リヴァプール・ニュース

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2007年1月&2月

【ウールトン・シネマ復活!】
閉館したウールトンの映画館「ウールトン・シネマ」が、再び幕を上げようとしています。
およそ80年の歴史を持ち、リヴァプール最古のインディペンデント・シネマであった「ジ・ウールトン」は、経営者の死が原因となって昨年9月に閉館しました。
このシネマを救おうと有志によるキャンペーンが展開されましたが、買い取りに必要な資金を集めるまでには至らず、シネマは昨年11月にオークションにかけられました。
新オーナーになったのは、リヴァプール南部のビジネスマンたちの共同体でした。彼らは早速、従来どおりにシネマとして経営すると約束しました。

新しくマネージャーに任命されたポール・プライスは、こう話しています。
「このシネマの将来のことを考えると、ワクワクしますよ。ローカルの人々にとって、ジ・ウールトンがどれほど愛着のあるものかということは、私たちにもよくわかっています。できるかぎり早く再オープンしたいですね」
「このシネマの存続のために戦ったキャンペイナーの人たちに会って、話を聴こうと思っているんです。彼らは素晴らしいアイデアを持っているでしょうからね」

「共同オーナーはみんな地元の人間ですよ。ウールトンのコミュニティに何かを還元したいと思ってるんです」
「コミュニティの第一級の財産であると同時に、歴史もある。リヴァプールにはまだまだブティック・シネマへの需要はあると私たちは考えています。インテリアが美しいですよね。ほんとうに特別なものがありますよね」
「いろいろ意見を聴いてアイデアをまとめて行きたいですね。まず前オーナーのデイヴィッド・ウッド氏がどのような経営をなさっていたのかを知りたいです」
「現時点で何月何日に再オープンします、とは言えないです。でもできるだけ早くそうしたいですね」

存続キャンペーンの発起人のひとり、グレン・シンプソンはこう話しています。
「とんでもなく素晴らしいニュースだ。もうみんな舞い上がってしまったよ。このシネマがシネマとして残るんだからね。しかもローカルのオーナーシップの下でね」
「ジ・ウールトンを救うためにほんとうにたくさんのサポートがあったことも証明されたね」 (2月25日)

【いよいよ対戦】
いよいよ今週、チャンピオンズ・リーグの決勝トーナメントが始まります。
リヴァプールの相手は、優勝候補筆頭のバルセロナ。まず21日にバルセロナのホーム、ノウ・カンプでファースト・レグが行われ、来月6日にリヴァプールのホーム、アンフィールドでセカンド・レグが行われます。

決戦を目前にして、バルセロナのロナウジーニョがインタヴューに答えています。
「ベストを出し尽くさないと8強には進めないだろうね。2005年のリヴァプールの優勝は驚くべき偉業だった。誰もがおぼえてると思うけど」
「ミランの身に起きたことから学ばないと。リヴァプールは今年のチャンピオンズ・リーグの優勝候補のひとつだ。それを忘れたら、えらいことになる」
「前に優勝してるからってだけじゃない。チャンピオンになるだけの力をじゅうぶんに備えたチームだってことだよ」
「でもウチだって優勝候補だ。最右翼のね。どれほどのクォリティを持ってるか、彼らに披露する責任がある」

バルセロナには、ノウ・カンプでの第一戦でリードを奪わなければならないプレッシャーがあると、ロナウジーニョは認めています。
「ファースト・レグを勝つことは重要だ。ホーム・アドヴァンテージは計算に入れないといけない。リードを奪えない状態でアンフィールドに行けば、ものすごくキツいことになるだろうね」
「リヴァプールのコアの部分はすごくハイ・スタンダードだ。ちょっとでもスキを見せたらやられてしまうかもしれない。それをしっかり肝に銘じてかからないとね」
「僕ら、リヴァプールのことはなんでも知ってるよ。スティーヴン・ジェラードはブリリアントなミッドフィルダーだ。実にいろんな武器をもっている。さらにシャビ・アロンソと組んだ時の彼はパーフェクトだ」
「彼らのパスのレンジはものすごく広いから、僕らは向こうのストライカーを走らせないように気をつけないとね。ダーク・カイトやピーター・クラウチは要注意だな」
「両方のレグに勝つことはじゅうぶん可能だと僕は思ってる。全員が自分たちに自信を持ってるし、昨シーズンを再現できると思ってるんだ。今年もチャンピオンズ・リーグの勝者として一年を締めくくりたいね」 (2月18日)

【ラファ、新ボスについて語る】
2月6日、アメリカの実業家ジョージ・ジレットとトム・ヒックスによるリヴァプール・フットボール・クラブの買収が発表されました。
一夜明けた7日、監督のラファエル・ベニテスは、新オーナーの印象をこう語っています。
「昨日の練習前に会って話をした。とても有意義なミーティングだったよ」
「私たちはクラブの将来について、たくさんのことを話し合った。彼らが話してくれた内容にはとても満足したよ。彼らはクラブにとってベストなことをしようとしている。そう確信できた」

「将来にそなえてアカデミーから若いプレイヤーを引き上げることや、現状のためにどうやって選手を獲得するかについて話し合った。彼らは、目標達成への明確なアイデアを持っているよ。トランスファーでいくらお金がかかるとか、100万ポンド要るとか、そういったことを話し合うミーティングではなく、どうやってこのクラブを成功に導くかを話し合ったんだ」
「彼らは成功した実業家だ。フットボール・クラブのビジネスの本質はファースト・チーム如何だということを認識している。我々はまず強いファースト・チームを作らなければならない。スタジアムでの収益を上げれば、クラブのほかの部門すべてがうまく回るようになる」

「彼らは、多くの物事を変えていかなければならないと考えている。確かにリヴァプールには、決して変えてはならない部分がいくつもある。しかし進歩させる余地はある。このクラブは偉大な歴史を持っているが、同時に大きなポテンシャルも持っているんだ」
「リヴァプールはもっと進歩し成長することができる。もっと強いチームを作るという理想を持ち続けて、改善すべきところは改善して行くことによってね」
「一例を挙げると、我々は世界にいくつのクラブ・ショップを持っているだろう? 人気のあるアジアにはもっとあってもいいし、スペインだってそうだよね」

「コマーシャル面で、リヴァプールとレアル・マドリーのようなクラブには大きな差がある。マドリーは世界中でシャツを売っているだけではない。レアル・マドリーという名前が大金を生み出しているんだ。毎年毎年ね。ピッチの外でリヴァプールがレアル・マドリーほど大きくなるのは難しいかもしれないが、どうやったらあれほどビッグなクラブになれるのかを学んで行くことはできるはずだ」

ベニテスはまた、チェアマンの職を離れ、終身名誉会長に就任することになったデイヴィッド・ムーアズへの感謝の気持ちを語っています。
「デイヴィッド・ムーアズには心からありがとうと言いたい」
「私がリヴァプールに来て以来ずっとサポートしてくださったことに対して、私をリヴァプールに連れて来てくださったことに対して、そしてこのクラブのために尽力してくださったすべてのことに対して、感謝しています」

「彼にとって、リヴァプールを売るという決断は並大抵のものではなかったはず。彼の人間性の素晴らしさはみんながよく分かっている。彼がこれからもこのクラブに関わってくれることになってとても嬉しいし、さらなるサクセスを一緒に分かち合えたらと願っている」 (2月11日)

【第205回マージーサイド・ダービー】
3日、リヴァプール対エヴァトンの「マージーサイド・ダービー」がリヴァプールのホーム、アンフィールドで行われました。
結果は0−0のスコアレス・ドロー。
シーズン序盤のグッディソンでの対戦に3−0で敗れ、雪辱に燃えていたリヴァプールでしたが、90分間ほぼ一方的に攻めながら、1点を取ることができませんでした。

試合後、ラファエル・ベニテス監督は、エヴァトンのディフェンシヴな戦い方を批判しています。
「ほんとうにがっかりだ。勝とうと思って戦っていたのはひとつのチームだけだった。もうひとつのチームはただ負けたくないと思って戦っていた。すごく不愉快だね。我々は勝ちに値する戦いをしたというのに」
「後半にミスから相手にチャンスを与えることになったが、ペペがよくセーヴしてくれた。それ以外は、我々が何もかもをコントロールしていた。3人のストライカーと、ペナントにリーセも加わってどんどん攻めて行ったわけだが、向こうは常に9人がゴール前に張り付いていたからね」
「スモール・チームとアンフィールドで対戦するときはいつもそうだ。相手が引いてしまって、コンパクトで狭いスペースをこじ開けなければならないから、どうもイライラしてしまう。しっかり3ポイントを取れなかったことは非常に残念だ」
「もちろん、バルセロナで今度やる試合で同じスコアだったら嬉しいだろうね。だが我々はエヴァトンのようなプレイはしない。ウチには攻撃的なメンタリティを備えたプレイヤーがたくさんいるからね」
「我々もアウェイではコンパクトなプレイを心がける。引き気味に、連携にも注意しながらね。しかしそれと同時に、チャンスも作るよ。相手のチームがミスをするのをただ待つだけじゃなしにね」

ベニテス監督のコメントに対して、エヴァトンのデイヴィッド・モイーズ監督はこう話しています。
「エヴァトンはスモール・チームではない。エヴァトンはイングランドのビッグ・クラブの1つだ」
「今現在に限って言えば、確かに我々はリヴァプールよりはスモールだ。しかしこれだけははっきりさせておきたい。我々は競争力のあるしっかりしたフットボール・クラブだ。そしてできる限りのことを達成したいと努力している」
「敵地で、しかもとんでもない大金をかけて作られたチームとの対戦だったわけだしね。今日に限ったことじゃなく、4ヶ月前のグッディソンでも我々はしっかりやり遂げたんだ」
「深く追求するつもりはないが、ラファがエヴァトンをスモール・クラブと言ったとしたら、がっかりだね。なぜなら、もし彼がエヴァトンを率いて今日のゲームを戦ったとしたら、おそらくは同じような戦い方を選ぶんじゃないかと私は思う」
「リヴァプールは強いチームだ。彼らがウチを非難していることについては、どうこう言うつもりはないよ。そういうことは私の性分じゃないし、正しいやり方だとは思えないから」

2月4日現在のリーグ順位は、リヴァプールが50ポイントで3位、エヴァトンが36ポイントで8位です。 (2月5日)

【さよなら Dr. Fun 】
リヴァプールFCのホーム、アンフィールドのKOPスタンドの名物おじさん“Doctor Fun”が亡くなりました。63歳でした。
「ドクター・ファン」ことレニー・キャンベルさんは、1980年代以降の応援席KOPスタンドに欠かせないキャラクターでした。
派手な衣装とシルクハット、そして相棒の人形「チャーリー」を従えての応援は、数世代にわたってレッズ・サポーターに親しまれてきました。
キャンベルさんががんで入院していた病院で亡くなったのは、1月20日土曜日、ちょうど愛するレッズがホームでチャンピオンチーム・チェルシーを降した数時間後のことでした。

キャンベルさんの姪のサンドラ・ベイカーさんはこう話しています。
「レニーおじさんは、ほんとに人柄のいい人でした。あんな人他に見たことないくらい。愛するクラブの親善大使でしたし、人生にもフットボールにも情熱いっぱいでした」
「おじさんが初めてKOPに座ったのは13歳で、その時に恋に落ちたそうですよ。大人になってからキャンプ場で子供たちを楽しませるエンターテイナーになったんだけど、それがほんとうに上手で、子供たちから『ミスター・ファン』ってニックネームをつけられたのがそもそものはじまりなんです」
「家族の除いての2大お気に入りは、リヴァプールFCとビートルズだったんですよ。自分の家の門を『ストロベリー・フィールズ』にしちゃったくらいですから」

ハイトン在住で、地元のレジャー・センターの元救命士だったキャンベルさんには、2人の子供と5人の孫がいました。
2年前にリンパ腫を患いましたが、一旦は快復し、再びスタジアムに応援に出かけるまでになっていたそうです。
サンドラさんは続けます。
「調子が良くなって、応援を再開した途端に病気が再発したんです。レニーおじさんのアンフィールドでの最後の試合は、先月の、4−0で勝ったフルアム戦でした」
「今回のがんはあっという間におじさんを連れて行ってしまいました。土曜日は、私たちはみんなでおじさんの手を握って、おじさんのチームが勝つところを話して聞かせてあげたんです。きっと心の中で笑顔を浮かべてたと思います」
「おじさんが亡くなってから、信じられないくらいたくさんのお悔やみのお電話をいただきました。おじさんみたいな人生を送ることができたらって思います。あれ以上のものは望めないんじゃないかしら」

キャンベルさんが亡くなった翌日、リヴァプールFCは、公式ウェブサイト上でキャンベルさんの家族への哀悼の意を表しました。 (1月27日)

【キャヴァーン50歳!】
1月16日、キャヴァーン・クラブが50歳の誕生日を迎えました。
クラブの内部では、インヴィテーション・オンリーのVIPパーティーが、13時間にわたって開催されました。
ちょうど50年前のオープン初日、最初にキャヴァーンのステージに立って演奏したバンド、マージーシッピー・ジャズ・バンドが、この日も再びトップバッターを務めました。
その他、30以上のバンドが全国から集められ、お祝いパーティーを盛り上げました。

マシュー・ストリートでは、オリジナルのキャヴァーン・クラブのドアがあった場所が初めて公表されました。
新しいディスプレイが設置され、ジョン・レノンの妹ジュリア・ベアードを招いて除幕式が行われました。
ディスプレイには、1960年ごろのエントランスの大きな写真の横に、詳しい説明書きが添えられています。

キャヴァーンのダイレクター、デイヴ・ジョーンズはこう話しています。
「オリジナルのキャヴァーンのエントランスがどこにあったかとか、それがどんなだったか、今のキャヴァーンとの関係やら、なんだって一目瞭然になったよね」

同じくキャヴァーンのダイレクター、ビル・へックルはこう話しています。
「歴代のオーナーたちより倍も長くキャヴァーンを所有していることについては、たいへん光栄に思っていますよ」
「ツーリストをひっ捕まえるところじゃなくて、ここはリアルで、ライヴで、ダーティーで、スメリーなクラブです。これまでずっとそうだったようにね」
「地域の、全国の、あるいは全世界のタレントたちに、どんどんここに演奏しに来てもらいたいと思ってます。マジックのような経験になるはずですよ」
「ビートルズには本当に感謝しています。彼らがいなかったら、キャヴァーンはとっくの昔にゴミ箱に埋もれてますよ」
「リヴァプールについても、とても、とても誇りに思います。この街をばんばんPRして行きますよ、全世界にね」

ジュリアはこう話しています。
「ジョンが生きてたら、今日ここで演奏してたかもしれないわね」
「ジョンはよく言ってたわ。俺たちはキャヴァーンが大好きだったって。まさに理想的な場所だったって」
「2008年までにリヴァプールでいろんなイヴェントが打ち上げられるでしょうけど、このキャヴァーンのバースデイって、ちょうどその発射台みたいなものかしら」
「キャヴァーンって、特別なクラブなのよ。その時代その時代の精神みたいなものをしっかりと掴んできてる。しかも立ち止まることがない。今も精力的に新しい音楽をホストしてるものね。これだけ前へ前へと進んでるんだから、キャヴァーンと張り合えるようなところなんてないと思うわ」
「私がキャヴァーンに初めて行ったのは、ティーンエイジャーの頃だった。ファンタスティックだったわ。汗が玉になって壁を伝ってた。今でもそうなんだけど」
「ビートルズが演奏してるところは見たことがないの。見たかったんだけど。きっとジョンも喜んでくれたと思うし。でも最初の頃はジャズを演らないからってお客さんに文句を言われてたのよね」 (1月20日)

【キャヴァーン50周年!】
1月16日火曜日、ビートルズを生み、世界を席巻した「マージービート」のメッカとしても知られるキャヴァーン・クラブが、50周年を迎えます。
当日に記念パーティーが行われるほか、今年1年を通じて様々なサプライズ・イヴェントが企画されています。
また、DVDや本、TVドキュメンタリー、そしてこの50年にクラブに出演した有名バンドの演奏を集めたコンピレーション・アルバムのリリースも予定されています。

クラブのオーナーであるキャヴァーン・シティ・ツアーズのダイレクター、ビル・へックルはこう話しています。
「5月にすごいギグを企画してるんだが、今ちょうどそれに出てくれる超ビッグネームたちと交渉してるところなんだ。それ以上詳しいことは言えないけどね、実現しなかったら困るから」

16日のパーティーは特別に招待されたゲストしか入場できないもので、オープン・バーと30組以上のバンドによる演奏を13時間も楽しむことができます。
ビルは、「パーティーにサー・ポール・マッカートニーが出席するのでは」という噂を否定しています。
「マッカは招待はされてるよ。でも今の彼のパーソナル・ライフで起きてることを考えれば、出席についてはまったくのノー・チャンスだね」
「40周年のパーティーでは、オリジナルのクォリーメン全員に――もちろんジョン・レノンは除いてということだけど――揃ってもらうことができたんだ。同じ部屋に一同に会するのは40年ぶりだったんだよ。で、何杯か飲んだ後、彼らはステージに上がって演奏した。そしてそれから10年、彼らはそれを続けている」

16日のパーティーの日、クラブの外のマシュー・ストリートでは、熱心なビートルズ・ファンの間で長年にわたってミステリーとされていたことが、ついに解明されることになっています。
地下にあったキャヴァーン・クラブへと降りる18段の階段。その階段の入り口があった正確な場所は、クラブが1973年に取り壊されて以来、誰にもわからなくなっていたのです。
しかし今回、キャヴァーンのDJを務めた故ボブ・ウーラーが遺したプライヴェート・コレクションの中の写真を分析することで、正確な場所をつきとめることができたのだそうです。
「それがどこかってことは、今披露することもできるんだが、それじゃサプライズじゃなくなってしまう。当日のお楽しみに残しておこうじゃないか」とビルは言います。

マシュー・ストリート10番地は、当然ながら、最初から有名なアドレスだったわけではありません。
卵のパッキング・ステーションであったり、ワインやスピリッツの保管所であったり、戦争中は空襲時に避難するシェルターとしても使われました。
しかし1957年の1月16日、「キャヴァーン・クラブ」としてオープンしたこの日に、世界的に有名なスポットとなるべく第一歩を踏み出したのです。
オーナーは地元の医者の息子、アラン・スタイナーでした。彼は、パリの有名ナイトクラブ "Le Cavais Francais" のスカウス・ヴァージョンにしたいと考え、「キャヴァーン」という名前をつけました。最初の晩に演奏したのはマージーシッピー・ジャズ・バンドで、600人しか入れないこの狭いクラブに、1000人以上の群集が押し寄せました。

「ジャズ・オンリー」というクラブのポリシーは、スキッフルやロックンロールの爆発的な流行により、間もなく形骸化して行きました。
実際、若きジョン・レノン率いるスキッフル・バンド「ザ・クォリーメン」が初めて栄えあるキャヴァーンのステージを踏んだのは、同じ年の8月7日のことでした。
ビートルズが初めてキャヴァーンに登場したのは、1961年2月21日。わずか5ポンドのギャラでした。以後、およそ1年半の間に合計274回演奏しています。最後となった1963年8月3日のステージのギャラは、300ポンドでした。

ビートルズゆかりの地のガイドブック“The Complete Liverpool Beatles Guide”の著者、ロン・ジョーンズも、記念パーティーに招待されています。
彼が初めてキャヴァーンに足を踏み入れたのは19歳の時でした。以来彼はイーヴニング・セッションの常連となりますが、シティ・カウンシルの職員だったために、伝説のランチタイム・セッションはほとんど観ることができませんでした。
ロンの一番のお気に入りはレモ・フォーだったそうです。レモ・フォーのリード・ギタリスト、コリン・マンレイはジョージ・ハリスンが憧れるギタリストでした。それはコリンが、チェット・アトキンスのようにギターを演奏することができたからでした。

ロン・ジョーンズはこう話しています。
「ビートルズだけが人気があったわけじゃないからね。レモ・フォー、ビッグ・スリー、スウィンギン・ブルージーンズ、ジェリー・アンド・ザ・ペースメーカーズ……どれもみんなものすごく人気があった」
「あそこがどんなところだったかってことは、今の人には想像できないだろうね。あのコールタールと汗の混じった臭いと、たばこの煙。あの時代はみんなが煙草を吸ってたからね。そしてあの暗さと湿っぽさ。でもあそこにはバンドと音楽が生み出すエキサイトメントがあった。それがすべてだったんだよ。あの場所にいた僕らには、何かとんでもないことが起きているっていう実感はなかったけどね」
「それにしても、わずかな入場料でビートルズを観ることができたんだからね。数インチの近さで観ることだってできた。曲と曲の間に、やあやあって挨拶したりね」

ビートルズとマージービートが爆発的な人気となったことで、キャヴァーンは世界的な注目を浴びるようになりました。
レイディオ・ルクセンブルグでは、“Sunday Night at The Cavern”というレギュラー番組を持つほどでした。
しかし60年代半ば、オーナーのレイ・マクフォールが破産してしまいます。
クラブは一時閉鎖されたものの、再建に向けての運動が展開された結果、1966年1月23日、リヴァプール出身の首相ハロルド・ウィルソンが出席して再オープンしました。
ところが7年後の1973年、このクラブの値打ちにもビートルズにも無関心な市の役人たちによって、キャヴァーンはに強制的に閉鎖されてしまいます。シティ・カウンシルは、この場所に地下鉄の排気口を通すことを決定したのです。そして、ブルドーザーがやってきました。
それから10年余が過ぎた1984年、キャヴァーン・クラブは、同じ場所に新しく作られたショッピング・ビル「キャヴァーン・ウォークス」の地下に、オリジナルのレンガを使って再建されました。

ロンは、リヴァプール市がオリジナル・キャヴァーンを消滅させてしまったことに対しても、一定の理解を示しています。
「今でもみんながあれは悲劇だって言う。世界一のロックンロール・クラブをつぶすとはナニゴトかってね。確かに、今の時代じゃ絶対に許されないだろう。明らかな愚行だ。今の感覚ではね。だけどあの時代のリヴァプールってのは観光都市ではなかったんだよ。だから再建されたことを良しとしよう。何もないよりはずっといいさ」 (1月14日)