March 19 2024, No.859
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ NLW ■ *** http://scousehouse.net/ *** □■ INDEX ■□ ▽フロム・エディター ▼追悼 ジョニー・ジェントル ▽サー・ポール・マッカートニー、国境の北での最初のギグを回想 ▼スカウスハウス・ニュース ▽今週のフォト -------------------------------------------------------------------------- ▽フロム・エディター ------------------------------------------------------------------ NLW □ ジョニー・ジェントルさんが亡くなりました。 ご家族が「リヴァプール・エコー」のお悔やみ欄に告知したことで広く知られる ことになったようですが、ご病気をされていたのかとかどんな亡くなりかただっ たのかなどは、わかりません。「エコー」も記事としては取り上げてなくて、ほ かの新聞系メディアもサーチしてみたのですが、意外にもほとんどスルー。比較 的長文の追悼記事を載せたのは「テレグラフ」紙くらいで、そのほかは、短い配 信記事を掲載したところが2、3ある(どれも同じ文面)くらいでした。僕の探 し方が足りないのかもだけど。 ただそのテレグラフの記事にしても、遺族や関係者に取材してのものではなくて、 ビートルズとの関わりを中心に経歴をざっと紹介しただけ……というとなんだか 文句を言ってるみたいですが、でもとってもわかりやすくまとめてあって、「ジョ ニー・ジェントルって、だれ?」な方にも「ほおお」と興味を持って読んでもら えるのではないかな、と思います。 というわけで、翻訳して紹介することにしますね。 そのほか、2018年のものなのですが、スコットランドの「サンデイ・ポスト」紙 の面白い記事を発見。グラスゴー公演を終えたポール・マッカートニーにインタ ビューをしていて、その中でジェントルさんとのスコットランド巡業の思い出が 語られています。ジョン・レノンがスコットランドツアーについてかつて語って いたコメントもひろってあって、グッジョブです。 インタヴュー全文はちょっと長いので、前半にあたる該当部分だけを翻訳してみ ました。「サー・ポール・マッカートニー、国境の北での最初のギグを回想」。あ わせてどうぞ。 ジョニー・ジェントルさんは夏のビートルウィークにも何度か来られています。 僕ももちろん会ったことがありますよ。あれはたぶん1999年、コンヴェンショ ンの会場で著書を購入してサインをもらいました。写真も一緒に撮ってもらった はずなんだけど...どこにあるんだろう? 著書「Johnny Gentle & The Beatles; First Ever Tour Scotland 1960」のほう は、ちょっと探したら出てきました。ぱらぱらとつまみ読みしてみたんだけど、 いやあこれは面白い。ツアーの前後も含めて、驚くほど詳しく書かれています。 例えば、ビートルズはジェントルさんのバッキングだけを務めたわけではなくて、 (全部読んでないのでもっと多いかもだけど少なくとも最後の2晩は)ビートル ズ単独で演奏するステージもあったそうです。「カンサス・シティ」をはじめリ トル・リチャードの曲が多かったみたいで、ポールの張り切りぶりが想像できま す。 このツアーのストーリーはほとんどと言っていいほど知られていないので(です よね?)、この本おすすめです。未読のかたはぜひ...といっても入手は難しいか なあ。ぜんぶ英文ですしねえ……よっしゃ、機会があればこのNLWで翻訳してお 伝え...できるかな?? ● ● ● 「今週のフォト」は、ジョニー・ジェントルさんの著書「Johnny Gentle & The Beatles; First Ever Tour - Scotland 1960」を。コンヴェンション会場のチ ラシも一緒に。 そして、ビートルズがジェントルさんのスコットランド・ツアーのバッキングを 務めるきっかけになった、ブルー・エンジェルの写真も。ブルー・エンジェルは 「ビートルズの初代マネージャー」と言われるアラン・ウィリアムズ経営の店で、 1960年5月10日のラリー・パーンズのオーディションの会場でした(当時の名 前はワイバーン・ソーシャル・クラブ)。写真の撮影は2009年8月29日。にゃん と、ブルー・マーガレッツの演奏シーンもあります。 http://scousehouse.net/magazine/nlw_photo859.html ● ● ● <<Beatleweek 2024 スカウスハウス・ツアー:参加者募集中!>> 今年8月にリヴァプールで行われる「インターナショナル・ビートルウィーク」 観賞パッケージ『スカウスハウス・ツアー2024』の参加者募集をスタートしまし た。 おなじみのビートルズ・コンヴェンションやアデルフィでのオールナイト・パー ティー、キャヴァーン・クラブでのライヴはもちろん、レトロな雰囲気のグラン ド・セントラル・ホールでのハイ・クォリティなコンサートやマージー河向こう のニュー・ブライトンでの大きなイヴェント、ファブ・フォー4人の母校でのラ イヴ、さらにはあの伝説の「マシュー・ストリート・フェスティヴァル」プチ復 活の野外イヴェントなどなど、これでもかというくらい盛りだくさんの企画が用 意されています。 もちろんスカウス・ハウスのオプショナル企画も充実。リヴァプールとフェス ティヴァルを満喫していただけるラインナップを考えています。 初めてのかたもリピーターも大歓迎。聖地リヴァプールで開催される世界最大の ビートルズ・フェスティヴァルに、あなたもぜひ! この夏、ぜひリヴァプール でお会いしましょう! http://scousehouse.net/beatleweek/scousetour2024.html --- Kaz(19/03/2024) -------------------------------------------------------------------------- ▼追悼 ジョニー・ジェントル ------------------------------------------------------------------ NLW □ ジョニー・ジェントルさんが亡くなりました。3月13日付「テレグラフ」紙に 掲載された追悼記事を翻訳して紹介します。 ----------------------------------------------------------------- 追悼 ジョニー・ジェントル 2024年3月13日・テレグラフ 87歳で死去したジョニー・ジェントルは、エルヴィスばりのもみ上げに角ばった 顎が特徴のロック・シンガーだった。彼自身はヒットを飛ばすことはできなかっ たが、かつてのバック・バンドがのちにザ・ビートルズとなって富と名声の階段 を駆け上がるという、異色の勲章を持つ。当時シルヴァー・ビートルズ(Silver Beetles)という名前だったビートルズはジェントルとスコットランドに出向き、 小さな町のダンス・ホールを回って演奏した。ジェントルはその後歌手を辞め、 最初の職業である大工・木工職人に戻った。 1960年5月にスコットランドのアロアやハイランドを回る7ステージの巡業に ジョニー・ジェントル(本名:ジョン・アスキュー)をブッキングしたのは、や り手のプロモーター、ラリー・パーンズだった。パーンズは所属歌手を改名させ ることに熱心で、マーティー・ワイルド、トミー・スティール、ビリー・フュー リー、ディッキー・プライドなどの芸名も彼の「作品」である。 パーンズはビリー・フューリーとマーティー・ワイルドのバック・バンドを求め てリヴァプールでオーディションを行った。当時ジョン・レノン、ポール・マッ カートニー、17歳のジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフ(ベース)、 そしてトミー・ムーア(ドラムス)という編成だったシルヴァー・ビートルズは、 そのオーディションには落選した。しかし彼らに好印象を持ったパーンズは、 ぱっとしないシングルを数枚リリースしただけのほとんど無名のシンガーのバッ キング・グループとして採用した。 パブリシティにバンド名は一切クレジットされなかったが、この巡業は彼らに とって初めてのプロとしての仕事だった。告知広告には「ジョニー・ジェントル と彼のグループ」と印刷されていた。彼らがジェントルと初めて顔を合わせたの は、ツアーの最初の町アロアでのショウが始まるわずか30分前だったが、演奏 に困ることはなかった。セットリストはジェントルから前もって送られていたか らだ。ポール・アンカやエルヴィス、ジム・リーヴスなどのカヴァーだった。 しかしそのツアーは、どのメンバーにとっても美しい思い出にはならなかったと、 ジョージ・ハリスンは回想している。 「最初は『やったぜ、ギグにありつけた!』ってな感じだった。でもすぐ現実を 理解したよ。小さなホールなのに、街のパブが閉まる時間になるまでは誰も入っ て来ない。やっと来たぞと思ったらスコティッシュ・テディーボーイでさ、5人 くらいにガンつけられるし。俺たちまるで浮浪者みたいな成りでね、シューズは 穴だらけ、スボンはきったねえまんま。思い出すのは、エルヴィスの『ウォント・ ユー・ウエア・マイ・リング・アラウンド・ユア・ネック?』(邦題・想い出の 指輪)を演ってたとき。ジョニー・ジェントルはエルヴィスの『テディ・ベア』 のカッコいい衣装なのに、俺たちのみすぼらしさと言ったら。バンドとしては最 低だよ。恥さらし。まともなアンプすら持ってなかったし... 俺たちみんなヴァ ンの中で寝泊まりしてたんだよ。人数分の座席はなかったから、誰かは後輪の泥 除けのあいだに座って寝なきゃいけない。たいていはスチュだったけどね」 ジェントルは、このバンドには「何か特別なもの」があると感じていたと後年振 り返っている。 「私たちはなかなかいい音を出していたと思うよ。どう控え目に見てもね。私た ちのサウンドは毎晩良くなって行ったんだ。ツアーが終わるころには、この子た ちは今までの私のどのバンドよりもいいじゃないかと思っていた」 ツアーが終わったとき、ザ・シルヴァー・ビートルズの懐には出発前よりも少な いお金しか残らなかった。ドラムのトミー・ムーアにいたっては、ジェントルが ヴァンを運転していた際に起きた事故で前歯を失っていた。リヴァプールに戻る と、彼は元の職場である瓶工場に戻って行った。 しかしそのわずか3ヶ月後、彼らはハンブルグにいて、名声へのランウェイを登 り始めていた。ドラムにはピート・ベストが収まり、バンド名はシルヴァー・ ビートルズからビートルズに替わっていた。そんなわけで、ジェントルが次のツ アーでバンドを必要としたとき、彼らはもうそこにはいなかった。 ジョン・アスキューは1936年12月8日にリヴァプールで生まれた。学校を出た あとで彼は大工の弟子になり、自分のギターを作った。友人とコンビを組み、地 元のクラブでエヴァリー・ブラザーズのカヴァーを演奏した。短い期間を商船の 船員として過ごしたあと、彼はソロ・シンガーとしてタレント・コンテストに挑 戦を始めた。最初のステージネームはジョージ・ベイカー、その次にリッキー・ ダノン。ロンドンに移り、南ロンドンのストレータムにあるロカルノ・ボール ルームで行われたコンテストで優勝して、ラリー・パーンズの目に留まる。1959 年、パーンズは彼のためにフィリップスとの契約を取り付け、ジョニー・ジェン トルという新しい名前をつけて売り出した。 その年に彼は2枚のシングルをリリースする。「ウェンディ」と「ミルク・フロ ム・ザ・ココナッツ」。しかしヒットチャートには上がらず。「ジェントル・タッ チ」というEPも同じ結果に終わる。そんなタイミングでのスコットランド・ツ アーだった。 そのツアーの間に、ジェントルは「アイヴ・ジャスト・フォーレン・フォー・サ ムワン」という歌を書いた。その際にジョン・レノンが手伝ったと言われている。 この曲はのちにアダム・フェイスがレコーディングした。 フィリップスでさらに3枚のシングルをリリースしたあと、彼は4度目となる改 名をする。ダレン・ヤング。この名前で彼は、自身のヴァージョンとして「アイ ヴ・ジャスト・フォーレン・フォー・サムワン」をパーロフォンからリリースし た。1962年のことだ。 「オー・ボーイ!」や「ドラムビート」といったTVシリーズ番組への出演はあっ たものの、彼はヒットチャートでの成功からは見放され続けた。そしてレコー ディング契約が切れた1963年、彼はヴォーカル・グループ「ヴィスカウンツ」 にゴードン・ミルズの後釜として加入する。しかし1960年代の半ばにはショウ・ ビジネスの世界からリタイアした。 本名に戻った彼は、木工職人になった。チャネル諸島のジャージー島で働き、そ の後ケント州に移った。1998年に彼は、「ジョニー・ジェントル&ザ・ビートル ズ:ファースト・エヴァー・ツアー」という本を共著で出版した。 彼は妻のジェインとともに生き、一男一女を授かり、男女の孫にも恵まれた。 ジョニー・ジェントル。1936年12月8日生まれ。2024年2月29日没。 Johnny Gentle, singer whose backing band on a tour of Scotland was the future Beatles Telegraph Obituaries 13 March 2024 https://www.telegraph.co.uk/obituaries/2024/03/13/johnny-gentle-tour-1960-scotland-beatles-died-obituary/ -------------------------------------------------------------------------- ▽サー・ポール・マッカートニー、国境の北での最初のギグを回想 ------------------------------------------------------------------ NLW □ ジョニー・ジェントルさん追悼の意を込めて、2018年12月にスコットランドの 「ザ・サンデイ・ポスト」紙に掲載されたポール・マッカートニーのインタ ヴュー記事を翻訳して紹介します。 ----------------------------------------------------------------- サー・ポール・マッカートニー、国境の北での最初のギグを回想 ビリー・スローン 2018年12月24日 ザ・サンデイ・ポスト スコットランドで最もアイコニックなコンサート会場で1万3千人ものファンを 前にしたサー・ポール・マッカートニーは、こう思わずにいられなかった。 「アロア・タウン・ホールからずいぶん遠くまで来ちゃったなあ」 10日前(2018年12月14日)に行われたグラスゴーのハイドロウでのギグは、チ ケットを手に入れることができたラッキーなファンにとって、今後長く忘れられ ないものになるだろう。 しかしこのスターはコンサートの最中に別のギグのことに思いを馳せていた。彼 のバンド、ザ・シルヴァー・ビートルズがバンドとして初めて北の国境を超えた、 58年前の出来事に。 それは1960年の5月20日のことだった。マッカートニーはジョン・レノン、 ジョージ・ハリスンとともに、アロアのステージに立った。 このトリオは、あと二人の友人と一緒に、60ポンドのギャラを分け合っていた。 ベーシストのスチュアート・サトクリフとドラマーのトミー・ムーアだ。彼らの 仕事は、リヴァプール出身のバラードシンガー、ジョニー・ジェントルのバッキ ング・バンドだった。 ミュージシャン志望の17歳だったマッカートニーは、スコットランドへの演奏 旅行に参加するために父親の許可を得なければならなかった。家で試験勉強をす るべき立場だったからだ。 ハイドロウのバックステージで彼は、スコットランドのメディアへの唯一のイン タヴューに答えてくれた。あのアロアでのショウこそが、彼の生涯にわたるス コットランド愛への、最初のともし火だったと明かしている。 「遠征みたいなことやったことがなかったからね僕ら。基本リヴァプールの中だ けで演奏してた。せいぜいサウスポートにちょっと鉄道で行くくらい。30分ほど だな。なもんだから、スコットランドだなんて、もうほとんど外国旅行って感じ」 「あれこそドサ回りだったなあ。ちっちゃなヴィレッジ・ホールを回ってね。も ちろんぜんぜんOKだよ。だって僕ら自身がまさにドサ回り芸人みたいなもんだっ たからね。しょぼいアンプが2つ。それ以外ろくな機材持ってなかったし」 「お客さんは誰ひとり僕らのことを知らなかった。僕らはただのバッキング・バ ンドだよ、ジョニー・ジェントルの。でもお客さんはジョニー・ジェントルが誰 だかも知らなかったけどね。でもね、ファンができたんだよ。めちゃ嬉しかった。 それまで僕らのファンなんて存在しなかったんだもん。スターみたいに扱っても らえてね、もうゾクゾクだったよ」 7日間のツアーでバンドは、インヴァネスやフレーザーバラ、ナーンなどでも演 奏した。メンバーのうち2人は、より芸能人ぽくしようと自分で芸名をつけた。 ジョージはカール・ハリスンを名乗った。自分のヒーローである米国のロッカー、 カール・パーキンスにあやかってのものだ。ポールはといえば、エキゾティック な響きを取り入れてオルター・エゴを演じることにした。 「スコットランドのどこかで女の子に尋ねられたんだよね。『ねえ、あなたのお 名前は?』って。で僕は、『ポールだよ。ポール...ラモーン』って。そしたら 『あら、なんだかとってもステキ』なんて言われちゃって。芸名を名乗ればロン ドンのショウビズ・スターを気取れるって思ったんだね」 しかしシルヴァー・ビートルズは、一歩間違えればおんぼろヴァンとともに再起 不能になっていたかもしれない。ジョニー・ジェントルが運転中にバンフで衝突 事故を起こしたのだ。 いろいろな苦労はあったものの、この巡業ツアーはバンド初期において、音楽的 な成長を促す重要な出来事であったことは確かだ。わずか2年後にこのバンドは リンゴ・スターを加えて「ザ・ファブ・フォー」と呼ばれることになる。 レノンはかつてインタヴューでこう語ったことがある。 「あの最初のツアーだよ、ロードに出るのがどういうことなのかを俺たちに教え てくれたのは。俺たちが目指しているものが何なのか、そのテイストを味わわせ てくれたのがスコットランドだ。それは間違いないね。あそこがターニング・ポ イントだった」 (後略) Sir Paul McCartney remembers The Beatles’ first gig north of the border By Billy Sloan December 24, 2018, The Sunday Post https://www.sundaypost.com/fp/we-were-johnny-gentles-backing-band-no-one-in-the-audience-knew-who-we-were-but-no-one-knew-who-johnny-gentle-was/ -------------------------------------------------------------------------- ▼スカウスハウス・ニュース ------------------------------------------------------------------ NLW □ *** Beatleweek 2024 スカウスハウス・ツアー:参加者募集中! ****** 今年8月にリヴァプールで行われる「インターナショナル・ビートルウィーク」 観賞パッケージ『スカウスハウス・ツアー2024』の参加者募集をスタートしまし た。 おなじみのビートルズ・コンヴェンションやアデルフィでのオールナイト・パー ティー、キャヴァーン・クラブでのライヴはもちろん、レトロな雰囲気のグラン ド・セントラル・ホールでのハイ・クォリティなコンサートやマージー河向こう のニュー・ブライトンでの大きなイヴェント、ファブ・フォー4人の母校でのラ イヴ、さらにはあの伝説の「マシュー・ストリート・フェスティヴァル」プチ復 活の野外イヴェントなどなど、これでもかというくらい盛りだくさんの企画が用 意されています。 もちろんスカウス・ハウスのオプショナル企画も充実。リヴァプールとフェス ティヴァルを満喫していただけるラインナップを考えています。 初めてのかたもリピーターも大歓迎。聖地リヴァプールで開催される世界最大の ビートルズ・フェスティヴァルに、あなたもぜひ! この夏、ぜひリヴァプール でお会いしましょう! http://scousehouse.net/beatleweek/scousetour2024.html *** スカウスハウス通販:英国盤レコード ****** ザ・ビートルズを中心とした、英国盤レコードの通販です。 オーダーをいただけるとうれしいです! https://scousehouse.net/shop/records2023.html *** 現地ビートルズ・ツアー ****** スカウス・ハウスでは、ビートルズ・ファンの「聖地巡礼」の旅をサポートし ています。リヴァプールでは、22年目となった「リヴァプール・ビートルズ・ ツアー」、名所観光とランチがプラスされたお得な「ビートルズツアー+ランチ &名所観光」、「伝説のカスバクラブ・ツアー」をご用意。「現地英語ツアー (Magical Mystery Tour, Mendips & 20 Forthlin Road Tour)」の代行予約も 承ります。 ロンドンのビートルズ名所を訪ねる「ロンドン・ビートルズ・ツアー」も大好 評。イギリス旅行の際にはぜひご利用ください。 http://scousehouse.net/beatles/beatlestour_liverpool01.html http://scousehouse.net/beatles/guide_london.htm *** PLAY AT THE CAVERN! ****** スカウス・ハウスでは、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでのライヴをア レンジしています。もちろん現地コーディネートつきです。 ウェブサイトの「for ビートルズ・バンド - PLAY AT THE CAVERN!」ページを ご覧ください。 ビートルズ・バンドのみなさん、「リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演 奏する」という夢をぜひかなえてください! 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NLW ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ *** 隔週火曜日発行 *** □■ 第859号 ■□ ◆発行 SCOUSE HOUSE (スカウス・ハウス) ◇編集 山本 和雄 ◆Eメール info@scousehouse.net ◇ウェブサイト http://scousehouse.net/ ◆Facebook http://www.facebook.com/scousehouse.net ◇お問い合わせフォーム http://scousehouse.net/liverpool/form.html ご意見・ご感想・ご質問など、お気軽にお聞かせください。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ このメールマガジンは、以下の配信サーヴィスを利用して発行しています。配信 の解除やメールアドレスの変更は、それぞれのウェブサイトからどうぞ。 ◆まぐまぐ http://www.mag2.com/m/0000065878.htm ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 無断での転載を禁じます。 Copyright(C) 2001-2024 Scouse House |