959年のクリスマス・イヴに結婚した。

アリステアはリヴァプールに戻り、材木輸入会社で職を得た。しかし、
ほどなくして彼はその仕事に行き詰まりを感じ、販売業に戻りたいと
望むようになった。
アリステアは、リヴァプールの中心部にあるレコード店NEMSの求人広
告を見て応募した。彼の熱意とジャズの知識(彼はいつもジャズばか
り聴いていた)に感心したブライアン・エプスタインは、アリステアを週
給10ポンドで個人アシスタントとして採用した。

当時のことを、アリステアはかつてこう回想していた。
「彼がね、予言したんだよ。レイ・チャールズの『ジョージア・オン・マイ・
マインド』はモンスター・ヒットになるぞって。私は言ってやった。『ブラ
イアン、たしかにワンダフルだけどね、でもこの辺ではこういうのは流
行らないよ』ってね」
「彼はそのレコードを200枚オーダーしたよ。そして私と彼は、2~3
週間で売り切れるかどうか、ジン・トニックで賭けをした」
「で、私はジン・トニックをおごらされるはめになったのさ。(ブライアン
がのちにビートルズのマネージャーとして大成功を収めたことは)ポッ
プ・マネージメント業界にとっちゃ大収穫だったが、レコード販売業界
にとっちゃあ大きな損失だったってことになるね」

他のレコード店主とは違い、ブライアン・エプスタインは、客が望めば
どんなレコードも取り寄せた。
それは、レイモンド・ジョーンズという若者がやって来てビートルズの
『マイ・ボニー』はあるかと尋ねた時も例外ではなかった。アリステアは
そのレコードをドイツから輸入した。

ビートルズが地元のグループだと知って興味を持ったブライアンは、
アリステアを誘って1961年11月9日、彼らの演奏をキャヴァーンへ
観に行く。
その時のことを、アリステアは私にこう語った。

「あれはランチタイム・セッションでね。ホワイト・シャツに渋いビジネ
ス・スーツ姿の我々は、いかにも場違いな感じだったよ。見ると、ビー
トルズってのはNEMSによくやって来る連中だったんだ。レコードを
買ってるところはあんまり見たことなかったがね。ビートルズはロック
ン・ロールをやっていたんだが、我々が感心したのは、いくつかオリジ
ナルも持っていることだった。特に私の心に残ったのは『ハロー・リト
ル・ガール』だったね」

両親に反対されながらも、ブライアンはアーティストのマネージメント
会社 NEMS Enterprises を設立した。
そしてマネージメント契約書を弁護士に作成させ、ビートルズにサイン
させた。しかしブライアン自身はそれにはサインしなかった。アリステ
アによると、確かサインしたはずだということだが。

アリステアはずっとエプスタインの元で働きたいと考えていたが、リ
ヴァプールでの生活は、妻のぜんそくを悪化させていた。そこで彼は、
ロンドンのパイ・レコーズに転職した。サミー・デイヴィス・ジュニアがロ
ンドンに来た時は、アリステアが世話をした。彼のために、レコーディ
ング・セッションも手配した。
一方、ビートルズはビッグになり、ロンドンに拠点を移したブライアン
は、アリステアに連絡を取った。
年俸1000ポンドでNEMSエンタープライズのジェネラル・マネージャー
のポストに就いてほしいというブライアンのオファーに、アリステアは快
諾した。

(つづく)


≪≪≪ NLW No.155 - June 22, 2004 ≫≫≫

<追悼 アリステア・テイラー 後編> 
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「インディペンデント」紙に掲載された、リヴァプールの音楽ライターの
スペンサー・リーによるアリステア・テイラーへの追悼文を翻訳してお
届けしています。今週は、その後編です。

(つづき)
アリステアは、ビートルズやその他すべてのNEMSのアーティストたち
との仕事を楽しんでいた。
だが、彼らが習慣としていたドラッグに対しては、きわめて潔癖だった。
「私の好きなジャズ・ミュージシャンたちが、ドラッグをやってどんなこと
になったかを見て来ていたからね」
アリステアはそう言っていた。
「だから私は、いくらビートルズたちが快楽にひたっていても、まるで興
味がわかなかったんだ。ジョン・レノンなんかは何ヶ月もかけて私を説
得しようとしてたがね。一緒にLSDでトリップしようってね。『アル、ほん
とにすっげえんだよこれは。だいじょうぶだって、僕らも一緒なんだか
らさ』なんて言ってたなあいつは。それでも私は全然やってみたいとは
思わなかった」

しかしながらアリステアは、ビー・ジーズのモーリス・ギブのリクエストは
かなえてやったそうだ。ソーホーのストリップ・クラブに連れて行ってほ
しいというリクエストだ。
「彼がどうしても行きたいっていうもんだからね。誰かが彼に気づかな
ければいいが、と私は心配しどおしだったんだが、案の定ひとりの男
がやって来てこう言った。『あなたはモーリス・ギブでは?』」
「そしたら彼はこう答えていたよ。『みんなにそう言われて、困ってるん
ですよ。こんなに似てなけりゃあいいのに』って」

アリステアの強い勧めで、NEMSはフォーク・グループの Silkie と契約
した。
アリステアはビートルズに協力を頼み、シルキーは「ユーヴ・ガット・
トゥ・ハイド・ユア・ラヴ・アウェイ」をシングルにした。そしてそれは、ア
メリカでトップ・テンに入るヒットとなった。
アリステアはまた、その頃は低迷期に入っていたムーディー・ブルース
のマネージメントも引き受けた。
さらにエプスタインは、アリステアなら新しいスーパー・グループ「クリー
ム」のツアー・マネージャーの仕事もうまくこなしてくれるだろうと考え
た。
「クリームを初めてのアメリカ・ツアーに連れて行ったんだがね。あれ
はまったくアメイジングな1週間だったよ。何しろあの連中、心底憎み
あっていて、始終火花を散らし合ってるんだから。エリック・クラプトン
がとびっきりのリフを弾くと、横でジャック・ブルースが『おもしれえ、勝
負してやろうじゃねえか』って顔をする。そしたらジンジャー・ベイカー
はドラムを10トン分もぶん殴るって調子だ。そりゃビートルズにだって
いさかいはあったがね、ジョンとポールが差し向かいで喧嘩してるとこ
ろなんて一度も見たことがなかったからね、私は。だから正直あれに
はちょっと肝をつぶしたね」

1967年、「ミスター・フィクスィット」は、最大の難問にチャレンジする
ことになる。
ピーター・ブレイクがデザインしたビートルズの「サージェント・ペパー
ズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバム・カヴァーには、60人
以上著名人が並んでいた。そのひとつひとつの写真の著作権を確認
し、使用許可を取ったのがアリステアだったのだ。
そしてその年、エプスタインが急死したが、アリステアは事故によるも
のだと確信している。彼らはちょうど、フォー・トップスのUKツアーを計
画しているところだった。

1968年、彼ら自身の会社アップルを設立したビートルズは、アリステ
アをジェネラル・マネージャーとして迎えた。
ポール・マッカートニーは、アリステアがワン・マン・バンドに扮した写
真を撮影し、それをオーディション・テープ募集のための広告キャン
ペーンに使った。
アリステアはビートルズとの生活を楽しんでいた。彼らのギリシャ旅行
にも同行したし、グループの奥深い内部にいる自分を発見することも
しばしばだった。

「ポールは、彼の年代物のハーモニウム(リードオルガンの一種)に
私を一緒に座らせた。そして適当に鍵盤を叩くように言ったんだ。私
が叩くと、彼も同じように叩いた。あるいは、彼が何か言葉を言って、
その反対語を私に言わせたりした。黒と言えば白、スタートと言えばス
トップ、という具合にね。そうやって彼は曲を作って行ったんだな。何日
もしないうちに、ポールは出来たてのデモを持ってオフィスにやって来
たよ。新しいシングル、『ハロー・グッドバイ』のね」

どんなクレイジーなアイデアであろうと、ほとんどは予算がついた。そ
して、支出をコントロールしようとするものは誰もいなかった。こうした
ことが原因で、アップルは行き詰まって行った。
アレン・クラインがアメリカからやって来て、アップルの建て直しにあ
たった。そしてある日、ランチから帰って来たアリステアは、解雇者リ
ストのトップに自分の名前を見つけた。

ビジネスの世界から離れることにしたアリステアは、妻とダービー
シャーにティー・ルームを開いた。
その後彼は、工場で働いたり、ホテル・トレードの仕事に就いたりした。
彼はよくこんなジョークを言っていた。
「トップから仕事を始めてしまったから、だんだんと落として行ってるの
さ」
アリステアは、NEMSの同僚ピーター・ブラウンがビートルズのバイオ
グラフィー「ザ・ラヴ・ユー・メイク」(1983年)を書くのに協力した。しか
しその本の下品な仕上がりに、アリステアはショックを受けたという。
そこでアリステアは、自分自身で本を書くことにした。1988年に出版
された「イエスタデイ:ザ・ビートルズ・リメンバード」だ。ミッシェルという
架空のファンに宛てた手紙のシリーズという体裁で、わくわくしながら
読める内容になっている。この本の中で彼は、自分を解雇したビート
ルズを恨む気持ちはまったくないと語っている。

晩年のアリステアは、ビートルズ・コンヴェンションのゲスト・スピー
カーとして人気があった。
彼はまた、「フロム・キャヴァーン・トゥ・ルーフトップ」というステージ・
ショウを、LIPAのポール・マッカートニー・オーディトリアムで行った。
ポールの名前を冠したこのホールで開催された初めてのビートルズ・
イヴェントだった。
2001年には、2冊目の本「シークレット・ヒストリー」を出版し、いくつ
かの朗読テープやCDもリリースした。
そして2002年には、ジョージ・ガンビーがアリステアのオフィシャル・
バイオグラフィー「ハロー・グッドバイ:ザ・ストーリー・オブ・ミスター・
フィクスィット」を出版する。もちろんアリステアは、この本に快く協力し
た。

(おわり)

Alistair Taylor : 'Mr Fix-It' to the Beatles / Spencer Leigh
June 10 2004, The Independent


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