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リヴァプール・ニュース
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街のトピックス・その他
【誰にも見つけてもらえない家】
ブートルのプロヴィンス・ロードの34番地に住む49歳のスティーヴン・ホランさんは、家のことで悩んでいます。
家の立地や、内装や建築の状態が不満なのではありません。この家の存在自体に、いや、この家が存在しないと思われていることに、悩みの種があるのです。
6年前にこの家に越してきてからというもの、タクシーを呼んでもドライヴァーは来ないし、食べ物のデリヴァリーを頼んでも配達の車は近所まで来て迷子になります。役所の登録から漏れてしまっているために、選挙の投票用紙は送られてきません。もちろん衛星のナヴィゲーション・システムでは検索不能です。
同じ通りにある1番地から30番地の家は、存在を疑われたことはありません。ホランさんの住むテラス・ハウスだけが、誰にも気がついてもらえないのです。
いちばんの原因は、プロヴィンス・ロードのいちばん端にあるこの家が、孤立していることです。となりの32番地だった場所は、10年ほど前に取り壊されて跡地が通路になってしまいました。このせいで、プロヴィンス・ロードは30番地で終わっているように見えるのです。しかもさらに紛らわしいことに、ホランさんの家は、となりのモーファ・ロードに面した家とくっついているように見えるのです。
というわけで、プロヴィンス・ロード34番地の存在に、誰も気がつかないという状態になってしまったのです。
ホランさんはこう話しています。
「この34番地に住んでたら、ほんと頭が痛くなるよ。しょっちゅう、あなたの家は存在しませんって電話がかかってくるんだよ。こっちはその家の中で電話をとってるってのに」
「ドライヴァーがたどり着けなくて3回も車を出したタクシー会社もあったし、宅配の車はこの家を見つけられなくてそのへんをぐるぐる回ってるしで、ほんとたいへんだよ」
「電話線の取り付けを頼んだときもBTの作業員が道をうろうろさまよってたらしくてね、たまたまそれを見た友人が察してくれて、彼に僕の家の場所を教えてくれたんだよ」
「まあありがたいことに、郵便屋さんは僕の住んでるところを知ってくれてるから、郵便だけはちゃんと受け取れてるけどね。でも住所不定みたいな状態だから、いろんなところで信用を失くしたよね」
「笑いのネタにできると思えばおいしいんだけど、でももし具合が悪くなって救急車を呼ぶ羽目になんかなったりしたら…なんて思うとね。それこそ笑えない話にになりそうだよね」 (12月3日)
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【復活を願って】
ウールトン・ヴィレッジにある映画館「ウールトン・シネマ」が、78年の歴史に幕を閉じました。
今年6月、ウールトン・シネマのオーナー、デイヴィッド・ウッドが59歳で亡くなったことにより、未亡人のフラーはシネマの存続は困難と判断し、閉館を決心しました。
9月3日、午後7時30分から、最後の映画が上映されました。
特別なセレモニーは何もなく、普段と変わりない、いつもどおりの上映となりました。
古き良き時代の面影を残す客席には、およそ185人の観客と20人のスタッフが座り、「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン2:デッド・マンズ・チェスト」を一緒に観ました。
マナージャーのジュディ・ボールは、映画のインターヴァルの間に、スナック・トレイで、ウールトン・シネマ最後のアイスクリームを売り切りました。このシネマの常連たちに愛された、1950年代風の伝統的なスタイルです。
終了後、ジョディはこう話しています。
「何か記念になることをしたいと思う反面、派手にはしたくないって気持ちでもあったの。誰かが亡くなったからクローズするわけでしょ。だから追悼のアトマスフィアはキープしたかったのよ」
「スタッフにとっては悲しい夜よね。常連の何人かにとっても。でもみんな楽観的でいようとしてるわ。だってわたしたちみんな、これをファイナル・エンディングにしたくないって思ってるから」
ウッド・ファミリーとシネマのスタッフたちは、ウールトン・シネマの銀幕に再び光が灯される日が来ることを願っています。
ウッド夫人の元には、現在、映画館として興味を示す7つのバイヤーと、再開発を希望する1つの企業からのオファーが届いているそうです。
ウッド・ファミリーがシネマの経営を始めたのは、およそ100年前に遡ります。
1908年のボクシング・デイに、亡くなったデイヴィッド・ウッドの祖父が、ウォルトンに「べドフォード・ホール」というリヴァプール初の映画専用のホールをオープンしたのがそもそもの出発点でした。
べドフォード・ホールは大成功し、「べドフォード・シネマ」チェーンとして、次々に新しい映画館がオープンしました。その中には、ジョン・レノンのいちばんのお気に入りの映画館だったウェヴァトリーの「アビー・シネマ」も含まれていました。
しかし、デイヴィッド・ウッドの代になると、映画の配給事業の方に興味を持っていた彼は、シネマの経営をほとんどやめてしまいました。
そのデイヴィッドが、唯一、情熱を持ってシネマの経営にあたったのが、ウールトン・シネマだったのです。彼は1992年にこの歴史のあるシネマを買収しました。
ウールトン・シネマは、1927年のボクシング・デイに、「ザ・ピクチャー・ハウス」の名前でオープンしました。
シングル・スクリーンでキャパシティは256席という小さな映画館です。
ジョンが通っていた教会であり、ポール・マッカートニーと出会った場所でもあるセイント・ピーターズ教会のすぐ近くにあります。
このシネマのあるウールトン・ヴィレッジは、少年時代のジョン・レノンが毎日のように遊びに来たところです。映画好きであったジョン・レノンのことですから、きっとこの映画館に何度も足を運んだことでしょう。
最後の上映の後、ウールトン・シネマの電話ではこんな録音メッセージが流されています。
「ウールトン・シネマにお電話くださり、ありがとうございます。たいへん残念ですが、現在このシネマは閉館中です。これまでのご愛顧に感謝するとともに、またお会いできることを心より願っております」 (9月17日)
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【次は7年後?】
先週、ウィラルのホイレイクにあるロイヤル・リヴァプール・ゴルフ・クラブで行われた第135回の全英オープンには、大会史上最多となる23万人もの観衆が集まりました。
このコースで全英オープンが開催されたのは、今回をあわせて11回です。
いちばん最近は、なんと39年前となる1967年。優勝カップ「クラレット・ジャグ」を掲げたのはロベルト・デ・ビセンゾで、獲得賞金は2100ポンドでした。
今年優勝したタイガー・ウッズが獲得した賞金は72万ポンドです。単純比較で、40年のうちに300倍以上にもなりました。
今回の開催の大成功により、次は39年も待たなくてもよさそうだと、地元では早くも次回招致への期待が高まっています。
大会を主催するR&Aのスポークスマンは、こう話しています。
「前回からおよそ40年ぶりの開催となりましたが、私たちはウィラルでのオープンが大成功を収めることを確信していました。そのとおりの素晴らしい大会になりましたね。タイガー・ウッズの優勝も花を添えました」
ウィラル・カウンシルのリーダー、スティーヴ・フォークスは、この大会を成功させるためにあらゆる手を尽くし、それがすべてうまく行ったと語りました。
「まだ確定というわけではないですが、再びここで開催されるのもそんなに遠い将来ではないみたいですね」
「ザ・マージー・パートナーシップ」のマーク・バスネットは、マージーサイドを世界に宣伝することができたと語っています。
「今でもマージーサイドに対して20年前の認識を持っている人もいますからね。私たちにとって困難な時代、あの80年代のイメージです。今現在のありのままの姿を世界中の人々に見てもらえたのはよかったです」
R&Aのチーフ・エグゼクティヴ、ピーター・ドーソンは、将来またこのコースで全英オープンを開催すると語っています。
「またここに戻って来ていいと言ってもらえるなら、最高ですよ」
「ここでの大会は、最もワンダフルなオープンのひとつになりました。開催が決まったのは5年も前ですが、それでもこのコースの素晴らしさには感銘を受けました。それにまた、ウィラル・カウンシルやマージーサイド・ポリスの協力もファンタスティックでした」
「個人的にちょっと心配していたことはいくつかあったんですけどね、例えば駐車場の場所が遠いとかね、でもどれも杞憂に終わりましたよ」
来年の全英オープンは、スコットランドのカーヌスティで開催されます。
その翌年の2008年は早くもマージーサイドに戻り、サウスポートにあるロイヤル・バークデールでの開催が決まっています。
2009年はスコットランドのターンベリー、そして2010年は本拠地セント・アンドリュースに戻ります。
その後はまだ正式決定ではありませんが、ノース・ウエストの第3のコース、ロイヤル・リザム・アンド・セント・アンズに行き、さらにもうひとつスコットランドのコースを挟んだ後に、ウィラルに帰って来るのではないかと期待されています。
つまり最短で2013年、7年後にまたホイレイクのロイヤル・リヴァプールで全英オープンを観ることができるかもしれません。
大会のダイレクター、デイヴィッド・ヒルはこう話しています。
「何もかもが際立っていましたね。すごくポジティヴでした。プレイヤーたちはみんなこのコースを気に入っていましたし、私たちはみんな、ウィラルやマージーサイドの人々から素晴らしい歓迎を受けました。他のどこよりも引けをとらないくらいのね」
トーナメントに参加した多くのゴルファーたちからも、今回の大会は絶賛されました。
優勝したタイガー・ウッズも、
「今までで最もグレイトなチャンピオンシップのひとつでしょうね」
と語っています。 (7月29日)
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【全英オープンは大成功】
7月20日から23日まで、ウィラルのホイレイクにある「ロイヤル・リヴァプール・ゴルフ・クラブ」で行われた今年の『全英オープン』は、過去最高の23万人の観衆を集め、大成功のうちに閉幕しました。
優勝したタイガー・ウッズは72万ポンド(約1億5000万円)を獲得しましたが、お祝い気分は彼だけではありません。
マージーサイドの観光局も、この大会の開催で1億ポンド(約220億円)以上もの経済効果があったと発表しました。
ホイレイク周辺のエリアだけに限っても、800万ポンド(約17億6000万円)の経済効果があったとされ、このうち参加したゴルファーたちが127万ポンド(約2億8000万円)、メディア関係者が400万ポンド(約8億8000万円)をこの地域で使ったと計算されました。
ウィラルの商工会議所のチーフ・エグゼクティヴ、ケン・デイヴィーズはこう話しています。
「ツーリストやゲストのおかげで、ウィラルの経済効果は8000万ポンド(約176億円)くらいあったと、私たちは見積もっています。利益がどのくらいになるのかについては、まだこれから計算しないといけませんけどね。でもほんとうによくやったと思いますよ」
「今回来てくださったみなさんには、また家族や友人を連れて戻って来ていただきたいですね。そうすると、これからさらに何億ポンドももたらされるってことになりますね」
「実際に足を運んだ人以外にも、TVで1億人以上の人がこの大会を見たわけですからね、これでウィラルはツーリスト・マップに返り咲くのは確実じゃないでしょうか」
「マージー・パートナーシップ」のツーリズム・スキル&ディヴェロップメント・マネージャー、カレン・イリングワースはこう話しています。
「たくさんのレストランから、たったの1日で通常の1週間分の利益になったって聞いています。たいへんな成功でした。普通なら目立たない小さなところでさえ大繁盛でしたものね」
ホイレイクにあるレストラン「ル・ブールヴァード」のオーナー、トニー・ダーネルはこう話しています。
「タイガー・ウッズ以外は全員来てくれたんじゃないかな。期待以上なんてもんじゃないよ!」
「リヴァプール・エコー」紙に、この大会期間中の飲み物や食べ物の消費量が掲載されています。
ビール…40万パイント
紅茶…25万カップ
ミネラル・ウォーター…27万本
フィッシュ&チップス…9万8000人前
サンドウィッチ…2万食
シャンペン…5000本
(7月26日)
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【全国第6位】
観光ブームのまっただ中にいるリヴァプールですが、昨年の海外からの訪問者数は、前年のほぼ2倍を記録したそうです。
これは英国の国立統計局からの発表によるもので、2005年に海外からリヴァプールを訪れた人は、43万8000人でした。2004年の21万人を大きく上回っています。
この数字により、英国全体の観光地のランキングで、リヴァプールは10も順位を上げて、第6位に急上昇しました。オックスフォードやバース、ケンブリッジなどといった超有名な観光地よりも上位です。
「マージー・パートナーシップ」の観光部門の責任者、ポール・ウィルシャーはこう話しています。
「こんなにも数字が伸びたのにはさまざまな理由が挙げられますが、やはりキャピタル・オブ・カルチャーが主な要因ではあるでしょうね。あれでこの街と地域の注目度がぐんと上がりましたからね」
「でもそれだけじゃなくて、リヴァプール・ジョン・レノン空港も大きなファクターです。東ヨーロッパやスペインからのヴィジターが、ものすごく多いですからね」
「それから、スポーツのイヴェントですね。グランド・ナショナルや全英オープン、リヴァプールFCのチャンピオンズ・リーグの成功などが、かなり貢献していると思います」
「海外からの観光客がリヴァプールに滞在する期間は、延長傾向にあるんですよ。観光アトラクションにとっては有利ですね。『ビートルズ・ストーリー』は昨年、過去最高の入場者数を記録しました。そしてその多くが、インターナショナルなヴィジターだったんです」
「私たちは、ツーリズムが成長し続けるような計画を練っています。絶対確実なものがないのが観光ですけどね、テロリズムとか為替レートとか、あらゆるグローバルなファクターがからんできますから。ですがたくさんの要素をうまく見極めて成長を続けて行けると思います」
マージー・パートナーシップの調査によると、リヴァプールを訪れた人のうち98%が「他人にもすすめたい」と回答し、83%が「2008年までにまた訪れたい」と回答しています。
リヴァプール・シティ・カウンシルのウォーレン・ブラッドリーはこう話しています。
「ツーリズムは今や我々の最大の産業のひとつであり、かなりの収益をもたらしています。この街を歩けば、誰もがそのことを実感するでしょう。ここは一度観光で来たら、また戻って来たくなる街だと我々は信じています。ビジネスで来た人も、次は観光で来てみたいと思うし、観光で来たなら来たで、今度はもっと長い滞在で来ようと思える、そんな街なのです」
「できれば来年はトップ2に入って、そして2008年にはトップに立てればいいですね」
リヴァプール・ジョン・レノン空港のコミュニケーションズ・マネージャー、ロビン・チューダーはこう話しています。
「この数年で私どもはドラマティックな成長を遂げました。この空港はもはや、週末の格安旅行に利用するだけのものではないのです」
「私どもの空港は現在、60の都市と結ばれています。10年前はわずかに3都市でした」
「リヴァプールの名前はみなさんご存知だったでしょうが、チャンピオンズ・リーグ優勝などの大きなイヴェントで、より有名になったと思います。この街で学ぶ学生や、ヨーロッパから来て就職する人、それから友人や家族を訪ねて来る人もかなり多いですね」 (7月21日)
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【ニューヨークへの直行便】
リヴァプールとニューヨークを結ぶフライトが、来年5月から就航することになりました。
グラスゴーの航空会社 Flyglobespan がオペレートする189席のボーイング757が、毎日午後0時30分にリヴァプール・ジョン・レノン空港を離陸し、翌日の午前7時45分にニューヨークのニューアーク空港から戻ってきます。
最低の片道料金は、£149(約3万2000円)となるそうです。
年間13万人の搭乗者が見込まれていて、そのうち4万人はアメリカからの観光客になると予想されています。
フライグローブスパン社のチェアマン、トム・ダルリンプルは、「リヴァプール・エコー」紙にこう語っています。
「リヴァプール・ジョン・レノン空港からのこのフライトを実現でたこと、また、マージーサイドの人々に、世界でもっともエキサイティングな都市のひとつに、これほどのファンタスティックな価格で旅行していただくチャンスを提供できたことに、私自身、たいへん嬉しく思っています」
「私たちはまた、このフライトが、大西洋の両側の都市の経済界にも好意的に受け止められることを期待しています」
もちろん、このニュースはリヴァプールのの経済界に大歓迎されています。
シティ・カウンシル・リーダーのウォーレン・ブラッドリーはこう話しています。
「最高にブリリアントなニュースですよ。我々の発展には、アメリカからの観光収入はとても重要ですからね。これでピースが全部揃ったということですね」
リヴァプール商工会議所のチーフ・エグゼクティヴ、ジャック・ストップフォースはこう話しています。
「私たちは、これによってマージーサイドに数百万ポンドの経済効果があると予想しています。個別に見ると、アメリカはダントツで大きなマーケットですからね、我々のビジネスにおいては」
気の早い「リヴァプール・エコー」は、早速、ニューヨークでの5つの「マスト・ドゥ」を掲載しています。
1.ニューアークからホテルには、イエロー・キャブを使おう。それがマンハッタンをヒットするベスト・ウェイだ。
2.フェリーに乗って、自由の女神とエリス島に行くこと。
3.リトル・イタリーとチャイナタウンで食事を楽しもう。
4.セントラル・パークに行って、ジョン・レノンの自宅近くにある追悼の場所「ストロベリー・フィールズ」を見ること。
5.マジソン・スクエア・ガーデンのツアーに参加すること。
このフライトは、2007年の5月25日、リヴァプールの市制800年の記念日にスタートします。 (7月7日)
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【サファリ・パークのベイビー・ブーム】
ノウズリー・サファリ・パークが、ベイビー・ブームに沸いています。
毎年新生児で賑わうこの季節ですが、今年は過去最高の出産ラッシュとなっています。わずか2週間の間に50を超える赤ちゃんが誕生しました。出産ラッシュはまだまだ続いています。
今年のトップ・ニュースは、「ペレ・デイヴィッドの鹿」と言われる、世界で最も珍しい鹿の一種の赤ちゃんが20頭以上も産まれたことでした。
サファリ・パークのゼネラル・マネージャー、デイヴィッド・ロスはこう話しています。
「ノウズリーで記録的に動物たちが増えていることを、誇りに思います。ここには世界中から動物たちがやって来ているわけですが、この広々とした場所で、彼らがハッピーに暮らしてくれているっていうことですからね」
「希少種や絶滅危惧種の出産がいくつもあったことにも、私たちは喜びを感じています。
ロス氏はさらに、白サイの出産が間近なこと、2頭の象が妊娠していることも付け加えました。
ノウズリーは、英国に5つあるサファリ・パークのうちのひとつで、今年36回目のシーズンを迎えています。
近年人気のアトラクションとなっていて、昨年は70年代初め以来、およそ30年ぶりに50万人を超える入園者数を記録しました。 (6月21日)
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【ラムバナナの心の故郷】
リヴァプールの人々に愛されている Superlambanana の、ガーストンへの移設が検討されています。
このユニークな形をした巨大な黄色い像は、1998年に日本人彫刻家「タロー・チエゾー」によって作られました。以来、ウィリアムソン・スクエアや、ワッピングなどシティ・センター各地を転々とし、昨年からは John Moores University の敷地に置かれています。
ガーストンはリヴァプール郊外のマージー河沿いの街で、シティ・センターからおよそ10km ほど南にあります。リヴァプールの空の玄関、ジョン・レノン空港は、ガーストンからさらに5kmほど南のスピークにあります。
公聴会に出席したカウンシル・リーダーのウォーレン・ブラッドリーはこう話しています。
「私たちは『イエロー・サブマリン』をスピークのジョン・レノン空港に移したところで、今度はガーストンにラムバナナがやって来るなんて、グレイトなアイデアだと私は思いますね」
「スーパーラムバナナ」を招致しようとしている Garston Cultural Village は、ガーストンはラムバナナの「心の故郷」であると主張しています。
「ガーストン・カルチュアル・ヴィレッジ」のコーディネーターを務めるアーティストのアレックス・コリーナは、こう話しています。
「グレイト・ニュースだよ。ラムバナナはガーストンとリヴァプールを象徴するアイコンなんだ。だってラム(羊)を輸出してバナナを輸入して来た歴史を、ユーモアにくるんで合体させちゃってるんだから」
「ガーストン・ドックがラムの輸出とバナナの輸入のルートだったってこと以外にも繋がりがあるんだ。この像自体、ガーストンにあったブライアント&メイっていうファクトリーで作られてるんだよ」
アレックス・コリーナは現在のリヴァプールを代表するアーティストのひとりで、モナ・リザの顔をジョン・レノンにしてギターを持たせた作品 "Mona Lennon" で知られています。 (6月2日)
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【ポップ・アートの巨人が描くリヴァプール】
ブリティッシュ・ポップ・アートのパイオニア、サー・ピーター・ブレイクが、リヴァプールのために8つの作品を制作することになりました。
2008年の「キャピタル・オブ・カルチャー」を祝うためのもので、リヴァプールが2003年から2010年までの各年に設けたテーマに沿ったシルクスクリーン作品が発表されることになっています。すべて、20世紀前半の旅行ポスターのイメージで制作されます。
その最初の2作品が、5月26日の「デイリー・ポスト」紙上で発表されました。
1つ目は 'THE SEA' で、マージーフェリーとリヴァプールのウォーターフロントの「3グレイシズ」がフィーチャーされています。空にはカモメが飛んでいます。2つ目の作品は 'PERFORMANCE' で、ゴルフ・コースのシーンが描かれています。ウィラルのホイレイクでは今年全英オープンが開催されることになっています。
今後は、今年の秋から冬にかけて 'FAITH' と 'LEARNING' 、2007年の春から夏に 'HERITAGE' と 'INNOVATION' 、2007年の秋から冬に 'ENVIRONMENT' と 'CULTURE' と続くことになっています。
それぞれのプリント版が、350部限定で製作・販売されます。
リヴァプール在住のアーツ・コンサルタントで、今回ピーター・ブレイクとの交渉に協力したリディア・ベイツは、こう話しています。
「サー・ピーターがこの街に愛着を持ってくれていることが、ほんとによく現れてると思うの。彼の才能って、親しみやすくしたり、ちょっとひねってイメージを際立たせたりするところにあるのよね。見る人が思わず微笑んでしまうような」
サー・ピーター自身は、こう語っています。
「何がこの街をこんなにグレイトにしたかったことを考えるとだね、それは善意だと思うんだな。ライム・ストリートに到着した途端、歓迎されてるように感じるんだ。実にリラックスさせてくれる街、とも言える」
「キャピタル・オブ・カルチャーになることは、ものすごく大きいことだよ。この街のカルチャーがもっと拡大するし、今やってる街の再生にもプラスだ。さらには他の街からたくさんの文化的なヴィジターがやって来るわけだから」
ダートフォード出身で現在72歳のピーター・ブレイクは、2002年に「ナイト」の爵位を授かりました。
英国を代表するポップ・アーティストで、1967年に発表されたビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットをデザインしたことでも有名です。
2000年には、アルバート・ドックの「テート・リヴァプール」で、ピーター・ブレイクの作品展“ABOUT COLLAGE”が開催されています。 (5月28日)
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【ケインズのスタウト!】
リヴァプールのブリュワリー「ケインズ」が、スタウトを新発売することになりました。
スタウトといえば、アイルランドの「ギネス」と「マーフィーズ」が世界的に有名ですが、ケインズはこの2大ブランドに挑戦しようという意気込みです。
ケインズの創業者ロバート・ケインはアイルランドのコーク出身なので、このケインズのチャレンジはルーツに立ち戻る意味もあるのかもしれません。
この新製品「ケインズ・クリーミー・スタウト」は、すでにケインズ直営のパブで販売されており、好評なのだそうです。
現在のオーナー Sudarghara Dusanj は、新スタウトについてこう語っています。
「違う味わいを出そうと思ったんですよ、私たちは。トラディショナルな醸造法でのままでね」
「ぱっと見は今出回っている他のスタウトとおんなじかもしれない。でもね、エレガントでやわらかなんですよ。ブラック・ベルベットみたいな舌ざわりでね、素晴らしくクリーミーで、芳醇で、チョコレートのような味わいがあるんです」
「そういう味わいなんですよ。大手が出しているスタウトってのは、苦いか甘いかどっちかしかないですからね、私たちはその中間を目指したんです」
「このブリュワリーはかつて、スタウトで評判を取っていましたからね。その昔の味を復活させることにも意義はありますよね」
CAMRA( Campaign for Real Ale )のマージーサイド支部長、スティーヴ・ダウニングも絶賛しています。
「ケインズのクリーミー・スタウトは、このブリュワリーのファンタスティックな新製品だと思いますよ」
「昔のケインズの素晴らしいスタウトの味を覚えてます。これはより飲みやすいブリューになってますね。でもコクはあるし、ローストの風味もいいし、個性的です」
「これなら人気が出るでしょうね、きっと」 (5月20日)
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【基地に着陸】
リヴァプール・ジョン・レノン空港を飛び立ったジェット機が、機長のミスで間違った場所に到着するハプニングがありました。
このライアンエアーのフライトの目的地は、アイルランドのシティー・オブ・デリーでした。
シティ・オブ・デリー空港の管制塔より目視での飛行指令が入ったとき、フライトER9884は、アイリッシュ海を航行中でした。
しかし機長が飛行機を着陸させたのは空港ではなく、その5マイル手前地点にあるバリケリーの空軍基地でした。
着陸直後、勘違いに気がついた機長は乗客に謝り、コーチを手配して39人の乗客と6人のクルーをシティー・オブ・デリー空港に送り届けました。
同時に、この航空機エアバスA320は、直ちに航空庁によるナヴィゲーション機器の検査を受けることになりました。
このフライトは、シャノン空港をベースとするエールジェットの代行としてライアンエアーが飛ばしたもので、機長もエールジェットのスタッフでした。
「レイディース、アンド、ジェントルメン。私たちは間違った空港に着陸しました。ご迷惑をお掛けいたします」
という機長からのアナウンスがあったとき、乗客からは笑い声が上がりました。みんな、機長がジョークを言っていると思ったのです。
乗客のひとりはこう話しています。
「着陸してすぐに、機長が謝ったの。エアポートを間違ったかもしれませんって」
「みんな笑ったわ。てっきりジョークだと思って。でも外を見たら、そこらじゅうに基地があるじゃない。アンビリーヴァブルよね。空軍の隊員たちもびっくりしたんじゃないかしら。出て来て写真撮ってたわ」
ライアンエアーのスポークスマンはこう話しています。
「今回のことは、エールジェットのパイロットが、シティ・オブ・デリー空港と思い込んだことによる勘違いの結果、引き起こされたことです」
「このエールジェットのパイロットは、シティ・オブ・デリー空港の管制塔から目視航行の指令を受けていました。そして、近くのバリケリーとシティ・オブ・デリーを間違ってしまったのです」
「すべての乗客は、コーチに乗ってシティ・オブ・デリー空港に到着しました」
「私どもは、エールジェットとこの航空機のオペレーターに徹底的な調査を要請しました。シティ・オブ・デリー空港にライアンエアーが入って7年以上、あるいはライアンエアーがフライトの運行を始めて20年以上ですが、これまでこのようなミステイクが起きたことは一度としてありません」 (3月31日)
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【ミュージアム大人気】
入場料を撤廃して以降、リヴァプールのミュージアムを訪れたヴィジターの数が、129%もアップしたそうです。
撤廃前の12ヶ月の入場者数は、69万4197人でした。1日あたりにするとおよそ2000人ですから、この数字でも決して悪くはありません。しかし撤廃後はさらに入場者を増やし、昨年1年間の入場者数は、なんと158万9500人でした。1日あたり4300人以上です。
この数字は、「ナショナル・ミュージアムズ・リヴァプール」を構成する8つのミュージアム&ギャラリーの入場者の合計です。
「ナショナル・ミュージアムズ・リヴァプール」に含まれるのは、「ワールド・ミュージアム・リヴァプール」、「ウォーカー・アート・ギャラリー」、「マージーサイド・マリタイム・ミュージアム」、「レイディ・リーヴァー・アート・ギャラリー」、「サドリー・ハウス」、「コンサヴェーション・センター」、「カスタムズ&エクサイズ・ナショナル・ミュージアム」、そして「ミュージアム・オブ・リヴァプール・ライフ」です。
「ナショナル・ミュージアムズ・リヴァプール」のダイレクター、デイヴィッド・フレミングはこう話しています。
「私どもは、ミュージアムはすべての人に、分け隔てなく無料であるべきだと固く信じています。そして、訪れる人に素晴らしい体験をしてもらうべきだと」
「『ワールド・ミュージアム・リヴァプール』などは、この4月でオープン1周年を迎えますが、最初の1年の入場者数が50万人を突破しそうです。ユニークなコレクションとエキサイティングなディスプレイ、献身的で愛想のよいスタッフ、テンポラリーなエキシビション企画、こういったものの相乗効果で、人々の関心を惹きつけることができたんでしょうね」
「ワールド・ミュージアム・リヴァプール」は、元は「リヴァプール・ミュージアム」でした。
3500万ポンド(約73億5000万円)をかけて大改修し、展示スペースをおよそ2倍に拡張して、昨年4月に新装オープンしました。
「サドリー・ハウス」と「コンサヴェーション・センター」は、現在改装のため閉館中です。 (3月25日)
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【禁煙がんばってます】
英国政府が推し進める禁煙運動で、リヴァプールは優秀な成績を収めています。
2003年から今月末までの間に1万1500人に喫煙をやめさせる、という政府からの数値目標を、リヴァプールは1ヶ月早く達成してしまったのです。
NHS(国民健康保険)の地方局であるプライマリー・ケア・トラストが発表した数字では、セントラル・リヴァプールで6792人、サウス・リヴァプールで2189人、ノース・リヴァプールで2557人が禁煙プログラム 'FagEnds' に参加しています。
地元の関係者たちは、当然このニュースを歓迎しています。
「ロイ・キャッスル・ラング・キャンサー・ファウンデーション」のクリス・オーウェンスはこう話しています。
「たいへん嬉しいことです。ここが全国的に優秀な効果を上げている地域だということの証明ですし、また、リヴァプールでの我々の活動がうまく行っていることがわかってもらえると思います」
「煙草をやめたすべての人にとってのグッドニュースですよ。肺がんや、喫煙が原因とされるその他の疾患に罹るリスクを劇的に減らすことになるわけですからね」
「ハート・オブ・マージー」でスモークフリー・プログラムのマネジャーを務めるピッパ・サージェントはこう話しています。
「こんなにもたくさんの人が煙草をやめようとしているなんて、素晴らしいですね。このトレンドがずっと続くことを願いたいものです」
禁煙プログラム 'FagEnds' に参加して8週間になる、35歳のジェイン・アーミテージはこう語っています。
彼女はそれまで1日20本の煙草を吸い、年間で1825ポンド(約38万円)を使っていました。
「煙草のせいで歯も悪くしてたし、ぜん息も悪化して好きなキック・ボクシングも出来なくなってたのよ。でも今はすっかり調子もいいし、スタミナもばっちりよ。やっぱり煙草は絶対やめるべきだったんだって痛感してる」
「これまでは、仕事から家に帰ってからの夜の時間帯がすごく辛かったんだけど、今はジムに通ってるのよ」
「今はニコチン・パッチを使ってるんだけど、ファグエンズはものすごく助けてくれてるわ。毎週行くたびに禁煙が続いてることをほめてもらえるし、また1週間がんばろうって気になるのよ。ファグエンズのスタッフはファンタスティックなの。禁煙を考えてる人みんなに勧めたいわ」 (3月18日)