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▼リヴァプール・ニュース <2017年1月9日>
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【さよならサム・リーチ】
2016年12月21日、マージービート・シーンに多大な貢献をし、ビートルズの兄貴分的な存在でもあったサム・リーチが亡くなりました。
リヴァプールの地元紙「リヴァプール・エコー」に掲載された記事を翻訳してお伝えします。

Former Beatles gig promoter Sam Leach dies at 81
Sam played a key role in the early years of the Fab Four

BY ALAN WESTON
15:15, 21 DEC 2016 UPDATED15:31, 21 DEC 2016

ビートルズのアーリー・イヤーズにおいて多大な貢献を果たした男の死が、本日アナウンスされた。
がんを患っていた元コンサート・プロモーターのサム・リーチが、81歳の誕生日を迎えて数日後である今朝、リヴァプールの自宅で死去した。
彼は1060年代初頭、リヴァプールでは名うてのプロモーターだった。ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで、リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイスといったロックン・ロール・ジャイアントたちを迎えて大きなショウを開催したこともある。
サムはブライアン・エプスタインが登場する前のビートルズに、マネージャー就任を依頼されたこともある。

1961年から1962年にかけて、彼は40本以上のギグをビートルズのためにオーガナイズした。中でも有名なのはイングランド南部になるハンプシャー州オルダーショットでのギグ(パレス・ボールルーム)で、手違いにより地元の新聞に広告が載らず、わずか18人の聴衆しか集まらなかった。

ビートルズが名声を得たあともサムは、マージービートの歴史に生涯を捧げ続けた。世界を旅して、彼の昔の子分たちの思い出を披露したりもした。
彼はマシュー・ストリートのパブ「グレープス」の常連であり、そこで著書のサイン会を行ったこともある。よくツーリストたちにファブ・フォーたちと過ごした日々のことを聞かせて、楽しませていた。

サムとサー・ポール・マッカートニーとの交流は絶えることがなく、昨年のエコー・アリーナではコンサートのあとのバックステージでも再会している。

リヴァプールでビートルズと競い合ったザ・ビッグ・スリーのメンバー、ジョニー・ハッチンソンはこう語った。
「ひとつの時代が終わったってことだ。あの時代、サムは俺たちみんなを引っ張って行ってくれた。ビートルズと同じ額のギャラをくれたもんだよ。彼がいなかったら俺たちは何んにもやれてなかったろうよ。あるいはブライアン・エプスタインがいなかったら」
「あんな人はほかにいなかった。ビートルズとの最初の頃の思い出をずっと大事にしていたよ」

ザ・キャヴァーンのダイレクターのひとり、ジョン・キーツはこう話している。
「実に悲しいニュースだ。またひとつ、キャヴァーンそしてリヴァプールのファミリー・ヒストリーにおける一部分が欠けることになった」
「サムはビートルズ初期においてキーとなる人物だった。大成功を収める前のビートルズに、リヴァプールでたくさんのショウをお膳立てしたのが彼だった」


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【さよならアラン・ウィリアムズ】
2016年12月30日、サム・リーチのあとを追うように、ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズが亡くなりました。
リヴァプールの地元紙「リヴァプール・エコー」に掲載された記事を翻訳してお伝えします。

Beatles' first manager and original Jacaranda owner Allan Williams dies
Tributes have begun to pour in for the music industry legend

BY SOPHIE MCCOID
20:18, 30 DEC 2016

ビートルズの初代マネージャーであり、ザ・ジャカランダの最初のオーナーだったアラン・ウィリアムズが死去した。86歳だった。
1960年に若かりしビートルズを車に乗せ、自らの運転でハンブルグまで連れて行った男への追悼のメッセージが続々と寄せられ始めている。ハンブルグでの厳しい武者修行があったからこそ、のちにビートルズは世界のステージへ飛び出して行くことができたからだ。

ジャカランダはFacebookに訃報を載せた。
「今日は私たちのヒストリーで最も悲しい日です。私たちのオリジナル・オーナーでありビートルズを発見した男、アラン・ウィリアムズが86歳で亡くなりました。ご家族に心よりお悔やみを申し上げます」
「リヴァプールのミュージック・シーンにおける彼の遺産は、60年が経とうとしている今も残っています。彼の思い出は、私たちのステージで演奏するすべてのバンドの中に生き続けるでしょう」
「あなたはかけがえのない人でしたよ、アラン」

キャヴァーン・クラブはツイッターで追悼のメッセージを発表した。
「アラン・ウィリアムズが亡くなったという報せを今聴いたところです。ご家族に心からのお悔やみを申し上げます」

ザ・ビートルズ・ストーリー博物館は、「ショック」という言葉で衝撃を表現した。
「アラン・ウィリアムズが亡くなったという悲報に接して、ザ・ビートルズ・ストーリーのチームはショックを受け、悲しみに暮れています」
「アランはビートルズのヒストリーにおいて多大な貢献を果たしました。ビートルズの初期、リヴァプールで世話をし、ハンブルグに連れて行ってバンドを今のような形にしたのも彼でした」
「今年の5月にアランは、彼の音楽業界における長年の貢献に対して、リヴァプール市に公式に表彰されました」

1958年、ウィリアムズはスレーター・ストリート21番地にある元時計修理店を借り受け、改装してコーヒー・バーを開店した。
彼はその店を、エキゾチックな花をつける木にちなんでジャカランダと名づけた。
ザ・ジャックは1958年の9月にオープンし、当時、近くのアート・スクールに通っていたジョン・レノンやスチュアート・サトクリフや、同じく近くのリヴァプール・インスティテュートの学生だったポール・マッカートニーらビートルズたちが常連になった。店のステージで演奏させてくれと頼む彼らに、ウィリアムズは店の改装を条件とした。レノンとサトクリフはギグの合間に絵筆を持ち、女性用トイレの壁に絵を描いた。1960年の5月から8月のあいだのことだった。


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【ビリー&ピーターのアラン追悼】
2016年12月30日に亡くなったアラン・ウィリアムズについて、DJのビリー・バトラーと元エコー記者のピーター・グラントが追悼のコメントをしています。
リヴァプールの地元紙「リヴァプール・エコー」に掲載された記事を翻訳してお伝えします。

Billy Butler pays tribute to Beatles' first manager Allan Williams
The Merseybeat legend died aged 86

BY SOPHIE MCCOID
05:00, 31 DEC 2016

BBCレイディオ・マージーサイドのパーソナリティでDJのビリー・バトラーが、86歳で亡くなったマージービート・レジェンドのアラン・ウィリアムズの死を悼んだ。
ウィリアムズ氏はジャカランダのオリジナル・オーナーであり、ビートルズの名声への道を拓いた人物として称えられている。1960年に若かりしビートルズを車に乗せ、自らの運転でハンブルグまで連れて行った男への追悼のメッセージが続々と寄せられ始めている。ハンブルグでの厳しい武者修行があったからこそ、のちにビートルズは世界のステージへ飛び出して行くことができたからだ。

ビリー・バトラーの妻はウィリアムズ氏の親戚でもある。
「アランについては、いい思い出がたくさんある。ほんとうにブリリアントなキャラクターの持ち主だったよ」
「彼はビートルズを手放した男だけれど、彼が一生懸命に働いてあのバンドを一人前にしたのは事実なんだから」
「彼とボブ・ウーラー(キャヴァーンの元DJ)はコンビでキャバレーに出したいくらいだった。あの2人がいっしょにいるとめちゃくちゃ面白かったよ」
「確かにアランはきつい性格だった。でも憎めなくてね、みんな彼のことが大好きだったんだ」
「彼はマージービートの指導者だった。ほんとうに惜しまれる」

元リヴァプール・エコーのジャーナリスト、ピーター・グラントもアランの死を悼む。
「信じられないスタミナで人生を生き抜いた人だね」
「歌もうまかったんだよ。お気に入りの飲み物 ――赤ワインに氷を入れたやつ―― を差し出せば君のために歌ってくれる」
「アランはビートルズ史で重要なパートを担った。彼の貢献は決して忘れられるべきじゃない。だってハンブルグに連れて行ったのは彼なんだからね」
「ポールもジョンも、アランについては好意的に話していた。ビートルズの催しには欠かせない重要人物だったね」
「グレープスにもよく顔を出してたね。ツーリストに人気だった」
「とにかく可笑しくてにぎやかな人だった。同時に、思いやりがあって、明るくて、そして粋な人だったよ」
「マージービートのヒストリーのうちのリアル・パートをまたひとつ失ってしまった。ただただ悲しい」


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【アラン・ウィリアムズの葬儀】
2016年12月30日に亡くなったアラン・ウィリアムズの葬儀が、2017年1月12日に行われることになりました。
リヴァプールの地元紙「リヴァプール・エコー」に掲載された記事を翻訳してお伝えします。

Details of funeral of The Beatles' first manager released
There are also plans for a celebration of Allan's life at The Cavern Club

BY PADDY SHENNAN
12:46, 5 JAN 2017

先週86歳で死去したザ・ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズの葬儀についての詳細が公表された。
葬儀は1月12日木曜日、午前11時30分にリヴァプール教区教会、アワ・レイディ・アンド・セント・ニコラスで執り行われる。それに先立ち、最寄りのホテル、チャペル・ストリートのアトランティック・タワーでレセプションが開かれる。

遺族は献花は望まず、「代わりにマクミラン・キャンサー・サポート( www.macmillan.org.uk )へ寄付をしていただけるとありがたい」と話している。

アランの生涯を祝うセレブーレーション・イヴェントも企画されている。
マシュー・ストリートのキャヴァーン・クラブで、彼の87歳の誕生日にあたる2月21日に行われる模様で、詳細は後日あらためてリリースされる。

1960年から1961年にかけてファブ・フォーのマネージャーを務めたアランは、ここリヴァプールのみならず、バンドを飛躍的に成長させることになるハンブルグで演奏の機会を与えた。彼はまた1958年にスレーター・ストリートにコーヒー・バー、ザ・ジャカランダをオープンした。

彼は以前、リヴァプール・エコーにこう語っている。
「わしは常にビートルズのことを誇りに思っとる。あの世界一有名なグループの、ほんの小さな歯車の一部だった自分も誇らしいし、幸せでもある。『自分もそこに居たかった』と何人の人間にうらやましがられたことか。実際あれはほんとうに楽しい時代だった。わしらの誰も歴史を作ってるなんてまったくわかってなかったがね。とにかくいい時代だったよ。わしには後悔はひとつもない。あれはとびきりエキサイティングな日々だった」

ビートルズがのちにブライアン・エプスタインをマネージャーにしたことについて、アランはこう話した。
「ブライアンにジェラシーを感じたなんてことはないさ。やつは完璧なジェントルマンだったよ。ブライアンがやったことをわしが出来るわけがない。なぜってわしはキリギリスみたいな性分だ。あんなでかいビジネスをあんなに上手に扱えるわけがなかろうよ」

(2017年1月9日)



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