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リヴァプール・ニュース
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2007年7月&8月
【リンゴの里帰り】
来月12日、リヴァプールの<ヨーロピアン・キャピタル・オブ・カルチャー>の幕開けとなるイヴェント<Liverpool the Musical>への出演が決まっているリンゴ・スターが、地元紙<リヴァプール・エコー>のインタヴューに答えました。
デビュー後間もなくロンドンに移り住んだビートルズに対して、故郷を捨てたという批判の声も当時のリヴァプールにはありました。
リンゴはそれについてこう語っています。
「街を捨てた裏切り者って言われたもんだよ。でも俺たちは仕事をしなきゃならんかっただけでね。それがロンドンだったってだけのことなんだよ」
「今の時代ならリヴァプールだろうがレスターだろうが、どこに住んでても仕事はできるんだがね。でもあの時代はそうじゃなかったから、“俺たちを見捨てた裏切り者”みたいな罵声を浴びることになったんだ」
「でもしこりなんかないよ。俺たちは今でもリヴァプールのみんなに愛されているんだから。俺たちはリヴァプールを貶すようなマネは絶対にしなかったし、いつだってリヴァプール出身だってことを誇りにしていたしね」
キャピタル・オブ・カルチャーのオープニングでリンゴは、数千人のリヴァプールの人々の前で、生まれ故郷をテーマにした新作のお披露目を行うことになっています。
新作アルバムおよびシングルのタイトルは<Liverpool 8>です。リンゴが生まれ育ったリヴァプール8区がそのままタイトルになっています。
「1月に戻るよ。リヴァプールの人たちと一緒に文化の年をお祝いするためにね」
「いいことだよね。キャピタル・オブ・カルチャーのおかげで、リヴァプールのいろんなところにスポットライトが当たることになるからね」
「何度かファミリーのところに顔を出したことはあるよ。もうずいぶん経ってるけど」
「歩きまわったこともあるよ。マドリン・ストリートやアドミラル・グローヴの家やら、いろんな場所に息子を連れて行ったんだ。父ちゃんが生まれ育ったところだぞってね。そしたらどこかのおばちゃんが俺の腕をとって、こう言ったんだ。“あらまあ、ぜんぜん変わってないわね”って」
「俺は言ってやったよ。いや、ぜんぜん変わってるぞ、ここはどこだ? あれはどこに行った?」
新曲<Liverpool 8>の中でリンゴは、トクステス地区での少年時代のことを回想しています。彼がこれまで書いた中で、最も自伝的な歌です。
「タイトルはもう何年も前から俺の頭の中にあったんだけどね。で、一緒に仕事をすることになったデイヴ・スチュアートに相談して、バイオグラフィーみたいな歌にしようってことになったんだ」
「歌詞は全部自分で書いた。だって俺の人生のことだからね。で、コードは全部彼に任せたのさ」
「最初は船乗りになったんだ。スランドウドノに行くセント・テュディノ号っていう船でね。毎朝10時に出て、夜の8時に帰って来る定期便さ」
「でも俺は大海に出たかったんだよ。だって近所の家庭じゃたいてい一家に一人は商船の船乗りになってたからね」
「そういった沿岸船に乗ってても、組合に入ってりゃ大海航路に乗るチャンスももらえるもんでね。そこまではよかったんだが、結局は5週間でクビになってしまった。俺の態度が気に入らないってことでね」
「次に<H Hunt and Sons>っていう工場で働いて、それからロリーと一緒にバトリンズに行った(ハリケーンズの一員としてスケグネスのリゾート施設に長期間出演)」
「この歌は俺のちょっとしたミニ・バイオグラフィーみたいな歌なんだ。それからはご存知のようにハンブルグに行って、後々シェイ・スタジアムでプレイする、と。俺たちはここでストップすることにした。ひとつのピークだからね。これは歌だからどっかで終わらさなきゃならん」
「そりゃ続けられんこともないけどね。だってビートルズが終わった後も俺は生きてるし仕事もしてるんだから」 (12月18日)
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【大爆発で新記録大勝!】
11月6日、リヴァプールはUEFAチャンピオンズ・リーグをホーム・アンフィールドで戦い、トルコのベシクタシュJKに8−0の大差で勝利しました。
UEFAチャンピオンズ・リーグでの8点差勝利は、前節にアーセナルが作った7点差を上回っての大会新記録となりました。
ゴール・スコアラーは、ピーター・クラウチ(19分、89分)、ヨッシ・ベナユン(32分、53分、56分)、スティーブン・ジェラード(69分)、ライアン・バベル(78分、81分)でした。
この試合の結果、リヴァプールは4ポイントとし、グループ3位となりました。3ポイントのベシクタシュは最下位となっています。グループAの他の試合ではポルトがマルセイユに勝ち、ポイントを8に伸ばして首位に立ちました。マルセイユは7ポイントで2位です。
試合終了後、ラファエル・ベニテス監督はこう話しています。
「クラブにとってほんとうにポジティヴな日になったね。新記録で勝って、新スタジアムにもゴーサインが出た。たくさんの人に喜んでもらえると思う。今日はほとんどパーフェクトだ」
「(なぜほとんどなのかと問われて笑いながら)相手にも1つチャンスがあったじゃないか」
「これまでの試合でも、我々は相手よりいいプレイをし、多くのチャンスを作った。得点だけが足りなかった。今日のようにいいプレイをして点も取れれば、それが自信になって、もっといいプレイにつながるということだね」
「今日は何としても早い時間帯に先制したかった。向こうにとっても勝たなければいけないゲームだったからね。我々が先制すれば、少しスペースができる。さらに2点目を取れば、向こうは前がかりにならざるを得ない。ウチのストライカーは仕事がしやすくなる」
「今日の試合をやる前から、決勝トーナメントに進めると信じていた。これであと2試合。とにかく勝って、結果を待つだけだ」
「ポルトはここに来なければならない。きっと嫌なはずだよ。しかし彼らにはヨーロッパでの経験があるから、プレッシャーの中でもいい結果を出そうと必死で来るだろう。我々はそれでも、押し返さなければならない」
「ポルトに勝つ自信はある。サポーターもそれを信じてくれている。いいプレイをして勝つ。それだけだ」
「(先制点と最後の8点目を記録したクラウチについて))クラウチのパフォーマンスは非常に良かった。だが私はチーム全体を評価したい。ストライカーは確かにみんな良かったよ。ヴォローニンもファンタスティックだったし。でもミッドフィルダーもディフェンダーも素晴らしかった。クリーンシートに抑えたということも重要なことだからね」
「(最多得点差の新記録となったことについて)優勝トロフィーを目標にやっているわけだが、記録として名前が載るのは、そりゃあ悪い気分じゃないよね」
ベシクタシュのエルトゥグルル・サグラム監督は、試合後の会見に呆然とした様子で現れ、最初の言葉を発するまでに30秒近くを要しました。
「フットボール・チームにとっても、ファンにとっても最悪の夜になってしまった。信じられない結果だ」
「ファンのみなさん全員に謝りたい。受け入れるのが非常に難しい結果ではあるけれど、これですべてが終わりというわけではない」
「今我々がやらなければならないのは、今後のゲームを、もっと必死の気持ちで戦うことだ。我々にはそれができると思っている」
リヴァプールの次節・第5節は11月28日、FCポルトを迎えてアンフィールドで行われます。 (11月11日)
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【まだまだこれから】
10月24日、リヴァプールはUEFAチャンピオンズ・リーグのリーグ戦を戦い、トルコのベシクタシュに敵地で2−1で敗れました。
前半13分にサミ・ヒーピアのオウン・ゴールにより先制を許し、反撃に出るものの、後半37分に追加点を取られ、終了間際の後半45分にスティーヴン・ジェラードのゴールで1点差とするのがやっとでした。
この日の結果により、リヴァプールはグループAの最下位に転落、上位2チームに出場権のある決勝トーナメントへは、自力での勝ち抜きの可能性がなくなってしまいました。
試合終了後、ラファエル・ベニテス監督はこう話しています。
「パフォーマンスには満足している。チャンスをものにできなかったね。アウェイで28本もシュートを放ち、ボールの支配率はほとんど60%。普通ならじゅうぶん勝ててるはずなんだが」
「ファースト・ハーフのたった1つのミスでやられてしまった。チャンスはあれほどたくさんあったというのに。向こうのゴールキーパーはアウトスタンディングだった。でももっとチャンスをものにしないと」
「確かに、我々が勝ち抜くのはかなり困難な状況になった。でも私はまだ可能だと信じているよ。残り3試合に全部勝たなければならないが、それはじゅうぶん可能だ」
「状況を見て対応して行かないといけないね。もう1試合で、ポルトとマルセイユが引き分けてくれたのは助かった。我々のオプションを広げてくれることになったからね」
「今日の試合のようなプレイを続けて行けば、我々にもチャンスは出てくるはずだ」
「監督の能力を試されているとか、そういうふうには考えていない。これがフットボールというものだ。今日ここでやったようなことを続けて行けば、きっと結果はついて来る」
キャプテンのスティーヴン・ジェラードはこう話しています。
「アンラッキーだったね。チャンスはたくさん作ったし、自分たちのプレイには満足している。でも結果にはがっかりだ」
「前を向いて行くしかない。残る3つのゲームに全部勝って、何かが起こるのを待つだけだ。ミスから学ぶものは学んで、ポジティヴにやって行かないとね。あと3試合勝つのはじゅうぶん可能なんだし」
「ベシクタシュはチャンスを2つとも生かしたね。あれだけ長時間にわたっていいプレイをした僕らにも、何かしら得るものはあったと思う」
「最悪の結果になったけど、僕らは目の前の山を乗り越えて行くだけだよ。今回のはちょっと大きい山だけどね」
ディフェンダーのジェイミー・キャラガーも、まだまだあきらめていません。
「2005年に起きたことを思い出せばいいんだよ。グループリーグ通過も無理っぽかったのに、最後は優勝したんだから。それを思い出して、もういっぺんトライするんだ」
「(グループリーグ3位のチームに出場権が与えられる)UEFAカップでいいか、なんて絶対に思ってない。まだチャンピオンズ・リーグを戦ってるんだ。残り3つ勝てば通過できると思ってるし」
「マルセイユに敵地で勝つのはタフなことだろうけど、でもこのチームは去年バルセロナとやって敵地で勝ってるんだ。ヨーロッパのどこに行ったって勝てるチームだよ、我々は」
時節は11月6日、同じくベシクタシュを相手に、ホーム・アンフィールドで行われます。 (10月26日)
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【キャラのヘルシー・レストラン】
リヴァプールFCのディフェンダー、ジェイミー・キャラガーが、リヴァプールのシティ・センターに新しくスポーツ・レストランをオープンしました。
8日夜に行われたオープニング・パーティーには、スティーヴン・ジェラードやシャビ・アロンソ、ダニエル・アッガーなどのチームメイトや、ディディ・ハマンやマイケル・オーウェンらの元チームメイト、さらにはケニー・ダルグリッシュやアラン・ハンセン、フィル・トンプソンといった過去の名プレイヤーなどが出席しました。
また、リック・パリー、デイヴィッド・ムーアズ、フォスター・ジレットらリヴァプールFCの経営陣や、ライヴァルチームであるエヴァトンの元スター、ピーター・リードやエイドリアン・ヒースのほか、元へヴィー級世界チャンピオンのジョン・コンテや、オリンピックのメダリスト、スティーヴン・パリーらもお祝いに駆けつけました。
店の名前は<カフェ・スポーツ・イングランド>。スタンレー・ストリートにあり、誰でも気軽に入れる家庭的な雰囲気と、ヘルシーな料理が特徴です。
キャラガーは、<サー・トーマス・ホテル>や<ニューズ・バー>を成功させたポール・フラナガンと2人で、数年をかけてじっくりと準備を進めてきました。
オープニング・パーティーには、ニコラ夫人や2人のお子さんを含む<キャラガー・ファミリー>が出席しました。
キャラガーは、地元紙<リヴァプール・エコー>の取材にこう答えています。
「こんなにたくさんの人に子供連れで来てもらえてグレイトだよ。この<カフェ・スポーツ・イングランド>のコンセプトってまさにそれだから。家族みんなで来て楽しんでもらえる場所にしたいんだ」
「もちろんスポーツもテーマだよ。この地域からは、実にたくさんのスポーツ・スターが出ているからね。しかも今晩ここに、こんなに多くのスターが集まってくれるなんてね、ほんとにグレイトだよ」
夫人同伴で出席したスティーヴン・ジェラードは、こう話しています。
「ジェイミーはこの店のためにたくさん知恵を絞っていたよ。家族で来れて、子供も楽しめるような店にしたいって言ってね」
「メニューを見せてもらったけど、素晴らしいと思ったね。ヘルシーな料理がたくさんある。僕自身も親だけど、子供には信用できるヘルシーな食事を与えたい。それってすごく大事なことだよね。うちの2人の娘もここに絶対連れて来るよ」
キャラガーはこう続けます。
「普通のパブとかそういうのだったら、もっとずっとイージーにオープンできたと思うけどね。でもどうせなら何か違うものにしたかったんだ」 (10月9日)
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【開催決定!】
9日、マシュー・ストリート・フェスティヴァルの開催が正式にアナウンスされました。
1週間前の8月2日、運営するカルチャー・カンパニーによって突然中止が発表されたこのフェスティヴァル。開催のわずか3週間前というタイミングや、シティ・カウンシルのリーダー、ウォーレン・ブラッドリー以下多くの関係者に知らされたのも発表の数時間前だったことから、大きな批判の声が上がっていました。
休暇先から戻ったウォーレン・ブラッドリーは、フェスティヴァルの通常通りの開催を求めて、月曜日に関係者を集めての集中審議に入りました。そしてまる3日間、72時間にもおよぶ審議の結果、アウトドア・ステージの設置は見送りになったものの、パブやクラブなど、40ヶ所以上のインドア会場での開催にこぎつけました。
ウォーレン・ブラッドリーの話です。
「この問題をなんとか解決しようと、公的機関と民間機関が一致団結しました。その精神に私は大きな感動を覚えました」
「ただし、アウトドア・ステージの安全面での問題は、今年に限っては解決が非常に困難でした。個人的にもたいへん残念に思います」
「マシュー・ストリート・フェスティヴァルのスピリットを失わないフェスティヴァルにすること。そして集まった人々に、最低限の安全は保障する。ぎりぎりまでつきつめてのプランになりました」
「確かにこれは後退です。受け入れがたい後退です。ですが私は、みなさんにぜひ来てもらいたい。そしてこのウィークエンドを通じて、リヴァプールの800歳のバースディ・セレブレーションを楽しんでいただきたい」
「そうすることで、リヴァプールの街の素晴らしさを証明したいんです。失敗のまま終わるわけには行きませんからね」 (8月11日)
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【批判が続々】
マシュー・ストリート・フェスティヴァルの中止に、各方面から批判の声が上がっています。
ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズはこう話しています。
「信じられん。気が狂ったとしか思えんな」
「このUKで最大のフェスティヴァルだぞ。ヨーロッパやその向こうからみんなやって来るんだぞ」
ラジオDJでエンターテイナーのピート・プライスはこう話しています。
「まったくもって信じられない話だ。今までの年は安全面の問題はなかったのか? 開催まで3週間の時点で、どうやってキャンセルするんだ? キャピタル・オブ・カルチャーだって今までさんざん言って来たことは何だったんだ?」
「俺たちは世界で最悪の夏を迎えることになるね。みんなマシュー・ストリート・フェスティヴァルを楽しみにしているっていうのにね。世界中から人々が集まって来る、本当に素晴らしいイヴェントなのにね」
「馬鹿じゃないのって言われるよ、俺たち」
毎年同じ時期に開催される大規模なダンス・フェスティヴァル「クリームフィールド」のボス、ジェイムズ・バートンはこう話しています。
「安全面は第一に考慮されなければならないし、不測の事態が起こらないように万全の対策を練らないといけない。それは分かる。しかしそのための時間はたくさんあった」
「道路工事は今始まったわけじゃない。ピア・ヘッドが使えないってことは、少なくとも18ヶ月も前に彼らは知っていたはずだ」
「本当に恥ずべきことだよ。このカウンシルはまたやってくれたね。彼らがこれまでリヴァプールのカルチャー・アクティヴィティに果たしてきた功績は認めるけれどもね」
「今からではどうすることもできない海外からの何万人ものヴィジターのことを考慮して、その上での決断だといいんだけどね」
マシュー・ストリートのパブ「ホワイト・スター」の主人アルフィー・バクストンはこう話しています。
「本当のところは、安全面での問題じゃないんじゃないか。カウンシルもカルチャー・カンパニーも金がないんだよ」
「大みそかの花火を、風が強いからって理由で中止したのもこいつらだ。サウスポートやマンチェスターや、リヴァプール以外の街はどこも中止しなかったっていうのに」
「私らにはオーストラリアやノルウェイからフェスティヴァルにやって来る友人もいるがね。ノルウェイの連中は私らより早くキャンセルのことを知ってたよ。リヴァプールは物笑いのタネにされているよ」
奥さんのジャッキー・バクストンはもっと辛辣です。
「カルチャーの都市だって? こんなシンプルなストリート・フェスティヴァルのひとつもオーガナイズできないのに?」
「こんなにぎりぎりになって投げ出すなんて、むちゃくちゃよね。恥ずかしいったらありゃしないわ。この決定はみんなに影響するでしょうね。たくさんの人に来てほしいんだけど」
同じくマシュー・ストリートにあるアイリッシュ・パブ「フラナガンズ・アップル」の主人、ナンシー・ムーニーはこう話しています。
「みんな怒ってるわ。私たち、フェスティヴァルがスタートしたときからここにいるのよ。そもそもは私たちバーやパブがこのフェスティヴァルをスタートさせたんじゃないの」
「こんなにポピュラーになって、リヴァプールにとってもすごくよかったって思ってるのに、私たちから取り上げるっていうのね。冗談じゃないわよ。これはマシュー・ストリート・フェスティヴァルなんでしょう? ピア・ヘッド・フェスティヴァルじゃないでしょう?」
ホテル「クラウン・プラザ」のマネージャー、ブライアン・コナーはこう話しています。
「たいへん残念です。しかしカウンシルが安全面を考慮して中止せざるを得なかったのなら、私どもとしてはこの決定を尊重しなければなりません」
「今年に限って言えば、私どもはそれほどの影響は受けないと確信しております。ただ、今年来られた方々が楽しく過ごされればまた来年も来てくださるでしょうが、おそらくそいういうことにはならないかもしれません」
「そうなりますと、元に戻すには何年もかかるかもしれませんね」
「インターナショナル・ビートル・ウィーク」を主催する「キャヴァーン・シティ・ツアーズ」のダイレクターで、この「マシュー・ストリート・フェスティヴァル」の創設者でもあるビル・ヘックルは、まったく寝耳に水の話だったと語っています。
「この街は惨事とか事故には特に敏感だから、安全が保障されないなんて言われると、無視するわけにはいかないんだろう」
「私がこのことを聞いたのは今朝(8月2日)の8時半だ。今もショックから立ち直れていない」
「どうすればいいか、それ明白だと私は思っている。まず大事なことを思い出してほしい。バンク・ホリディの週末のお祭りが全部なくなるわけじゃない。ビートル・ウィークの開催にも影響しない」
「例年と違うのは、野外のライヴ・ステージがないってことだけだ。これはスタートしたときのマシュー・ストリート・フェスティヴァルのスタイルと同じだ。10年前に労働党が野外ステージを作るお金がなかった時もあったが、我々の手でやって成功させた。だから今回も成功させようと思っている」
批判の矢面に立たされ、解任を求める声もあがっている「カルチャー・カンパニー」のチーフ・エグゼクティヴ、ジェイソン・ハーボロウはこう話しています。
「イヴェントをキャンセルする決定は適切であると考えます。今年マシュー・ストリート・フェスティヴァルを開催できないのは大きな痛手なのは確かですが、しかし、少なくとも人々を危険にさらすことにはなりません」
「これは『ノー・ウィン』のシチュエーションなのです。もし開催に踏み切れば惨事が起こり、我々はそれで非難を受けることになるでしょう」
「今思えば、この決定にもっと早く到達すればもう少し批判も少なかったかもしれません。しかし決断が遅くなったのは、我々がなんとか解決策を見出そうと一生懸命努力して来たからなのです」
「私に辞めろという人々には、このことについてちゃんと説明して行きます。しかし私の同僚たちは、私を全面的に支持してくれていますよ」
「他の誰かがこのイヴェントをオーガナイズしていたとしても、同じことになっていたはずです。カルチャー・カンパニーは来年に向けて多くの仕事を抱えています。もし私や私のチームの何人かが今辞めることになれば、2008年は悲惨なことになりますよ」 (8月5日)
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【マシュー・ストリート・フェスティヴァルが中止に!?】
8月2日、今年の「マシュー・ストリート・フェスティヴァル」が中止になることが明らかになりました。中止の理由は、安全面の問題ということです。
毎年8月最後の月曜日「バンク・ホリディ」に行われ、30万人以上を動員するこのフェスティヴァルは、リヴァプール名物の観光イヴェントとなっています。
しかし現在リヴァプールのシティ・センターは、多くのエリアが再開発工事中で、特に、3万人以上を吸収できるピア・ヘッドを始が使えない現状では、数十万人もの群衆を受け入れるにはリスクが大きすぎるという判断だったようです。
フェスティヴァルを運営する公的機関「カルチャー・カンパニー」のチーフ・エグゼクティヴ、ジェイソン・ハーボロウはこう説明しています。
「マシュー・ストリート・フェスティヴァルは大きくなりすぎた。それが命取りになったと言えるだろう」
「フェスティヴァルが集める人口が巨大になっていること、それとピア・ヘッドが使えないこと。それが我々にとっての大きな問題となった。そして残念ながら、この問題を克服することができなかったということだ」
「なんとかこのフェスティヴァルをシティ・センターで開催できるよう、我々は懸命に努力してきた。しかし数ヶ月を要して仕上げた開催計画も、満足の行くものにはならなかった」
「最終的に我々は、全国的なセイフティ・エキスパートであるカピータ・シモンズ社に調査を依頼した。彼らがこの困難な問題の解決策を見つけ出してくれるのを期待していた。しかし残念ながら、やはり大きなリスクは避けられないというのが彼らの結論だった」
マージーサイド警察のヘレン・キング警部補はこう話しています。
「彼らが下したキャンセルの決定には、全面的に尊重します。パブリック・セイフティは最優先されるべきですから」
「マージー・パートナーシップ」のツーリズム・ダイレクター、マーティン・キングはこう話しています。
「観光部門としてはものすごく残念。うちのメンバーでこのイヴェントにかかわっている人間も多いし」
「すでに旅行の準備をしている何千人ものヴィジターにとってもショックな話だろうね」
地元紙「リヴァプール・エコー」のアート・エディター、ジョー・ライリーはこう書いています。
「考えられる限りで最高に派手なオウン・ゴールをやらかしてくれた」
「国際的なトレード・マークになっているこの街のミュージック・フェスティヴァルが中止になった。最後の最後の段階で」
「何十万人ものツーリストの楽しみが台無しになった」
「リヴァプールの経済は何百万ポンドもの損失」
「いちばん最悪なのは、リヴァプールのプライドが前代未聞のやり方でずたずたにされたこと。しかもよりによってこの800年のバースディ・イヤーに」
「シティ・カウンシルと、その子犬であるカルチャー・カンパニーが、誰が責任を取るかでもめているのは見苦しい。洞窟のこうもりよりも目が見えない彼ら全員が責任を負うべきである」
「ファンにとって、今年は特別な年である。ジョンとポールが出会って50年、キャヴァーン・クラブが開業して50年、ブライアン・エプスタインの死去から40年、サージェント・ペパーがリリースされて40年」
「しかしそれらは今、能なしどもによって台無しにされてしまった」
「誰が見ても悲劇だが、もしそうでないとすれば、何かの賞を獲るほどの茶番と言えるだろう」 (8月4日)
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【レッズの新スタジアム】
7月25日、リヴァプールFCの新スタジアムの建設計画が、リヴァプール・シティ・カウンシルの承認を受けました。
スタンリー・パークに建設される新スタジアムは、超モダンな外観を持ち、2010年のシーズン開幕に合わせてのオープンとなります。
新スタジアムの収容人数は6万人とされ、現在のアンフィールドの4万5000人から1万5000人の増加となりますが、建設段階でさらに増やして、イングランドのフットボール専用スタジアムとしては最大の7万6000人収容となる可能性もあります。
リヴァプールのキャプテン、スティーヴン・ジェラードは、新スタジアムを絶賛しています。
「正直言って、すごいものになるってことは知ってたんだけどね。でもこのプランを5分かけてじっくり見た後で、完全にぶっ飛ぶことになったね」
「僕らはリヴァプール・フットボール・クラブだ。僕らは最高のものを求める。で、これはその最高のものになってくれるだろうね」
「僕はこれまで、いくつかのスペシャルなスタジアムでプレイしたことがある。でもこれこそ、ほんっとにスペシャルだよ。しかも、僕らのは他のクラブのスタジアムをコピーしたものじゃあない。これはすごく重要なことだよね」
もうひとりの中心選手、ジェイミー・キャラガーも、新スタジアムの斬新なデザインを気に入ったようです。
「みんなこのプランにエキサイトしてるよ。超豪華だよね」
「僕らは今、アンフィールドというグレイトなスタジアムを持っている。でもデザイナーたちはそれにとらわれず、完璧に違うものを出してきた。ほんとにスペシャルなものになったね。こんなフットボール・スタジアム、見たことないぜ」
監督のラファエル・ベニテスも手放しで称賛しています。
「新しいスタジアムの設備は、このクラブの明るい将来を確かなものにしてくれるはずだ。そしてこのスタジアムは、グレイトな我々のファンにふさわしいものだ」 (7月31日)
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【赤いバスで離婚?】
ステージコーチ社のドライヴァー、アラン・カランさんは、根っからのエヴァトンFC(ブルーズ)・ファンです。
しかし会社が先月より導入したバスが、アランさんに離婚の危機をもたらしています。
街を二分するライヴァルチーム、リヴァプールFC(レッズ)のヨーロッパ制覇30周年を記念したデザインのバスで、車体の横にレッズのエンブレムや“Chempion of Champions”のロゴが入り、全体が真っ赤に塗られているのです。
アランさんは、不本意ながらそのバスを運転していました。
しかし、それを見て黙っていられなかったのが、奥さんのマリーさんでした。
アランさん以上の熱狂的なエヴァトニアンのマリーさんは、「そのバスの運転をやめないなら離婚する」と夫に迫ったのです。
ブートル在住で54歳のアランさんはこう言います。
「『もしあんたが平気な顔であのバスに乗り続けるんなら、わたしはすぐ出て行きますからね』ってカミさんに言われちゃって」
「カミさんは熱狂的なエヴァトニアンでね。一家全員がそうなんだ」
「宗旨替えと一緒だってカミさんは怒るんだよ。だから乗るのを拒否してシフトを降りるべきだったって。でもそんなことしたら俺はクビになってしまう」
「もうどんづまりだよ、何もかも。行きつけのパブにも行かせてもらえないよ」
アランさんと同じステージコーチ社支部の食堂で働くマリーさんは、赤いバスを運転する夫に朝食を出すことを拒否しています。そして怒り心頭でこう話しています。
「あたしたちの伝統とかフットボールの信仰心を侮辱する以外の何物でもないわ、あのバスは。だからアランがあれを運転することには何が何でも我慢ならないのよ」
「もしアランが自分で何とかできないんだったら、あたしはもう知りませんからね。それならもう終わりよ。あたしたちは別れるしかないわ」
この騒動を聞いてあわてたステージコーチ社は、アランさんとマリーさんを呼んで話し合い、エヴァトンFC・ブランドのバスを導入することを決定しました。
エヴァトン・ブルーのバスは8月の始めに登場することになっています。
もちろん、ハンドルを握るのはアランさんです。 (7月22日)
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【もっと大きく】
アルバート・ドックの「ビートルズ・ストーリー」が、来年の「ヨーロピアン・キャピタル・オブ・カルチャー」に向けて、倍以上のサイズに拡大されることになりました。
1990年にオープンし、数々のツーリズム・アワードを受賞するなど、マージーサイドでも有数のツーリスト・アトラクションとなったこのビートルズ・ミュージアムは、ここ数年でさらに人気を伸ばしています。2006年には20万を超えるヴィジターを記録し、これは前年比で17%以上の増加となりました。
今回の増床により、これまであまり公開されていなかった貴重なコレクションの数々が、脚光を浴びることになりそうです。
新しいスペースには、特別展示用のコーナーが作られるほか、これまでリクエストの多かったジョージとリンゴのソロ・キャリアにスポットをあてたコーナーも作られる予定です。すでにあるジョンとポールのコーナーも拡大し、展示コレクションの数を増やすということです。
そのほかにも、子供のためのラーニング・センターやカフェ&リラクゼーション・エリアの設置が予定されています。
ビートルズ・ストーリーのスポークスマン、ジェイミー・ボウマンはこう話しています。
「新しいエキシビション・スペースをどうするか、もうちょっと煮詰めないといけないんですよ。どれも捨てるのが惜しいアイデアばっかりでね、困ってるくらいです」
「特設コーナーができるのはほんとに大きいですよ。定期的にコレクションを入れ替えることができるわけですからね。新しい物が来るたびに、そのテーマでスペシャル・エキシビションを催すことが可能になるんです」
「建て増しじゃあないんです。建物自体はそのままです。あくまでのもベースメントのエリアを有効に使うということですよ」 (7月15日)
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【ジョンとポールの50周年】
7月6日は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが初めて出会った日からちょうど50年です。
運命の出会いの場所となったウールトンのSt. ピーターズ・チャーチでは、6日から3日間にわたって特別イヴェントが開催されます。最終日の日曜日には、「ウールトン・ミュージック・フェスティヴァル」と題された音楽フェスティヴァルが予定されています。
50年前のこの日、15歳になったばかりのポール・マッカートニーは、友人のアイヴァン・ヴォーンに誘われて、この教会で行われたガーデン・パーティーにやって来ました。
アイヴァンは、スキッフル・バンド「クォリー・メン」のステージを見せたいと思ってポールを誘ったのです。アイヴァンとポールは学校の同級生で、クォリー・メンのリーダーのジョンとアイヴァンは幼いころからの友だちでした。
ポールはまず、午後4時15分に教会の裏庭で始まったクォリー・メンのステージを観ました。そしてその後、教会ホールでのダンス・パーティーで演奏するため準備をしているクォリー・メンを訪ねます。ポピュラー・ミュージック史上最高のパートナー、レノン&マッカートニーは、このとき初めて出会ったのです。
50周年記念の特別イヴェントでは、現在も活動を続けるクォリー・メンが演奏をすることになっています。
リーダーのロッド・デイヴィスは、地元紙「リヴァプール・エコー」のインタヴューにこう答えています。
「ジョンがポールと出会って、我々の音楽はがらっと変わることになったんだよ」
「たぶんあの時が、私がクォリー・メンでプレイしたほとんど最後だと思う。ポールに追い出されたんだろうって言う人もいるけどね、はは」
「真面目な話、私は勉強を続けるために大学へ行きたかったんだよ。それが理由さ。ジョンとポールはあの晩に会ったけど、2人が一緒のステージに立つことは10月までなかったんだからね」
「みんな知ってるとおり、ちょうど音楽のトレンドも変わる頃だった。スキッフルからロックンロールにね」
日曜学校からのジョンの友だちで、クォリー・バンク・スクールの同級生でもあるロッドは続けます。
「あの日、何かが起きているってことに気がついてた人間なんて誰もいないよね」
「ロンドン近郊の自宅の壁に、あの日に撮られた写真を飾っているんだ。大きく引き伸ばしたやつをね。誰かが家を訪ねて来るたびに、その写真について話すんだよ」
その写真とは、ジョンを中心にしたクォリー・メンが、St. ピーターズ・チャーチの裏庭のステージで演奏している有名なショットです。
写真を撮ったのは、ロッドの友人で同じクォリー・バンク・スクールのクラスメートだったジェフ・ラインドでした。
現在ダブリンに住むジェフは、リヴァプール・エコーのインタヴューにこう答えています。
「あの日は自分のカメラを持って行ったんだよ。写真を撮ってあげようと思ってね。バンドがステージに上がったのを見て、1枚だけ撮ったんだ」
「その後でジョンが私のところにやって来た。『俺のバンドの写真撮ってたよな』って訊かれたよ」
「で、私は『イエー』と答えたんだが、それっきりだよ、私たちがその写真について話したのは」
「ずっと後になってからだけど、ヨーコ・オノが、ジョンの写真の中でもあの写真が特にお気に入りだって言ってくれたよね」
「当時の多くの人々と同じで、私は1本のフィルムにいろんな題材を詰め込んでいた。後でネガを切り取るんだ。このケースでは、2.25インチ(約3.175cm)四方だった」
「で、そのまま引き出しに放り込んで、それきり忘れてたんだ」
それから7年も経った1964年になって、ジェフはこのネガを発見しました。そして、リヴァプール・エコーの「ノスタルジー・ページ」に送りました。
フォトグラファー兼アーティストとして働いてきたジェフは、今回の記念イヴェントに参加して、彼が撮影した歴史的写真のプリントにサインすることになっています。
ジェフは続けます。
「素晴らしい里帰りになるだろうね。ファンの人たちと話せるのも含めてね」
「50年代のカメラを持って行くつもりだ。eベイのオークションでやっとこさ手に入れたものだよ」
「またクォリー・メンを撮影するのもいいよね。そこにジョンがいないのは寂しいけどね」
ロッド・デイヴィスは、クォリー・メン脱退後、レノンとマッカートニーの2人に別々の場所で会ったことがあると言います。
「ジョンには1962年にオーウェン・オーウェン(訳注:クレイトン・スクエアにあった百貨店)の前でばったり会ったんだ。ドラムを演奏できないかって訊かれたよ。ハンブルグに行くことになったからって」
「無理だよって私は答えて、でまあ、ああいうことになった、と。もし私が受けてたら全然違う展開になってたかもね」
ポールとの再会は、もっとずっと後のことでした。
「今ウインドサーフィンをやってるんだけど、2,3年前にサウス・コーストに行ってね。その時にある人が僕をポールに紹介してくれたんだよ。ポールはそのビーチにバンガローを持ってて、ちょうど犬を散歩させてるところだった」
「その人がポールに僕のことを話すと、彼は『おお、クォリー・メン…。僕が君をバンドから追い出したんだっけ?』って言って、いたずらっぽく笑った。それから我々は少し話して、彼は散歩に戻った」
「でもよかったよ。これで俺の後釜はポール・マッカートニーだぜって堂々と自慢できるかな」
「今あの写真を見るとね、そこに写っているみんなのことを考えちゃうね。あれからどんな人生を送ったんだろうって」
「あの写真は、私をあのスペシャルな夏の日に連れ戻してくれるんだ。50年前のあの日にね」 (7月7日)
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【ほっぺにピック】
6月23日と24日の2日間にわたって開催された『ノウズリー・ホール・ミュージック・フェスティヴァル』。
初日のメイン・アクトとして登場したザ・フーは、大雨の中を集まった約3万人の聴衆を前に、自分たちでも「これまででもベストのうちのひとつ」という最高のパフォーマンスを披露しました。
その盛り上がりが最高潮に達したころ、VIP席のトレーシー・マクナリーは、頬に何かが貼りついたのを感じ、思わず悲鳴をあげました。誰かに唾を吐きかけられたと思ったからでした。
4人の子供を持つ39歳のトレーシーはこの日、ノース・ウエスト地域で初のミュージック・フェスティヴァルを楽しもうと、夫のジョージと一緒にカークビーの自宅からやって来ていました。
トレーシーはこう話しています。
「このVIPチケットはね、夫からのプレゼントなの。結婚5周年のね。私がものすごく音楽が好きだからって」
「ミュージック・フェスティヴァルって今まで行ったことなかったのよ。だからぜんぜん場違いな格好で来ちゃった。マキシドレスにハイヒールよ。雨でドロドロで、夫は私のために長靴とTシャツを買う羽目になっちゃったの」
「ザ・フーはファビュラスだったわ。今までライヴを観に行ったことなかったけど、もう大ファンになっちゃったわ」
「私たち、ステージから40フィート(約12メートル)くらいだったわ。いきなり何かわかんないものがほっぺたに飛んできて、思わず叫んじゃった」
「その顔でジョージを見たら、大笑いされちゃった。ほっぺたのものをはがしてくれたんだけど、それはギターのピックで、よく見るとロジャー・ダルトリーって書いてあったのよ」
「もう嬉しいなんてもんじゃないわ。eベイに出したりなんかしませんって」
「家に帰って息子のジャックに自慢したの。17歳でギターやってる子。でも『あ、そう』って感じだったからがっかりよ。ザ・フーは別に好きじゃないんですって」
リヴァプール郊外のノウズリーで開催された『ノウズリー・ホール・ミュージック・フェスティヴァル』には、ザ・フーのほかにキーン、ザ・ズートンズ、マッドネス、ザ・コーラルなどが出演、2日間でおよそ5万人ものオーディエンスを集めました。
大雨にたたられたことやオーガナイズの不手際などで大きな批判を浴びましたが、主催者はこれを教訓にして来年はもっといいフェスティヴァルにすることを約束しています。 (7月2日)