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リヴァプール・ニュース
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2006年9月&10月
【ビートルズの椅子に200万円】
10月26日、サウスポートで、BBCの長寿人気番組「アンティークス・ロードショウ」の収録が行われました。
その街に住む人々が自宅にあるアンティークを持ち寄って専門家に鑑定してもらうというこの番組、会場となったフローラル・ホールには、早朝から2500人以上の人々詰めかけました。
記録的な大盛況を目のあたりにしたBBCの上層部は、2週に分けての放送を検討しているそうです。
持ち込まれたアンティークの中で最も珍しいもののひとつが、「ビートルズが使用したペアのバーバー・チェアー」でした。
「ボナムズ・オークショナーズ」の鑑定士ジョン・バダレーは、この椅子に、1脚につき1万ポンド(約226万円)の値をつけました。
また、サウスポートのレストランが5ポンド(約1200円)で購入した木製の電話ボックスには、1000ポンド(約22万6000円)の値がつけられました。
「アンティークス・ロードショウ」のスポークスウーマン、オルエン・ガレスピーは、こう話しています。
「今回のサウスポートでは、記録的にたくさんの人々が集まってくださいました。これまでで最高ににぎわったロードショウのひとつですね」
「素晴らしいアイテムがたくさんありましたから、2週に分けることになるかもしれません」
「ザ・ビートルズが使ったバーバー・チェアーは、最も興味深かったもののひとつですね。ビートルズにちなんだものは他にもたくさんありました」
「持ち込まれたアイテムのクォリティはとても高かったですね。あの珍しい木の電話ボックスを見ることができたのは素晴らしかったです」
サウスポートのフローラル・ホールが「アンティークス・ロードショウ」の会場になるのは、1982年以来で、24ぶりのことでした。
セフトン・カウンシルのツーリズム・マーケティング・マネージャー、スティーヴ・クリスチャンはこう話しています。
「アンティークス・ロードショウ」がサウスポートにやって来たというのは、素晴らしいニュースですね。地域の住民が喜んで終わりじゃなくて、この街を全国的に宣伝することができたと思います」
「この街は今、ドラマのロケ地としてどんどんポピュラーになって来ています。あの "Coronation Street" や "Hollyoaks" 、他にもたくさんの人気番組がここで収録されていますからね」
サウスポートで収録された「アンティークス・ロードショウ」は、来年2月4日にBBC1で放映される予定です。 (10月29日)
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【ショーン・レノン インタヴュー】
来月にリヴァプールでコンサートを行うショーン・レノンが、地元紙「リヴァプール・エコー」のインタヴューに答えています。
以下に抜粋して紹介します。
(10月9日に31歳になったショーン。父ジョンと同じ誕生日であることについて)
「僕にとってはやっぱり特別な日だね。誕生日にはいつも、親父のことをいろいろと考えちゃう」
「365分の1の確率なんだろうけどね、でもあの親父と同じ日に生まれたってことは嬉しいな」
(ファースト・アルバム『イントゥ・ザ・サン』以来、なんと8年ぶりの新作『フレンドリー・ファイア』をリリースしたばかりのショーン。しかし彼は、ヒットチャートでの成功にはまるで興味がないと言います)
「僕はスターなんかじゃないよ、ぜんぜん」
「自分で自分のプロモートをするのって、すごく面倒くさい。大嫌いだ。絶対無理ってわけじゃないけど、すごく居心地の悪い思いを我慢しなきゃいけない」
「っていうか、僕は自分がコマーシャルな人間だとは全然思ってないんだよ。だからそういうゲームには参加するつもりはない」
(ジョン&ヨーコの息子としてのプレッシャーについて)
「ダッドみたいにならなきゃってプレッシャーは感じないな、正直言って。うまく言えないけど、僕に対する偏見みたいなのを感じるのは、批評とかで、僕がレノンの息子ってことにこだわってる人が何か書いてるのを読んだ時くらいだよ」
「とは言っても、曲を書いたり演奏したりってのが今の僕の日常生活なわけで、結局親父と同じようなことをしているわけだよね。でも、誰かの期待に応えるためじゃない。そういうプレッシャーは僕にはないよ」
(リヴァプールについて)
「リヴァプールには2度ほど行ったことがあるんだけどね。わかってもらえるかな、僕にとっちゃ実にヘヴィーなことなんだよ。どうしたってダッドを亡くしたことの大きさみたいなものを突きつけられることになるから。それにイングランドには親しい知り合いがいるわけじゃないから、リヴァプールでひとりぼっちってことになる。で、こう感じることになる。ワオ、ここは僕のヒストリーや僕のダッドにとってものすごく大事な場所だ。けれども、僕からは取り上げられてしまった」
「取り上げられてしまったってのは適切な言葉じゃないかもね、でも、少年の頃の僕が失ってしまったものなんだよね」
(そう言った後ショーンはしばらく考え、言葉を継いだ)
「リヴァプールはね、ダッドがいない喪失感みたいなものを僕に意識させるところなんだ」
「もし親父が生きていれば、きっとリヴァプールのことを話して聞かせてくれただろうし、連れて来てもくれただろう。そう思う。僕にとってはいろんな意味を持った場所なんだ」
「でも、ビートルズを抜きにしても、リヴァプールは今もヒップな音楽の街であるのは事実だよね」
(亡き父とは、彼の残した音楽を聴くことによって一体感を感じることができるとショーンは言います)
「たくさんの音楽を残してくれたのはラッキーかなって思う。だって愛する人を失った人で、僕ほどたくさんの思い出を残してもらった人ってそんなにたくさんいないと思うから」
「音楽を残してくれてよかったみたいなことを今言ったけど。でも僕はラッキーだって言うのはヘンだよね。だって生きててくれるほうがよっぽどいいもん」
(父と同じ音楽の道を進むショーンですが、苗字を利用して父の足跡をなぞることにはまったく興味がないように見受けられます)
「ビートルズとか親父の音楽を、僕が意識して避けてると思ってる人がたくさんいるみたいだけど。でも別に距離を取ろうと思ってるわけじゃないよ。ビートルズを聴いてなかったら音楽をやってたとは思えない。影響受けてるよ」
「ファミリーって感じかな。元々の居場所さ。ビートルズのおかげで、僕はミュージシャンになるべく育ったんだ」
「ビートルズは大好きだよ。でもお気に入りのビートルズ・ソングは? なんて訊かれてもデタラメに答えるけどね」
「そうだな、お気に入りの色は? とかお気に入りの本は? なんて訊かれてもデタラメに答えるよ。そんなのいっぱいありすぎて答えられないもん」
(新作、そしてソングライティングについて)
「愛の終わりや、すべての終わりについての歌を書いて、『フレンドリー・ファイア』っていうタイトルにしたんだ。愛し合う人同士が傷つけあうことがある。そのメタファーにちょうどいい表現だと思ってね」
「え? でも僕の歌はドキュメンタリーじゃないよ。実際にあったことをそのまま歌にしてるわけじゃない。歌ってファンタジーだもん。実生活にインスパイアされることはあるけど、同時にドリームとかイリュージョンだってたくさん歌に入ってるよ」
ショーン・レノンのリヴァプール公演は、11月4日、スタンレー・シアターで行われます。 (10月22日)
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【観光トロフィー】
リヴァプールFC(LFC)が、新たなトロフィーを獲得しました。
ただし今回はフットボールの優勝トロフィーではなく、LFCが2005年のマージーサイド・ツーリズムに果たした多大な貢献に対して、The Mersey Partnership(TMP)から贈られたものです。
トロフィーは、ラファエル・ベニテス監督とキャプテンのスティーヴン・ジェラードに手渡されました。
LFCが地域にもたらす経済効果は、ホテルやレストラン、バー、観光アトラクションなどを含めて、年間数百万ポンド(百万ポンド=約225億円)と言われています。
また、昨年1年間にアンフィールド・スタジアムの「LFCミュージアム&スタジアム・ツアー」に参加したヴィジターは、過去最高の11万6225人を記録しました。今年2006年も順調で、8月末現在で9万1709人と、昨年をさらに上回りそうなペースです。
LFCのチーフ・エグゼクティヴ、リック・パリーはこう話しています。
「私たちのマージーサイド・エリアでの貢献が評価され、このような賞をいただけることを、たいへん嬉しく思います」
「リヴァプールはファンタスティックな街ですからね、これからもずっと、多くの人にこの街を楽しんでいただきたいですね」
チェアマンに賞を手渡したのは、Merseyside Tourist Board のチェアマン、デイヴィッド・ウェイド=スミスと、TMPのツーリズム・ダイレクター、マーティン・キングでした。
デイヴィッド・ウェイド=スミスはこう話しています。
「ビートルズ同様、リヴァプールFCの歴史やサクセスは、ポジティヴなインパクトでもって観光客を惹き寄せ続けていますね」
「これだけの貢献に対して、私たちは何らかの形で表彰したいと考えていました。それでこの特別賞を贈ることになったわけですが、これはつまり、この地域の経済発展の継続性において、LFCがどれほど重要な存在であるかの証明でもあります」
マーティン・キングはこう話しています。
「現在の我々の観光業界は、地域経済の中で1億ポンド以上の規模になっています。このうちのかなりの部分はLFCのおかげでしょう」
「フットボール・ファンを惹きつけることで、我々は世界中からやって来るヴィジターのみなさんに、このマージーサイドのユニークさをアピールすることができる。他にもたくさんのアトラクションがあるんですよってね」
ガラス製のトロフィーは、近いうちにアンフィールド・スタジアムのLFCミュージアムに飾られるそうです。 (10月13日)
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【ウィンブルドンのスティヴィー?】
リヴァプールFCのキャプテンでイングランド代表の中心選手、スティーヴン・ジェラードが、ラケットでウィンブルドンを制していたかもしれない…という話です。
ハイトンにあるカーディナル・ヒーナン・スクール(中等学校)の体育教師、スティーヴン・マクラーレンさんは、1991年から5年間、ジェラードの授業を受け持ちました。
ラケットを握ってもジェラードの天賦の才能は明らかでした。そのうえ彼は、フットボールグラウンドと同じように、テニスコートでも無類の負けず嫌いで有名だったそうです。
マクラーレンさんは、もしジェラードがフットボールを選ばずにテニスを続けていれば、今ごろはアンディ・マレーとブリティッシュのナンバー1を競っているだろう、と言います。
ヒーナンスに来て今年で15年になるマクラーレンさんの話です。
「スティーヴン・ジェラードにとっては、ウィンブルドンのセンターコートでトロフィーを掲げるほうがイージーだったに違いないさ。イングランド代表でトロフィーを掲げるよりはね」
「あのまま続けていりゃあ、間違いなくワールド・クラスのプレイヤーになってただろうよ。ずば抜けた才能があったからね。ティム・ヘンマンやアンディ・マレーよりも強くなったに違いないさ」
「スティーヴンにはトップ・レヴェルの闘争心があるし、それをきちんとコントロールする術もある。彼がこの学校にいたときは、テニスで負けたことはただの一度もなかったよ」
「まったくあの年で、彼のショットの選択やポジショニングの意識はテリフィックそのものだったね」
現在51歳のマクラーレンさんは、素晴らしい才能に恵まれたジェラードが、それを鼻にかけるようなことはなかったと言います。
「彼は決して偉そうに振舞ったりしなかったよ。もちろん、他の選手をからかったりするようなみっともないマネをすることろなんか、見たことがない」 (10月8日)
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【 UEFA チャンピオンズ・リーグ 06−07】
9月27日、リヴァプールはガラタサライ(トルコ)とチャンピオンズリーグ・グループリーグの第2節を戦いました。
ホームのアンフィールドでの試合で、リヴァプールは3−2(前半:2−0)で勝ちました。52分までに3−0とリードしたものの、途中出場のウミト・カランに立て続けにゴールを決められて1点差に迫られましたが、逃げ切りました。
リヴァプールのゴール・スコアラーは、ピーター・クラウチ(9分、52分)、ルイス・ガルシア(14分)でした。
試合後、ラファエル・ベニテス監督はこう話しています。
「不思議なゲームになったね。たくさんのクロスにシュート、そしてゴールと、我々のスタートは素晴らしく良かった」
「で、わずか20分で勝負がついたと思ってしまったんだね。今日の仕事は終わった、みたいなね。そこから彼らは反撃して来て、我々は苦しむことになってしまった」
「収穫としては、クラウチのアメイジングな2点目だね。あんなファンタスティックなヴォレーを見せられたら、誰もが彼のクォリティを認めざるを得ないだろう」
「3点差になって、失うもののなくなったガラタサライは前へ前へと攻めて来た。たくさんの人数をかけてアタックして来たんだ。その後の我々はゲームをコントロールするのに苦労することになった」
「しかしとにかく、我々は3ポイントを獲った。グループの中ではまだ無敗だし、トップでもある。あと2試合あるホームゲームを両方とも勝てばグループリーグを通過できるはずだ」
「終了間際の何分かは、冷静さを保ってゲームを分析しようとするのがいつもの私だ。しかし今日はそれが実に難しかった。あれだけ攻められたらね。まあ今日のところは3ポイントを獲れたことに感謝しよう。そして次のゲームでいいところを見せたいね」
ガラタサライのエリック・ゲレツ監督はミスから3点をリードされたことに怒っています。
「前半の我々はフットボールをプレイすることを忘れていた。周りの雰囲気や、対戦する選手たちにビビッてしまったんだ」
「スターたちを相手にしてるなんて思ってたら負けるに決まってる。後半も前半のようなプレイをしていたら、違う結果になっていたはずなのに。後半の我々は見違えるほど良かった。攻め続けて、相手をあわてさせていた」
「もっと点が入っていてもおかしくなかった。同点にするチャンスを何度もミスしてしまったね。その結果、我々はアンハッピーだし、泣くことになってしまったわけだが、私は腹が立って仕方がないよ。あまりにも多くのプレイヤーが、あまりにも多くの決定的なミスをして、彼らにゴールを許してしまったことにね」
リヴァプールのチャンピオンズ・リーグ第3節の相手は、ボルドーです。10月18日にアウェイで行われます。 (10月1日)
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【キャプテンのサイン会】
9月21日、リヴァプールFCのキャプテンでイングランド代表選手でもあるスティーヴン・ジェラードが、チャーチ・ストリートの WH Smith でサイン会を行いました。
先月発売された自伝 "Gerrard: My Autobiography" 出版を記念したものでしたが、予想通りたいへんな騒ぎになったようです。
セキュリティ・ガードだけでは対応しきれず、警察官も動員して、押し寄せるファンを食い止めたり、野次馬を立ち退かせたり、興奮したファンを落ち着かせたりしなければなりませんでした。
1番乗りのファンは、200マイル離れたロンドンからわざわざやって来た28歳のアデル・グランジェさんでした。
念願だったヒーローのサインを手に、彼女はこう話しています。
「1999年からず〜っと、この瞬間を待ってたの。だってほんとにブリリアントなプレイヤーなんだもん」
「なんだか夢みたいだったわ。心臓がばくばくして。まだ信じられないような気持ち」
ウィラルに住むジュリー・マクゴーワンさんは、誕生日プレゼントにしようと、8歳の息子カルムくんを連れて並びました。
「この子はリヴァプールの大ファンなの。サインをしてもらえて、素晴らしいバースデイ・プレゼントになったわ」
アイドルに会えてご満悦のカルムくんは、こう言いました。
「彼はレジェンドだと思うな」
76歳のマーガレット・ゴウアーさんは、ニューカッスルに住む孫のために、4時間も列に並びました。
「彼ってすごくラヴリーだったわ。長い時間待った甲斐があったわ」
混乱の中で、不運な目にあったファンもいました。
11歳の息子ディランくんを連れて来たアリソン・マルヴェイさんは、並んでいるうちに離れ離れになってしまいました。
「群集に押されて、離れ離れになってしまったのよ。ディランは落ち込んでるわ、ヒーローに会えなかったから」
プレスのフォトグラファーの中にも、人波に押し流されて、まったく写真が撮れなかった人が何人もいました。
自伝 "Gerrard: My Autobiography" の中でジェラードは、チェルシーへの移籍騒動のことや、ドイツで行われた今年のワールド・カップのこと、ヨーロピアン・カップを掲げたイスタンブールでのことなどを語っています。 (9月24日)
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【復活を願って】
ウールトン・ヴィレッジにある映画館「ウールトン・シネマ」が、78年の歴史に幕を閉じました。
今年6月、ウールトン・シネマのオーナー、デイヴィッド・ウッドが59歳で亡くなったことにより、未亡人のフラーはシネマの存続は困難と判断し、閉館を決心しました。
9月3日、午後7時30分から、最後の映画が上映されました。
特別なセレモニーは何もなく、普段と変わりない、いつもどおりの上映となりました。
古き良き時代の面影を残す客席には、およそ185人の観客と20人のスタッフが座り、「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン2:デッド・マンズ・チェスト」を一緒に観ました。
マナージャーのジュディ・ボールは、映画のインターヴァルの間に、スナック・トレイで、ウールトン・シネマ最後のアイスクリームを売り切りました。このシネマの常連たちに愛された、1950年代風の伝統的なスタイルです。
終了後、ジョディはこう話しています。
「何か記念になることをしたいと思う反面、派手にはしたくないって気持ちでもあったの。誰かが亡くなったからクローズするわけでしょ。だから追悼のアトマスフィアはキープしたかったのよ」
「スタッフにとっては悲しい夜よね。常連の何人かにとっても。でもみんな楽観的でいようとしてるわ。だってわたしたちみんな、これをファイナル・エンディングにしたくないって思ってるから」
ウッド・ファミリーとシネマのスタッフたちは、ウールトン・シネマの銀幕に再び光が灯される日が来ることを願っています。
ウッド夫人の元には、現在、映画館として興味を示す7つのバイヤーと、再開発を希望する1つの企業からのオファーが届いているそうです。
ウッド・ファミリーがシネマの経営を始めたのは、およそ100年前に遡ります。
1908年のボクシング・デイに、亡くなったデイヴィッド・ウッドの祖父が、ウォルトンに「べドフォード・ホール」というリヴァプール初の映画専用のホールをオープンしたのがそもそもの出発点でした。
べドフォード・ホールは大成功し、「べドフォード・シネマ」チェーンとして、次々に新しい映画館がオープンしました。その中には、ジョン・レノンのいちばんのお気に入りの映画館だったウェヴァトリーの「アビー・シネマ」も含まれていました。
しかし、デイヴィッド・ウッドの代になると、映画の配給事業の方に興味を持っていた彼は、シネマの経営をほとんどやめてしまいました。
そのデイヴィッドが、唯一、情熱を持ってシネマの経営にあたったのが、ウールトン・シネマだったのです。彼は1992年にこの歴史のあるシネマを買収しました。
ウールトン・シネマは、1927年のボクシング・デイに、「ザ・ピクチャー・ハウス」の名前でオープンしました。
シングル・スクリーンでキャパシティは256席という小さな映画館です。
ジョンが通っていた教会であり、ポール・マッカートニーと出会った場所でもあるセイント・ピーターズ教会のすぐ近くにあります。
このシネマのあるウールトン・ヴィレッジは、少年時代のジョン・レノンが毎日のように遊びに来たところです。映画好きであったジョン・レノンのことですから、きっとこの映画館に何度も足を運んだことでしょう。
最後の上映の後、ウールトン・シネマの電話ではこんな録音メッセージが流されています。
「ウールトン・シネマにお電話くださり、ありがとうございます。たいへん残念ですが、現在このシネマは閉館中です。これまでのご愛顧に感謝するとともに、またお会いできることを心より願っております」 (9月17日)
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【35万人!】
今年の『Mathew Street Festival』も、過去最高の観衆を動員し、大成功を収めました。
例年より1日延長し、4日間にわたって行われたこのフリー・ミュージック・イヴェントでは、主催者の発表によると35万人もの人々が音楽を楽しんだということです。
日頃は車が激しく行き交うリヴァプールの中心部を、広範囲にわたって歩行者天国にし、各所に設けられた5つの野外ステージで75のバンドが熱演を繰り広げました。幅広いジェネレーションが楽しめるよう、音楽のジャンルもまんべんなく選ばれました。
Liverpool Culture Company のマーケティング・ダイレクター、クリス・ドナルドソンはこう話しています。
「もうすっかり、みんなのためのものになりましたよね。家族そろって楽しめる音楽フェスティヴァルになってますからね」
「演奏するバンドたちも、楽しんでますよ。ダービー・スクエアのステージは、世界中から集まってもらったビートルズ・トリビュート・バンドの専用ステージにしたんです」
「ビートルズのおかげで、このフェスティヴァルに大勢のオーディエンスが集まってくれるのは確かですからね。バンドのみなさんは、リヴァプールで演奏することを心底楽しんでくれています」
「今年は違ったタイプのバンドをたくさん出演させることにしました。考え得る限りのあらゆる音楽テイストをカヴァーしたつもりです。すべての年齢層の人々に楽しんでもらえるようにね。家族的なムードが感じられるのは、その成果だと思います」
イヴェント・マネージャーのリー・フォードは、年々大きくなっていくこのフェスティヴァルは、海外進出を果たす可能性もあると言います。
彼は、同様のイヴェント開催を考えているロッテルダムからの視察団を案内しました。
「フェスティヴァルの様子を、みんなあんぐりと口を開けて見てましたよ。どうやったらこれだけのことができるのか信じられないって感じでした。すごく気に入ってくれましたけどね」
「確かにこのフェスティヴァルは、『リヴァプールならでは』なんですけどね。でも、だからこそ、他の場所でも開催できたら面白いんじゃないかって思うんですよ」
母と叔母と一緒に、ウィラルからフェスティヴァルを観にやって来た20歳のヴィッキー・キャンベルは、こう話しています。
「今年で3年目なの。今までも良かったけど、今年は特にいい感じだと思うわ。ちっちゃな子供も親も、みんなが楽しそうだもの。もちろん来年も絶対に来るわ」
ピア・ヘッドの会場では、マージーサイドの有望バンドの演奏を集めた無料CDが配られました。
「観に来た人ばっかりがフェスティヴァルを楽しんでるわけじゃないよ」と話すのは、ピア・ヘッドのステージに立ったマージーサイドのバンド「28 Costumes」のリード・ギタリスト、トニー・レイリーです。
「俺たち、世界中でプレイしてきたけど、リヴァプールで、歴史的な建物を見ながら演奏するのは、すごく特別な気持ちになったよ」
「あれだけの大観衆の前で演奏するのはグレイトな気分だったよ。多ければ多いほどいいよね」
アメリカのニュー・ジャージー州から「ビートルズ巡礼」のためにリヴァプールにやって来た、58歳の教師へレン・トンプソンはこう話しています。
「子供の頃からビートルズが大好きだったの。でも彼らが生まれ育った街を観るチャンスがずっとなくて」
「初めてリヴァプールに来たんだけど、大好きになったわ。活気にあふれた街よね」
「この街の新しいバンドもファンタスティックね。モダン・ポップ・ミュージックが今まさに始まろうとしているところを見れるなんて、本当にワンダフルな体験だわ」
開幕日の夜には、「Royal Liverpool Philharmonic Orchestra」がピア・ヘッドのビッグ・ステージで演奏しました。あいにく雨にも関わらず、満員の聴衆はリヴァプール・フィルの素晴らしい演奏を堪能しました。
最終日の夜には、伝統あるエンパイア・シアターで、『This is Merseybeat』と題されたコンサートが行われました。
1960年代に世界的ヒットを飛ばし、現在も現役で演奏活動を続けている「The Merseybeats」、「The Searchers」、そして「Swinging Blue Jeans」が登場し、ファンの熱烈な喝采を浴びました。 (9月10日)