February 14 2012, No.493
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  リヴァプール・ニュース / News of the Liverpool World   
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▽特派員レポート:「ゴールドフィッシュだより」
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「ゴールドフィッシュだより」 / ミナコ・ジャクソン
          〜 Goldfish Liverpool Update / Minako Jackson 〜

 ― 第204号 / Year of Dragon & The Didi Man Book Launch ―

 ≪ http://scousehouse.net/goldfish/goldfish204_photo.html ≫

こんにちは。
ヨーロッパはこのところ厳しい寒波に見舞われています。
ここリヴァプールでは、比較的温暖な1月が終わり、2月に入ってから寒さは深
まりましたが、他のヨーロッパの地域とは比べ物にならないほど温かなので、あ
りがたく感じます。

先月、ホームメイドのマーマレードを作りました。
短期間しか出回らないセヴィルオレンジがお店に並ぶと、いち早く友人から連絡
が入り、日付を決めます。
おしゃべりがてら、手をベタベタにしながらのマーマレード作りはとても楽しく、
昨年から恒例イベントになりつつあります。セヴィルオレンジは生食には苦すぎ
るそうなのですが(怖くて試してません)、マーマレードにするとその苦味がな
んともいえない良い風味となります。
皆さんにお分けできないのが残念ですが、市販のものが物足りなく感じるほど今
年もおいしくできました。オレンジはスペイン産ですが、マーマレードはスコッ
トランドのダンディーが発祥地とのことなので、ブリテン島の名産と言ってもい
いでしょう。
日本のように食べ物に季節感が感じられないイギリスで、ブリティッシュ・アス
パラガス以外にも季節の楽しみが増えました。

♪ ♪ ♪

1月22日(日)、リヴァプールのチャイナ・タウンでは一日早いチャイニーズ・
ニュー・イヤーのお祭りが行われました。
やや風が強く、どんよりとした曇り空のなか行われ、報道によると2万5千人ほ
どの人々が押し寄せたとのことです。
ばったり会った友達と、「雨が降ってないだけよかったね」と話しているそばか
ら大粒の雨が降り出したりといった場面もありましたが、結構良いポジションに
いたので、龍の舞いが目の前で見られてちょっとラッキーな気分になりました。

今年は辰年です。昇龍のように右肩上がりに昇っていくような年となることを
祈ってます。

♪ ♪ ♪

先々週の水曜日の晩に、一本の電話がありました。
声の主は、スカウスハウスでも何度か登場した友人のトミーさんことトミー・カ
ルダーバンクさん。相変わらずのハイテンションで、明日の午後、ミュージア
ム・オブ・リヴァプールでディディ・ハマンの新しい本の出版発表会があり、チ
ケット2枚確保したけど、旦那と一緒に来る? と聞かれ、二つ返事で行ってき
ました。

この度出版された「The Didi Man My Love Affair With Liverpool」は、共著者
にマルコム・マククリーンを迎えて書かれたディディ・ハマンの自伝本です(ち
なみに、マルコムは、トミーさんの上司です)。
このイベントのゲストには、なんと豪華なことに、スティーヴン・ジェラードと
ジェイミー・キャラガーの姿も見られました。

2005年のヨーロピアンチャンピオンズリーグ優勝を含む、7年間のリヴァプー
ルFC時代のエピソードを中心に、前後のキャリアや彼を取り巻く人々がユーモ
アたっぷりに描かれています。
冒頭でディディは、この本は「ライヴァー・バードへのラブレター」だと述べて
います。初めてリヴァプールの街にやってきた瞬間から特別な感覚が押し寄せて
以来、ライヴァー・バードの魔法にとりつかれ、そのまま醒めないでいてほしい
と願うほどのラブロマンスだといいます。

レッズサポーターの方には言わずと知れたことだと思いますが、ディディ・ハマ
ンは本名ディトマー・ハマン。ドイツはヴァルトザッセン出身のミッドフィール
ダー。
バッカー・ブルクハウゼンのユースチームから16歳でバイエルン・ミュンヘン
入りし、ニューカッスル・ユナイテッドを経て、7年間のリヴァプールFC在籍
のあいだには複数の優勝トロフィーを獲得するチームの一員として活躍し、ドイ
ツ代表選手として9年間務めるといった、輝かしい栄光を飾ります。
その後マンチェスター・シティに移籍し、ミルトン・キーンズ・ドンズでは選手
兼コーチに転身し、最近ではストックポート・カウンティで監督を務めました。

序文は、現在全英で絶大な人気を誇るリヴァプール出身のコメディアン、ジョ
ン・ビショップが手掛けています。
2005年のイスタンブールでのチャンピオンズ・リーグの決勝戦がなかったら、
今の人生はなかったと断言するほど筋金入りのレッズ・サポーターです。
几帳面さ、服のセンスが良く、ユーモア感覚に欠けるといったイギリス人が考え
る典型的なドイツ人のイメージが、ディディがやってきたことでことごとく崩れ
たと述べています。

本文のなかには、その理由が明かされています。
リヴァプールFCに移籍して間もなく、キャラガーをはじめとしたメンバーと一
緒に飲みに行った後、やっとつかまえたタクシーの運転手に「うちまで乗せてっ
てくれたら50ポンド払う」と言ったまではよかったけれども、自分の家の住所
を覚えていなかったという出来事。この笑えるハプニングが、リヴァプールのメ
ンバーとの距離を近づけたそうです。

また、レッズとの契約を結ぶときのために自身満々でスーツを選んだディディ。
しかしそのファッションをリヴァプール・エコー紙は、「70年代に親が6歳児に
無理やり着せた茶色い服のよう」と描写し、チームメイトからは爆笑され、当時
の監督ジェラード・フーリエからは「地理の先生と契約したかのようだった」と
コメントされたとのこと。

ユーモアのセンスは、本の至るところに散りばめられています。面白いです。
実際の口調からも、ややスカウスの混じったドイツ語訛りの英語が発する言葉に
は、発想といい、ノリといい、自他共に認めるジャーマンスカウサーとしての資
質が備わっています。

ディディという愛称も、ある意味運命的といえるかもしれません。
「ディディ」ときいてスカウサー達なら誰もがイメージするのが、リヴァプール
が生んだコメディアンの王様ケン・ドッドのコメディに登場する小人達ディディ
メン(「Diddy」とは北イングランドで「小さい」を意味します)だと思います。
スカウサー達に受け入れられるニックネームであること間違いありません。

ディディのリヴァプールでの暮らしを誰よりも豊かにしたのが、ジェイミー・
キャラガーで、波長や笑いのツボが絶妙に合うことから友情が芽生え、よくつる
んでいるそうです。
ピッチではプロのフットボーラーでありながら、オフピッチではブートル(北リ
ヴァプール)出身の普通の青年そのままで、派手さや飾り気など微塵もなく、地
元への誇りが高く、ユーモアを通じて人々をまとめあげるキャラガーに惹かれた
ようです。

ディディはキャラガーを「ブートルの文化親善大使」と呼んでいます。キャラ
ガー率いるディディのブートル初体験のシーンも面白いです。
また、相当な名物おやじであるキャラガーのお父さんや、2005年に横浜で行わ
れたFIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップジャパンのために来
日した際に、キャラガーのやんちゃな旧友のためにディディが警察沙汰に巻き込
まれたときのエピソードにも触れています。

スティーヴン・ジェラードについては、ジェラードが弱冠17歳でファースト
チームでのトレーニングを始めたとき、輝くような才能とダイナミックさに目
を疑うほどだったそうです。
オールマイティーで向上心に満ちていましたが、荒削りな面も見られたため、
ディディは惜しまずジェラードにアドバイスをしました。ディディ自身バイエル
ン・ミュンヘンに入ったときに、先輩たちにあまり構ってもらえなかった経験が
あることから、若手が育つようサポートの手を差し伸べることの大切さが本のな
かで何度も強調されています。
他人のアドバイスを謙虚に聞く姿勢があり、のみこみも早いジェラードは、ナー
バスなルーキーからインターナショナルなプレイヤーに成長し、その後のリヴァ
プールFCの歴史を担う存在となったことは誰もが知る通りです。

2005年のヨーロピアン・チャンピオンシップの優勝までを綴ったチャプターは、
まさに感動のドラマです。しかもその時点でディディは、リヴァプールでの契約
がそのシーズンで切れることになっていたため(結局延長されましたが)、怪我
をした足で臨んだ決勝戦でのPKは、リヴァプール最後の試合で燃え尽きる覚悟
だったのでしょう。
試合を観るだけでも相当ドラマチックですが、選手の視点から描かれた行動や心
情からは、息遣いまでが伝わってきそうです。

2006年のFAカップ優勝の興奮の後、ディディのリヴァプールでのキャリアに終
わりを告げることになります。
デイヴィッド・モイエスからエヴァトンへの誘いがありましたが、自分とリヴァ
プールFCとの関係を危うくすることはしたくないという理由で丁重に断ります。
エヴァトンといえば余談になりますが、リヴァプール選手時代に、一人でゆっく
りしたいと思い、エヴァトンファンの集まるパブに行ったときに、ブルーのファ
ン達は絡んでくることもなければ、サインや握手を求めることももちろんなく、
そっとしておいてくれたことが印象的だったと語っていました。

そしてボルトン・ワンダラーズと契約した1時間後に、本命だったマンチェス
ター・シティからのオファーが入ります。
結果的にはマンシティがボルトンに40万ポンド支払うことで移籍が合意され、
1時間のタイムラグが生んだ史上最も高額なフリートランスファーとなります。

公私ともに行き詰った時期があり、夜も寝られず、その頃はまりはじめたクリ
ケットの賭けにのめりこんで、一晩で 288,400ポンドをすったこともあること
を認めています。辛い時期には、ユール・ネヴァー・ウォーク・アローンの歌
詞に救われたそうです。マンシティでの契約延長がないことが判明し、一年間
の「ギャップ・イヤー」に入ります。

選手としてのキャリアを通じて、常に素晴らしい監督に恵まれてきたとディディ
は重ねて述べています。
「勝つ」という目標は同じでも、そこに至るまでのアプローチが監督によって異
なります。選手としてのキャリアも節目に近づき、いつしかコーチまたは監督へ
の道を模索しはじめます。

ミルトン・キーンズ・ドンズから選手としてプレイしないかとの声がかかり、
コーチをするチャンスをくれるなら合意するという条件で、選手としてプレイし
ながら、名監督から学んだことを若手に受け継いでいきます。

昨シーズンのイングランド・リーグ2を最下位で終えたストックポート・カウン
ティで監督としての新しいキャリアの第一歩を踏み出し、チーム再建を目指しま
したが、当初約束されていたクラブの買収が実現しなかったことから、早くも去
年の11月、不本意にも離れることになったディディ。今後も監督としての道を
歩んでいきたいという意気込みが強いようです。

この本でのお話はここまでで、次のステップが気になるところですが、直感に
従ってこれまで絶妙なタイミングで降りてきたチャンスを掴んできた人ですので、
きっと何かが次に待っていることだろうと思います。 

この本の出版を記念して、特別にローバジェットなビデオクリップ「The Didi
Man: My Love Affair with Liverpool - In 5 fab factoids!」が作られました。
ディディさんがリヴァプールの5つの特別な場所を周り案内してくれます。
明らかにカンペを見ながらなのが微笑ましいです。スカウスを手渡す役には、我
らがトミーさんと友情出演のジェイミー・キャラガーのダブルビルです。
 http://www.youtube.com/watch?v=YNhUZWWG8rU

それでは、楽しいバレンタインをお過ごしください!

ミナコ・ジャクソン♪

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