リヴァプール・ニュース

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2006年11月&12月

【バルセロナと!】
15日、UEFAチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦の組み合わせ抽選がスイスのニヨンで行われました。
一昨季のチャンピオン・リヴァプールは、昨季のチャンピオン・バルセロナとの対戦となりました。

バルセロナは、ロナウジーニョやエトー、デコといったスター選手を揃え、現在の世界最強チームのひとつです。また、現在のリヴァプールの中心選手、ルイス・ガルシアとぺぺ・レイナの前所属チームです。

リヴァプール監督のラファエル・ベニテスはこう話しています。
「昨シーズンあんな結果になってしまって、選手たちは心底がっかりしていた。今度こそはってみんな気合じゅうぶんだよ」
「今の我々には、ヨーロッパでのじゅうぶんな経験がある。いくつものベスト・チームと戦って来た。自信を持って受けて立つことができると思う」
「彼らがいいチームだということはよく分かっている。ちょうど今日本でワールド・クラブ・チャンピオンシップを戦っているんだよね。誰からも称賛されるチームだ」
「昨シーズンの覇者だから、我々にとっては厳しい抽選ということになるわけだけど。しかし対戦まで2ヶ月ある。しっかり準備もできるし、それにこっちには失うものはない」
「誰もがバルセロナを世界最強チームのひとつだと言う。ならば我々がそれを覆してみせよう。世界的なプレイヤーたちを相手にするのに、まずメンタルで負けないようにしないとね」
「詳しい戦い方について語るのはまだ早すぎる。まず自信を持って、彼らとの対戦を楽しみにしたいね」
「私自身は、ヴァレンシア時代にノウ・カンプ(バルセロナのホーム)で戦った経験がある。相性はかなりいいんだよ。今回もそうなるといいね」
「第二戦がアンフィールドというのは大きいね。我々にとって重要なファクターになるだろう。ヨーロッパの試合を戦う時のウチのスタジアムは、アメイジングな雰囲気になるからね。サポーターたちがあいてチームに与えるプレッシャーも相当なものだ。どんな相手だって、ここでの戦いは困難なものになる」
「もちろん、第一戦の結果がともなってこそ、勝ち抜きが可能となる。それはよく分かっているよ。昨シーズンはそれでやられてしまったからね。ベンフィカでの第一戦を終盤の失点で落として、それが第二戦に大きく響いてしまった」

一方、バルセロナのロナウジーニョは、リヴァプールについてこう話しています。
「リヴァプールにはラファエル・ベニテスという知将がいて、彼はヴァレンシアを率いていたときにバルセロナ相手にかなりいい成果を挙げているんだよね。スペイン人のプレイヤーがいるのも彼らの強みだろう。展開を読みやすいだろうからね」
「もちろん僕はスティーヴン・ジェラードの大ファンだよ。僕は献身的で情熱的なプレイヤーが好きなんだ。彼はすごい選手だよ。ヨーロッパのどこのクラブに行っても中心選手になれるだろうね」

バルセロナとのチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント一回戦は、第一戦はカンプ・ノウで2月21日に、第二戦はアンフィールドで3月6日に行われます。 (12月16日)

【さよならキャヴァーンの母】
ビートルズの登場やマージービートの爆発を見守り、キャヴァーン・クラブの良心のような存在だった女性が亡くなりました。
テルマ・ウィルキンソンさんは、1957年のキャヴァーン・クラブのオープン初日から、店内のスナック・バーで働きました。スナック・バーの責任者であっただけでなく、クロークルームのスタッフのまとめ役でもありました。よく知られているように、後にスターになるシラ・ブラックは、そのクロークルームで働いていました。

テルマの娘、サンドラ・カリーはこう話しています。
「マムはキャヴァーンが開店した時からあそこで働いてたのよ。最初はジャズ・クラブだったんだけど。それでクラブが閉店するまでずっとあそこにいたの」
「“スナック・バーのテルマ”って、みんなに憶えられてたわね」
「マムはキャヴァーンを愛してたの。だって人生の大部分を占めてたんですからね。音楽が本当に大好きで、マージービートが生まれるところをしっかり見届けたのよ」
「マムはジェリー・マースデンのアイドルみたいになってたのよね。彼はいつも“マ”って呼んでたし、マムはジェリーを“息子”って呼んでたわ」

キャヴァーンで活躍したミュージシャンたちの前に最後にテルマが姿を現したのは、2002年、「伝説のDJ」ボブ・ウーラーの葬式の時でした。

娘のサンドラによると、昨年、ビートルズ研究家として知られるマーク・ルイソンがテルマの元を訪ねて、新しい本のためにインターヴューをしたそうです。
「彼が言うには、これまで彼が書いたのよりももっと分厚い本になりそうってことだったわ」

1960年代のキャヴァーンのオーナーで、ジャズ・クラブだったキャヴァーンにロックン・ロールを導入したレイ・マクフォールも、テルマの死を悼んでいます。
「テルマは、アラン・スタイナーがキャヴァーンをジャズ・クラブとしてオープンしたその日から、スナック・バーの責任者でしたよ。閉店するその日までずっとね」
「当時のキャヴァーンの常連の多くが、彼女の温もりを憶えているはずですよ」
「やさしくて気取りのない、フレンドリーな女性でした。よく働いてくれましたし。だからこのニュースはほんとうに悲しい」

ジェリー&ザ・ペースメイカーズのジェリー・マースデンはこう言っています。
「俺たちは彼女のことをマムみたいに思ってたもんさ」

テルマがアラートンの自宅で亡くなったのは、12月4日でした。84歳でした。 (12月10日)

【誰にも見つけてもらえない家】
ブートルのプロヴィンス・ロードの34番地に住む49歳のスティーヴン・ホランさんは、家のことで悩んでいます。
家の立地や、内装や建築の状態が不満なのではありません。この家の存在自体に、いや、この家が存在しないと思われていることに、悩みの種があるのです。

6年前にこの家に越してきてからというもの、タクシーを呼んでもドライヴァーは来ないし、食べ物のデリヴァリーを頼んでも配達の車は近所まで来て迷子になります。役所の登録から漏れてしまっているために、選挙の投票用紙は送られてきません。もちろん衛星のナヴィゲーション・システムでは検索不能です。

同じ通りにある1番地から30番地の家は、存在を疑われたことはありません。ホランさんの住むテラス・ハウスだけが、誰にも気がついてもらえないのです。
いちばんの原因は、プロヴィンス・ロードのいちばん端にあるこの家が、孤立していることです。となりの32番地だった場所は、10年ほど前に取り壊されて跡地が通路になってしまいました。このせいで、プロヴィンス・ロードは30番地で終わっているように見えるのです。しかもさらに紛らわしいことに、ホランさんの家は、となりのモーファ・ロードに面した家とくっついているように見えるのです。
というわけで、プロヴィンス・ロード34番地の存在に、誰も気がつかないという状態になってしまったのです。

ホランさんはこう話しています。
「この34番地に住んでたら、ほんと頭が痛くなるよ。しょっちゅう、あなたの家は存在しませんって電話がかかってくるんだよ。こっちはその家の中で電話をとってるってのに」
「ドライヴァーがたどり着けなくて3回も車を出したタクシー会社もあったし、宅配の車はこの家を見つけられなくてそのへんをぐるぐる回ってるしで、ほんとたいへんだよ」
「電話線の取り付けを頼んだときもBTの作業員が道をうろうろさまよってたらしくてね、たまたまそれを見た友人が察してくれて、彼に僕の家の場所を教えてくれたんだよ」
「まあありがたいことに、郵便屋さんは僕の住んでるところを知ってくれてるから、郵便だけはちゃんと受け取れてるけどね。でも住所不定みたいな状態だから、いろんなところで信用を失くしたよね」
「笑いのネタにできると思えばおいしいんだけど、でももし具合が悪くなって救急車を呼ぶ羽目になんかなったりしたら…なんて思うとね。それこそ笑えない話にになりそうだよね」 (12月3日)

【ブルー・ホワイト・アルバム】
なんと、青色の「ホワイト・アルバム」が、近々「ビートルズ・ストーリー」ミュージアムで展示されるそうです。
ビートルズが1968年に発表したこの2枚組アルバムは、正式なタイトルは『ザ・ビートルズ』ですが、その真っ白なジャケットからつけられた「ホワイト・アルバム」の通称の方がよく知られています。
最初のリリースから10年後の1978年、ビートルズのレコード会社EMIは、「ホワイト・アルバム」を1000枚だけの限定で白いヴィニール盤にプレスして発売しました。
しかし、青いヴィニール盤にプレスされたホワイト・アルバムは、過去に発売されたことはありません。世界にこの1枚だけです。

この「青いホワイト・アルバム」をビートルズ・ストーリーに寄贈したのは、49歳のTVカメラマン、コリン・マクドナルドさんです。
コリンさんは、1978年当時、ミドルセックスのヘイズにあったレコード製造工場で働いていたそうです。白いヴィニールへのプレスを終えたホワイト・アルバムのマスター・コピーがロンドンの保管所に送り返されようとしていたその時、コリンさんの目の前には、リンダ・ロンシュタットのシングル「ブルー・バイユー」の青ヴィニール・エディションを製造している機械があったのだそうです。そしてコリンさんは、出来心で「青いホワイト・アルバム」を作ってしまったのです。

コリンさんの話です。
「売ったらいくらになるかなんて考えたことはないよ。ひとりのビートルズ・ファンとして、ちょっと変わったもの、他の誰も持ってないものを所有したかってだけなんだよ。実際、それから90年代半ばくらいまでうちのロフトにほったらかしにしていたしね。ツェッペリンとかフロイドとかパープルとかのLPと一緒にね」

その後コリンさんは、そのレコードがどのくらいの価値があるのかを知りたくなり、オークショナーのサザビーズに持って行ったのだそうです。
「そしたらEMIに怒られちゃってね。だからもうお金のことは考えないことにしたんだ。それなら、熱心なビートルズ・ファンの誰もが見られるようなところに展示したらいいんじゃないかって考えたわけ」

驚いたことに、この「青いホワイト・アルバム」のジャケットには、ポール・マッカートニーがサインしています。
後にポールとTVスタジオで会った際に、コリンさんがもらったものだそうです。
ポールもまさか、中に青いレコード盤が入っているとは夢にも思わなかったことでしょう。

ビートルズ・ストーリーのマネージャー、ルイーズ・コリエルはこう話しています。
「自分たちの目が信じられなかったわ。音楽関係のメモラビリアとしては最高に珍しいもののひとつでしょうね。一生に一度あるかないかってくらいの。コリンの厚意のおかげで、世界じゅうからやって来るビートルズ・ファンが、この世に1枚しかないこのアルバムを見ることができるんです」

「レコード・コレクター」誌のビートルズ・エキスパート、ピート・ナッシュによると、このレコードは、控えめに見積もっても5000ポンド(約114万円)の価値があるだろうということです。 (11月26日)

【ジョンの借金、ポールの電話】
70〜80年代に、ウェヴァトリーのピクトン・ロードにある楽器店 The Plug Inn で働いていたトニー・ボランドさんが、当時の回想録を出版しました。
本のタイトルは『 The Plug Inn: The Forgotten Years 』で、18日には出版記念パーティーがマシュー・ストリートのキャヴァーン・クラブで行われました。
この店には、地元の有名ミュージシャンはもちろん、公演でリヴァプールを訪れた数々のメジャー・アーティストたちも訪れたそうです。

現在49歳のボランドさんは、こう話しています。
「なにしろファニーがことがいっぱいあったからね。働き出したティーンエイジャーの時から、取っとけるもんはみんな保存しておくことにしてたんだよ。プラグ・インからの採用通知だってあるよ」
「あの店で働いてる時分には、自分自身のヒーローたちにたくさん会えたもんさ。ピーター・ゲイブリエルやスティング、ザ・ポリスとかホット・チョコレートに楽器を売ったよ。今名前を挙げたのはほんの一部だけどね」
「びっくりするようなことも時々あったな。店に借金してる人のファイルを見てたら、そこにジョン・レノンの名前があったんだよ。35ポンドの未払いだった。ビートルズが世界的なスターになって何年も経ってたんだけど」
「ポール・マッカートニーと話したこともあるよ。僕が16の時だ。ベースのマシンヘッドについて訊かれたんだけど、もうショックっていうか畏れ多くてね。でもなんとか勇気をふりしぼって答えたんだ。最後にウイングスのコンサートのバックステージ・チケットをあげるよって言って電話が切れたんだけど、ほんとに信じられない気持ちだったなあ」 (11月19日)

【復活を願って・続編】
閉館した「ウールトン・シネマ」を救うキャンペーン「セイヴ・ウールトン・シネマ」がスタートし、劇作家のウィリー・ラッセルやジョン・レノンの最初のバンド「クォリーメン」のメンバーたちが支援を表明しています。

「現存するリヴァプール最古のシネマ」であり、「リヴァプールで最後の個人経営シネマ」だったウールトン・シネマは、オーナーの死によって経営が困難になったため、今年の9月3日に閉館しています。

79年もの長きにわたってウールトンの住民に親しまれてきた歴史的なシネマをこれからも残そうと、200名を越えるキャンペーンの支援者が集まりました。
キャンペーンのオーガナイザー、グレン・シンプソンとサリー・モリソン=グリフィスは、ウールトン・シネマを救うために50万ポンド(約1億1500万円)を集めようとしています。
「セイヴ・ウールトン・シネマ」のウェブサイト www.savewooltoncinema.co.uk では、オンラインでも寄付を募っています。

サリーはこう話しています。
「私たち、『ピケット』のフィル・ヘイズに相談しているんです。ピケットは数年前に閉鎖になったけど、キャンペーンが成功して、新しい場所で見事に再オープンしたでしょう?」
「それで今、私たちは協力しあって資金集めのギグをやろうとがんばっているんです。12月中になんとできたらって」

ウィリー・ラッセルはこう話しています。
「私にとって、世界中でいちばんお気に入りの映画館なんだよ、ウールトン・シネマはね。それに、このシネマの存在は、ウールトンをユニークな場所にしている要素のひとつになってると思う。私たちのキャンペーンがなんとか実を結んで、このシネマに未来を見つけてやれたらって思っている。実に多くの人が、ここには特別な思いを抱いてるんだからね」

ジョン・レノンの最初のバンドで、後にビートルズに発展した「クォリーメン」のメンバー、ロッド・デイヴィスとコリン・ハントンも、このキャンペーンをサポートしています。クォリーメンは現在も演奏活動を続けています。
ロッドはこう話しています。
「コリンは土曜日の午前にやってたマチネーによく行ってたそうだよ。『フラッシュ・ゴードン』とか『スーパーマン』とかいろいろ観たって」
「クォリーメンのメンバーとか、バンドの周りにいた連中も、みんな『ウールトン』の常連だったよ。それは確かさ。ナイジェル・ウォーリーにアイヴァン・ヴォーン、ピート・ショットンに、それからもちろんジョン・レノンもね」 (11月12日)

【 UEFA チャンピオンズ・リーグ 06−07】
10月31日、リヴァプールは、ホームにボルドー(フランス)を迎えて、チャンピオンズリーグ・グループリーグ第4節を戦いました。
結果は3−0の快勝で、ポイントを10に伸ばしたリヴァプールは、PSVとともに2試合を残しての決勝トーナメント進出を決めました。
ゴール・スコアラーは、ルイス・ガルシア(23分、76分)、スティーヴン・ジェラード(71分)でした。
ボルドーにとっては、67分にブラジル人ウィンガー、フェルナンド・メネガゾがヨン・アルネ・リーセへの頭突きで退場処分となったことが大きく響きました。

試合後、ラファエル・ベニテス監督はこう話しています。
「クォリファイすることが大事だった。グループトップでの通過が必要なら、次のPSV戦に勝たなくてはいけないね。そうなったら、最終戦は何人かのプレイヤーを休ませて、他のプレイヤーにヨーロッパでの経験を与えることができるね」
「前半はいい感じでスタートできたと思うが、後半最初の10〜15分はゲームをコントロールできていなかった。しかし2点目が入ってからはそれも容易になった。あの退場の後は特にね。スペースも広がったし、プレスをかけたり前に攻めることも可能になった」
「もう1,2点取れてたかもしれない。でも3点取ってチームとしてもいいプレイができた。それで良しとしないとね」
「(メネガソによるリーセへの頭突きについて)私たちが見たいのは、いい試合であり、素晴らしいゴールだ。ああいう場面ではなくてね」

ボルドーの監督、リカルド・ゴメスはこう話しています。
「確かに彼は退場になっても仕方がなかったと思う。しかし私は思うんだが、イングリッシュ・フットボールってのはフェアプレイが信条じゃなかったのかな」
「退場処分の前、我々はボールをスタンドに蹴り込んでプレイをストップした。(試合再開のときに)リヴァプールはボールを返すべきだったのに、そうしなかった」
「それよりも点を取ることの方が大事だったんだろうが、私は失望させられたね。リヴァプールがあんなみっともないことをするなんてね」
「とにかく、あの退場が今日のゲームのターニング・ポイントになった。あれがすべてと言うわけじゃない。だがあそこがキー・ポイントだったのは確かだね」
「我々の経験不足が原因だよ。このレヴェルでリヴァプールのようなチームとあたる際のね。これから1,2年はかかるかもしれないが、きっとリヴァプールと同じレヴェルになれると私は信じているよ」 (11月5日)