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スカウスハウス・ツアー2005 「利物浦日記(2005年夏)」(レポート)


この「利物浦日記(2005年夏)」は、「スカウスハウス・ツアー」お世話係の Kaz による、2005年の「インターナショナル・ビートル・ウィーク 2005」のレポートです。
「利物浦」というのは、「リヴァプール」のチャイナ式表記です。つまりは「リヴァプール日記」なのですが、個人的には、「りばのうらにっき」と読んでいます。
まるでマシューストリート・フェスティヴァルの日のリヴァプールのように、ほのぼのとしていい感じだと思いませんか?
初出はすべて、スカウス・ハウス発行のメールマガジン「リヴァプール・ニュース(News of the Liverpool World)」です。第217号から第236号までの間に、連載という形で掲載しました。

「利物浦日記(2005年夏)」 - SCOUSE HOUSE TOUR 2005 / REPORTS

第1話 <リヴァプールの新ビートルズ・スポット>

2005年8月26日、リヴァプールのケンジントンで、小さなセレモニーが行われた。
ロイヤル・リヴァプール・ホスピタルにほど近い小さなテラス・ハウスが、新たにリヴァプールの「ビートルズ・マップ」に書き加えられることになったのだ。

これまでは「知る人ぞのみ知る」存在だった、ケンジントンの38番地。
この場所には、パーシー・フィリップスという男が経営するレコーディング・スタジオがあった。
スタジオではバンドの練習が出来るほか、テープに録音したり、レコードを作ることができた。
1958年、後にビートルズとなる「クォリーメン」が、ここで2曲の演奏を吹き込んだ。バディ・ホリーの「ザットル・ビー・ザ・デイ」と、ポール&ジョージの共作「インスパイト・オブ・オール・ザ・デインジャー」。
お金がなかったので、テープには録音せず、レコード盤に直接、演奏を刻んだ。

この日演奏したクォリーメンのメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、コリン・ハントン(ドラムス)、ジョン・“ダフ”・ロウ(ピアノ)の5人だった。
この時に作られたデモ・レコードは、メンバーの間で回し聴きされた後に忘れ去られ、80年代になってジョン・ロウがその存在を明らかにした。
この世にたった1枚だけ存在するクォリーメンのレコード。現在はポールが所有している。

「幻のレコーディング」だったこの2曲だが、1995年にリリースされたアルバム『ビートルズ・アンソロジー1』に収録され、今ではファンの誰もが「クォリーメン=未来のビートルズ」の歴史的な音源を聴くことができる。
僕は、『ビートルズ・アンソロジー』シリーズの中では、『1』がいちばん好きだ。圧倒的に。
それはやはり、リヴァプールを感じることができるからだと思う。中でもこのクォリーメンの2曲は、「フリー・アズ・ア・バード」にも匹敵する、特別なトラックだと思う。

17歳のジョン・レノンの声。
「ジョン・レノンは産まれた時からジョン・レノンだったんだなあ」
と、聴くたびに感動してしまう。

 ● ● ●

さて、セレモニーの話。
クォリーメンのレコーディングが行われたことを記念したプラーク(記念プレート)がケンジントンの38番地に設置され、8月26日に除幕式が行われた。
残念ながら僕は別の用事があってセレモニーには参加できなかったが、翌日の新聞「デイリー・ポスト」と「リヴァプール・エコー」に、その模様が写真つきで伝えられた。
除幕式に出席したのは、ケンジントン生まれのラジオ・プレゼンター、ビリー・バトラー、レコーディングに参加したコリン・ハントンとジョン・ロウ、そしてジョン・レノンの妹ジュリア・ベアードだった。

コリンは、「デイリー・ポスト」紙に当時のことをこう回想している。
「私たちみんな、3シリング6ペンスを出し合ったのを憶えてるよ。でもその時フィリップスさんに、(直接レコードに音を入れるより)まずテープに入れるのがベストだぞって言われたんだよね」
「それにはいくらかかるんだってジョン(レノン)が訊いて、フィリップスさんは1ポンドだって答えた」
「そしたらジョンもポールも真っ青になっちゃってね。で、結局レコードにダイレクトに吹き込むことになったんだよ」
「アップルが『ビートルズ・アンソロジー』にあれを収録してくれて、最終的にはめでたしめでたしってことになったよね。私たちみんながあの音源をシェアできるし、3シリング6ペンスどころか、それ以上を還元してもらったよ。印税でね」

ジョン・ロウはこう話している。
「20年前にやるべきだったな。だってここからすべてが始まったんだから」

 ● ● ●

セレモニーから4日後、やっと時間ができたので、ケンジントン38番地を訪ねてみた。
家の壁や玄関ドアのペンキは、キレイに塗り替えられている。玄関の上のガラス窓には、演奏しているビートルズのシルエットに “BIRTHPLACE OF THE BEATLES” の文字が添えられている。そしてその上のスペースに、素敵なデザインのプラークが居心地よさそうに収まっている。

実は僕は、ちょうど2年前に、このプラークのデザインを見ている。
見ただけでなく、このプラークの原画のコピーを持っている。
プラーク・デザイナーのフレッド・オブライエンさんと偶然に知り合って、彼から気前良くプレゼントしてもらったのだ。もちろん、今も手元に大切にとってある。

その原画と今回の完成版とを比べると、ポールとジョージ以外のメンバーの写真は差し替えられ、文字のフォントや文言にも修正が施されていることがわかる。
しかし、いちばん決定的な違いは、“ SUPPORTED BY kensington regeneration ”というクレジットだ。
おそらくは、このスポンサーを見つけ、実際の設置にこぎつけるまでに、2年の月日を要したということなのだろう。

「ケンジントン・リジェネレーション」は、ケンジントン地区の再生を目的に活動する公的機関のようだ。
ケンジントン地区に埋もれている歴史的・文化的なスポットにライトを当て、対外的にPRして行くことは、彼らの重要な仕事のひとつであるに違いない。
それが、「ビートルズのファースト・レコーディングが行われた場所」であれば、まさに願ったり叶ったりというところではないだろうか。
海外からも観光客を呼べるポイントが出来たことで、ケンジントン地区の活性化に、大きな弾みがつくかもしれない。もちろんビートルズ・ファンにとっても、ありがたい話だ。

この「パーシー・フィリップス・レコーディング・スタジオ跡」は、リヴァプールの中心部からは少しだけ離れたところにある。ライム・ストリート駅からだと、歩いておよそ15分というところだろうか。

何かのついでにひょいと立ち寄れるようなロケーションではないけれども、これからリヴァプールでビートルズの足跡を辿るファンには、ぜひとも訪れてほしいと思う。
ビートルズのためにも、クォリーメンのためにも、そしてケンジントン地区のためにも…。

心からそう願いながら、ケンジントン38番地を後にした。

(利物浦日記1・おわり)

(NLW No.217に掲載)


第2話 <ポールの家のジョン>

毎年リヴァプールで会うのが楽しみな人が、何人かいる。
ポールの家「 20 Forthlin Road 」の管理人、ジョン・ハリデイさんもそのひとりだ。

「ポールの家の管理人は、ポールのそっくりさん。でも名前はジョン」
と、いろんなところで紹介されているので、今では結構有名人だ。本人もそれが嬉しいようで、イヴェント会場などで、ビートルズ・ファンに自分から寄って行って自己紹介したりする。
まあ屈託がないというか、愛嬌があるというか、とにかく憎めない性格なのだ。誰とでも打ち解けてすぐに友だちになってしまうのが、この人のいいところだ。

8月26日、今年も「ナショナルトラスト・ツアー」でポールの家を訪問した。
その時にジョンと交わした会話をいくつかここで紹介しよう。ジョンの人柄を感じてもらえればと思う。

僕:「声の調子、悪そうだね」
ジョン:「うん、もう嗄れてるもんな。今年は日曜も月曜も開けることになったからたいへんなんだよ」
僕:「日曜も月曜も? そりゃあキツイね。ということはジョン、コンヴェンションに行けないじゃん」
ジョン:「そうなんだよ、カズ。ギグとかもあんまり観れないんだよね。楽しみにしてたんだけど」

僕:「ところでジョン、サー・ポールにはもう会えた?」
ジョン:「いいや、まだなんだよ」
僕:「でも何度も来てるんだよね、ポールさん」
ジョン:「3回来てる。でもぜ〜んぶ僕が留守の時なんだ。鍵がかかってるからもちろんポールは家の中に入れないし、僕はポールに会えない」
僕:「やれやれ。『ナショナル・トラストのツアーを予約しなさい』ってポールさんに言っとけば?」
ジョン:「ははは。でも今度はだいじょうぶだよ。こないだマイク(ポールの弟のマイク・マッカートニー)が来た時に、僕の携帯電話番号を教えといたんだ。次来る時に直接連絡してもらえるようにね」
僕:「へえ〜、すごいな。かかってくるかな」
ジョン:「そのうちきっとね。もうポールのケイタイには僕の番号が入ってるかもね!」

ジョン:「カズ、ポールの新しいアルバムのカヴァーはもう見た?」
僕:「えーと、どっかで見たはずだけど…どんなんだったっけ?」
ジョン:「この家のバックヤードでポールが歌ってる写真。マイクが撮った…」
僕:「ああそうだそうだ、思い出した。そっかあ、この家の裏庭だよね」
ジョン:「そうなんだよ。で、きっとあのガーデンチェアーに座ろうとするやつが出てくるだろうなーと思ってさ。壊されでもしたら…」
僕:「なるほどねー、もう心配してるんだ。じゃ、誰かに壊される前に僕が座ってもいいかな」
ジョン:「いいわけないだろ!」

ここで、アメリカから来たグループのひとりが、
「ねえジョン、そもそもなぜあなたがここの管理人に選ばれたの?」
と質問。ジョンが茶目っ気たっぷりに答える。

「んー、そりゃあ僕のセックスアピールのせいだろう」

これにはみんな大爆笑。場を和ませた後で、ジョンはこう続けた。

「まあ公募で選ばれたんだけどね。で、あっちのメンディップスをナショナル・トラストが管理することになった時も、最初に住み込みで管理したのは僕だ。つまり僕は、ポールの家とジョンの家、その両方で暮らした唯一の人間なんだよ。これってさ、小さい頃からずうっとビートルズを追いかけて来た人間にとっては、悪くないよね」

なるほど、悪くないよ、ジョン。
いや、悪くないどころか、世界中のビートルズ・ファンが君のことをうらやましがってるぞ〜!

(利物浦日記2・おわり)

(NLW No.218に掲載)


第3話 <聖地にて>

8月27日、ストロベリー・フィールドでガーデン・パーティーが行われた。
今年の「ビートル・ウィーク」フェスティヴァルのメイン・イヴェントのひとつであり、およそ70年続いたこの孤児院の、フェアウェル・パーティーでもあった。

ストロベリー・フィールド。
ビートルズ巡礼のためにリヴァプールを訪れる人で、この門の前に立たない人はいないだろう。
あの静謐で思索に満ちた、幻想的ともいえる “Nothing Is Real” な佇まいに、感動を覚えない人もいないだろう。この門の前で動けなくなって、何時間も過ごしたという経験を持つ人を、僕は何人も知っている。

もちろん今のストロベリー・フィールドは、ジョンが通っていた頃の姿とはまるで違う。
当時はこんなに鬱蒼と草木は茂っていなかったはずだ。ここから車も出入りしていたし、すぐ目の前には大きな建物があった。ジョンが親しんでいた風景と、今我々が見ている風景は、まったく別のものなのだ。
でも『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』という曲の持つ神秘的なイメージには、現在の姿の方がしっくりくる。これ以上ないくらいに、ぴったりなのだ。

つまりは、「曲の抒情性に合わせるように、現実のストロベリー・フィールドの方が、その姿を変化させてきた」ということになる。
不思議な話だが、やはりそれは、ここを訪れるビートルズ・ファンたちの想いが、作り上げてきたものなんじゃないかと思う。いろんな国や地方からやって来た、それこそ何十万人ものファンたちの想いが、今のストロベリー・フィールドの姿を作り上げてきたのだ。
やはりこの場所は、「聖地」と呼ぶに相応しい。

さて、ガーデン・パーティー。
「あのストロベリー・フィールドの門の向こうに入れる」
もうそれだけで、今年のフェスティヴァルへの参加を決めたファンも多いと思う。
それに加えて、5月いっぱいで孤児院がクローズになってしまったために、「もしかしたらもう見られなくなってしまうかもしれない」と心配になってやって来たファンもかなりいるはずだ。

果たして、ガーデン・パーティーは大盛況となった。
シャトル・バスがひっきりなしに往復して次から次へとファンたちを運んでくる。ビートルズ・バンドのライヴ演奏をメインに、サッカーやミニゴルフのアトラクションがあったり、コレクション・バザーや記念グッズの販売コーナーが設けられていた。フードスタンドやトイレには長い長い行列が出来ていた。それはまるで1日限りの縁日のようだったけれど、祭りの後の寂しさが頭をよぎって、誰もが心から楽しめないでいるように見えた。

午前中は快晴だった天気は、イヴェントが始まる頃に突然曇りだし、そのうちに雨模様になった。
強い雨ではなく、小雨と霧雨が交互にやって来るという、何というかデリカシーの感じられる雨だった。
その雨が、あのストロベリー・フィールドの門と、そこから続く小径に漂う寂寥感を、じわじわと優しく増幅しているように感じられた。

ストロベリー・フィールド正門のエリアは、当然ながら、感慨に耽ったり写真を撮ったりするファンが後を断たなかった。しかし、ぎゅうぎゅうに混み合うというほどではない。イヴェントが始まって2時間もすると、門のこちら側には3〜4人のファン、という状態になった。おかげで僕は、普段と変わらないあの「わび・さび」にも通じる静かな佇まいを、心置きなく味わうことができた。

ストロベリー・フィールドの門のそばで、目を閉じてじっと耳を澄ましてみる。
降りしきる雨、風に揺れる木の葉、鳥のさえずり…。そして湿気を含んだひんやりとした空気の感触、土や植物の匂い…。
夢と現実のボーダーが曖昧になってきた。そして、やっぱりこのフレーズが浮かんだ。

“Nothing Is Real”

つまり、「リアルなものは何もない」。
あるいは、「無こそリアル」。

この場所がこれからどうなるのか、それはわからない。
僕らの願いどおりこれからも聖地として大切にキープされて行くのだとすれば、こんなにハッピーなことはない。
しかし、もしもそれが叶わないとしても、そう悲観することはないのかも知れない。僕らの心の中では、目に見えないものや形のないものだって、じゅうぶんにリアルだ。想いが続く限り、ずっとリアルだ。いつまでも…。
そう、それがきっと、「フォーエヴァー」ということなのだ。

(利物浦日記3・おわり)

(NLW No.220に掲載)


第4話 <ウールトン&ペニー・レーン散策>

「スカウスハウス・ツアー」では毎回、「ぶらぶらウォーク」と題したウォーク・ツアーをいくつか企画している。
のんびりとおしゃべりしながらビートルズの名所を案内する少しマニアックなツアーで、中でも最も充実しているのが、「ウールトン&ペニー・レーン編」だ。

今年の実施は8月27日。出発地点は、ストロベリー・フィールド。
フェスティヴァルのプログラムとして「ガーデン・パーティー」がここで開催されたので、その流れでのツアーとなった。
ガーデン・パーティーの間はずっと雨が降っていたが、ウォーク・ツアーに出発した途端、まるで誰かが合図でもしたのかと思うようなタイミングで雨が止み、ツアーの途中からはきれいな青空が広がった。なにしろ3時間以上も歩くロング・ウォーク・ツアーなので、雨が上がってくれたのは本当にありがたい。このツアーを実施するのはこれで5回目くらいだが、天候にはいつも恵まれている。リヴァプールの空に感謝しよう。

まずジョン・レノンが育った家「メンディップス」を見て、少しメンローヴ・アヴェニューを少し戻ってヴェール・ロードに入る。
よほどのマニアでない限りあまり訪れる人はいないが、このヴェール・ロードは、ジョンの少年時代の遊び場で、大親友のピート・ショットンや、ジョンをポールに引き合わせたアイヴァン・ヴォーン、ナイジェル・ウォリーといった悪ガキ仲間の家があった通りだ。
僕はこの穏やかな通りがとても気に入っている。家や道の姿は、ジョンがいたころとほとんど変わってないはずだ。ちょっとだけ、50年前にタイムスリップした気分にひたることができる。
ジョンがどうやって自分の家からストロベリー・フィールドへ通っていたか、あるいはポールをバンドに誘った様子などなど、あまり知られていない当時のエピソードを紹介しながらツアーを進める。

クォリー・ストリートを歩き、リヴァプール大聖堂の石は、ほとんどここから切り出されたという昔の石切り場、クォリー・ヴィレッジを見て、チャーチ・ロードにあるセイント・ピーターズ・チャーチへ。ビートルズ・ファンにとっては歴史的な意味を持つ、ジョンとポールが出会った教会だ。
チャーチの管理人のグラハムさんと再会。数日前も別のツアーでお世話になったのだが、今回も快く教会やホールの内部を案内してくれた。
この教会は、いつ来ても、何度来ても、不思議と感動が減ることがない。
豪華なステンドグラスが美しい教会内部ももちろんだが、1957年7月6日の「ガーデン・フェイト」の日にクォリーメンが演奏した裏庭や教会ホール、それからエリナー・リグビーやジョージおじさんのお墓のあるグレイヴ・ヤードなど、来るたびに、すべてがとても新鮮に感じられるのだ。

その後、ジョンにゆかりのあるスポットをいくつか案内して、これもゆかりのあるパブ「ダービー・アームズ」で休憩。
ビールやジュースでリフレッシュした「ぶらぶらウォーク」隊一行は、メンローヴ・アヴェニューに出て、タクシーをひろってペニー・レーンへ移動。5〜6分の距離だ。

ペニー・レーンには、あの名曲で歌われた銀行やバーバー以外にも、たくさんの見どころがある。
一般的なビートルズ観光では、ラウンドアバウトを見てストリート・サインで記念撮影してハイおしまい、というパターンが多いようだけれど、それではほんとうにもったいない。映画を観に行って、予告編だけで帰るようなものだ。
この通りとその周辺には、ジョンとジョージの母校や、ブライアン・エプスタインの母校、ジョンの最初の家、シンシアがアルバイトをしていた店、ポールが聖歌隊に入っていた教会、クォリーメンが演奏した教会ホール(現在はパブ)、さらには「フリー・アズ・ア・バード」のフィルム撮影地まであるのだから。

写真を撮ったり、ビートルズの話で盛り上がったりしながら、ペニー・レーン周辺をぐるっとひとまわりして、ちょうど日が暮れかけてくる頃に、無事ツアー終了。
時計を見ると、午後7時30分だった。予定通り、ぴったり3時間半のツアーになった。
途中休憩を入れたり、教会の内部を見学させてもらったりしたわりには、スムーズに、コンパクトにまとめられたなあ、とちょっと自画自賛してしまった。
もちろんこれは、参加されたみなさんの協力があってこそ。ビートルズについての知識の深さや、ノリの良さにも助けられたおかげでもある。
みなさん、どうもありがとう!

というわけで、今年もピースフルで楽しい「ぶらぶらウォーク・ツアー 〜 ウールトン&ペニー・レーン編」だった。めでたし、めでたし。
また来年もやりまーす!

(利物浦日記4・おわり)

(NLW No.221に掲載)


第5話 <スカウス・ランチョン>

8月28日の日曜日は、「スカウス・ランチョン」の日だった。
「スカウスハウス・ツアー」恒例のオリジナル企画で、リヴァプールの伝統料理「スカウス」を楽しんでもらおうというものだ。
いくら「ビートル・ウィーク」がメインの旅行といっても、やっぱり誰だって美味しいものを食べたいに決まっている。それが、その地域の名物料理ならなおさらだろう。

というわけでこの「スカウス・ランチョン」、「スカウス・ハウス」が自信を持ってお届けする自慢の企画なのだ。
数えてみると、今回でもう5回目になる。まあ正直に言うと、「自分が食べたいから」というのも大きなモチベーションのひとつになっているんだけど。

ここで、この料理のバックグラウンドを簡単に紹介しよう。
実は「スカウス」は、リヴァプールのオリジナル料理ではない。
もともとはスカンジナビアの船乗りの料理で、「 Labskause(ラブスカウス)」というのが正式な名前だ(ドイツには今でもこの名前の煮込み料理があるそうだ)。
外国の船乗りによって港町リヴァプールにもたらされた「ラブスカウス」は、年月と共に地元風にアレンジされて行った。名前も短く縮められて「スカウス」となった。
そしてスカウスはリヴァプールを象徴するものとして定着し、リヴァプール人は「スカウサー」と呼ばれるようになる。「スカウス・アクセント」といえば、もちろんリヴァプール訛りのことだ。

しかしこのスカウス、取り立てて特別な料理というわけではない。高級な料理でもない。ごく簡単に言えば、「ありあわせの野菜や肉を水やスープストックで煮込むだけ」という、リヴァプールのどこの家庭でも普通に作られている、シンプルでありふれた料理だ。
でもそのシンプルさゆえに、異なる食文化を持つ我々日本人にも、すんなりと受け入れられる。エキゾチックであると同時に、どこか懐かしさも感じられるという、なんだか不思議な料理なのだ。

懐かしさを感じる味、といえば、何年か前のランチョンの時に出てきたスカウスは、日本の「肉じゃが」にとてもよく似ていた。
「うわあ、これで糸こんにゃくが入ってたらまるっきり肉じゃがだよねー」
という嬉しそうな声があちこちで聞こえてきたし、僕もそう思った。
でも考えてみると、肉じゃがのルーツは英国のビーフ・シチューなのだった。
確か、「明治時代に、客船のコックさんがビーフ・シチューを日本風にアレンジしたのが始まり」という話を聞いたことがある。
リヴァプールのマムの味のルーツは北欧の伝統料理で、でもそれは作り方によっては日本のお袋の味のようで、でもそのお袋の味ルーツは英国の伝統料理で…と考えて行くとこんがらがってしまうが、なんだか面白い。表面の見た目よりもずっと深いところで、世界はつながりあっているのだ。

さて、今年の「スカウス・ランチョン」の話。
スカウスは、主に冬季に食べられる煮込み料理だから、この時期にメニューに載せているレストランはほとんどない。だからレストランやパブに事前に交渉して、特別に作ってもらうことになる。
いつもは僕自身が、リヴァプール入りした後であちこちの店に足を運んでアレンジしていたのだが、今年はその必要はなかった。
そう、今年はミナコさんがいる!
というわけで、ランチョンのアレンジは、このNLWでもお馴染みの現地特派員ミナコさんに丸投げ…もとい、お任せすることにした。

いくつかあった候補の中で、ミナコさんが最終的に選んでくれた店は、“ジョン・レノンのパブ”として知られる「イー・クラック」だった。
ミナコさんの行きつけの店で、信頼できるコックさんがいて、しかもビートルズ・ファンにとっては特別な意味を持つパブだから、もちろん僕に異存はない…どころか、大歓迎だ。

そして当日、イー・クラックで出されたのは、すんばらしく美味しいスカウスだった。
味付けといい煮込み具合いといい、パンやつけ合わせの相性といい、もうパーフェクトといってもいいデリシャスさ! スプーンが立つほどの濃厚なとろみ、そしてハーブの香りとスパイスの効き具合も絶妙だ。
僕とミナコさんは、肉の入っていない「ブラインド・スカウス」を作ってもらったのだけれど、もちろん、肉入りのスカウスを食べたお客さんたちも大満足&大絶賛だった。よかったよかった。
それもこれも、ミナコさんが何度も通って(呑みに行ったついでに?)綿密に打ち合わせしてくれていたおかげだ。ミナコさんありがとう!

最後に、この日のスカウスのレシピを紹介しておこう。イー・クラックのシェフに直接教えてもらい、ミナコさんに頼んで日本語に訳してもらったものだ。

<材料>
肉(ラムかビーフが一般的)、ジャガイモ、にんじん、セロリ、長ネギ、たまねぎ その他何でも。
<作り方>
  1. セロリ、長ネギ、たまねぎが柔らかくなるまでサラダ油で5分〜10分炒めます。
  2. 水を加え、塩、コショウ少々。お好みでハーブなどを入れるもよし。
  3. ジャガイモとにんじんと肉を加えて、沸騰するまで強火にかけ、その後2時間とろ火で煮込みます。1時間ほどたったところで、ジャガイモをさらに入れると尚よし。(最初のじゃがいもは煮崩れてしまうので、追加分でゴツゴツ感をだす)
  4. 火からおろして、24時間おく。
  5. 食べる前にもう一度火にかけて温めていただく。
  6. つけあわせに、ビートルートやレッド・キャベッジ(キャベツの酢漬け)を添えてできあがり。
リヴァプール気分にひたってみたい方は、ぜひチャレンジしてみてほしい。
我が家でもやってみようっと。

(利物浦日記5・おわり)

(NLW No.222に掲載)


第6話 <ビートルズ・コンヴェンション>

8月28日、日曜日。
「ビートル・ウィーク」の日曜日は、毎年「コンヴェンション・デイ」と決まっている。
会場のアデルフィ・ホテルは、1826年オープンというリヴァプールいちばんの伝統があり、格式も高いホテルだが、この日ばかりは朝から深夜までビートルズ一色、世界中からやって来たビートルズ・ファンにハイジャックされてしまう。

「コンヴェンション」では、ビートルズ関係者を招いてのインタヴュー、トリビュート・バンドによるライヴ・コンサート、あらゆるコレクションが集まるディーラーズ・マーケット、フィルム・ショウなど、さまざまなイヴェントが同時に開催される。この日一日、ビートルズ・ファンたちは、ビートルズだらけの会場で思う存分、好きなように楽しむことが出来る。

さて、「スカウス・ランチョン」の後でアデルフィ・ホテルに向かった僕は、玄関の前でいきなりアランの姿を発見した。新聞社の撮影中のようで、カメラマンのリクエストに応えて、風船のギターを抱えたり、パラソルを持ったりしてポーズを取っている。

アランというのは、ビートルズの最初のマネージャーとして有名なアラン・ウィリアムズさんのことだ。
考えてみると、アランももう75歳(のはず)。心臓のバイパス手術を受けたり、キャヴァーン・パブの階段から落ちて頭蓋骨を骨折したり、長年のパートナーのベリルさんを失ったりと、ここ数年のアランは災難続きだった。
撮影の後で少しだけ話す時間があったのだが、元気そうで安心した。毒舌と酒癖は相変わらずみたいだったけど…。

アデルフィ・ホテルの奥にあるメイン・ホールは、昼間はインタヴューの会場となり、ビートルズ関係者が続々登場する。聞き手はおなじみのビートルズ研究家、マーク・ルイソンだ。
今年ゲストとして登場したのは、アラン、ウィル・リー(ミュージシャン)、ビリー・キンズリー(ミュージシャン)、ジュリア・ベアード(ジョン・レノンの妹)、トニー・ブラムウェル(ビートルズのローディー)、ジョー・フラナリー(ブライアン・エプスタインの友人で業界仲間)、トニー・バーロウ(ビートルズの広報担当)だった。

お宝グッズを探してディーラーズ・ルームをうろうろしていると、インタヴューを終えたウィルに遭遇!
The Fab Faux のリーダー、ウィル・リーは、彼自身ソロとしても活躍するニューヨークのバリバリのベーシストだ。しかも、ジョージ、リンゴ、ポールのレコーディングやステージにも参加したことがあるという恐るべき経歴を持つ。そのウィルが率いる「ファブ・フォー」は、超一流プレイヤーの集合体からなる世界最強のビートルズ・バンドだ。彼らのステージはまさに極上のエンターテイメントで、初登場した99年以来、「ビートル・ウィーク」ではずっとセンセーショナルな存在であり続けている。

前夜、カーリング・アカデミーで行われた「ファブ・フォー」のコンサートも、やはり素晴らしかった。
ビートルズ解散後のジョン、ポール、ジョージ、リンゴのソロ・ナンバーばかりで構成され、「What You Got」、「Uncle Albert / Admiral Halsey」、「What Is Life」などなど、普通ではなかなか生で聴けないナンバーが、次々と怒涛のように披露された。もちろん想像を絶するほどの正確さと、熱気あふれる演奏で。
そしてラストに演奏された「Free As A Bird」が終わる頃には、会場の全員が感動の渦に呑み込まれていた…ように僕には思えた。

というわけで、早速ウィルに昨日のコンサートの感動を伝えて、一緒に写真を撮らせてもらった。スターとしての風格はあるけど全然エラそうじゃないウィルは、いつも喜んで応じてくれる。ウィルは僕の「フォトグラフを」という言葉に反応して、リンゴのヒット「Photograph」を上機嫌で歌いだした。もちろん僕も一緒に歌って、結局サビの部分をまるまる2人でデュエットしてしまった。
ウ、ウィル・リーとデュエット!? ウェヘヘ〜イッ!!

サム・リーチのストールでは、ハレルヤ洋子さんが捉まっていた。
「どうしたの?」と訊くと、「いや、なんだかわからないけど強引に呼び止められたんです…」。
サムに確認すると、「この娘の電話番号を教えてほしいんだよ。メールアドレスでもいいんだけど。ね、いいだろ?」。

最初はまさか冗談だろうと思ったが、どうも本気みたいだ。
「じゃあサム、僕の電話番号を教えてあげるよ」
「いや、君のはいらん」
「……」

サムはまったく悪びれる様子もなく、「これが終わるのが7時半なんだよ。だからその頃にここで待ち合わせってのはどうかな?」などとしきりに誘っている。困った顔のハレルヤさん。

サム・リーチは、昔のリヴァプールの音楽プロモーターで、ブライアン・エプスタイン以前にビートルズのギグを世話してやっていた人だ。
1980年のジョン・レノン追悼集会での感動的なスピーチは今でも語り草になっているし、1984年にはポールとの再会を果たしている。当時のことを綴った本も2冊、出版している。

そのサム・リーチが、自分の娘よりもずっと、ず〜っと若いハレルヤさんをデートに誘おうと、一生懸命なのだった。
やれやれ、まったくもう…。

(利物浦日記6・おわり)

(NLW No.222に掲載)


第7話 <マシュー・ストリート・ギャラリー>

マシュー・ストリートの「マシュー・ストリート・ギャラリー(以下MSG)」では、2000年から毎年、「ビートル・ウィーク」の期間にあわせてエキシビションが企画されてきた。

00年はクラウス・フォアマン展、01年はアストリット・キルヒヘア展、03年はジョージ・ハリスン展、そして03年と04年はロバート・ウィタカー展。

どれもが本格的で素晴らしいエキシビションだったが、さらに嬉しいことに、MSGは毎回そのアーティスト本人を招待し、我々ファンとの交流の場を提供してくれていた。
クラウスとアストリットとボブからは、アーティストとしてのオーラを強烈に感じたし、ジョージのお姉さんルイーズは、まるで「お母さん」みたいなどっしりした安心感を漂わせていた。

彼ら、彼女らと言葉を交わしたり、握手をすることができただけで、
(ああリヴァプールへ来てよかった)
と、しみじみと感動したものだ。

ライヴとパーティーに偏りがちだった「ビートル・ウィーク」に、アートという新風を吹き込み、アカデミックなファン層を惹きつけて来たのが、MSGなのだ。

しかし残念なことに、MSGは今年4月2日に閉館してしまった。
このNLWでもクローズのニュースを伝えたり、マネージャーのメリッサのインタヴューを掲載したりした。
本当に残念で、「マシュー・ストリートのオアシスのようなスペースだった」と、「フロム・エディター」の欄に書いたことを覚えている。


さて、今夏のリヴァプール。
(ビートル・ウィークに来てMSGを観ることができないとは、実に寂しいもんだなあ)
ため息をつきながら、僕はマシュー・ストリートに向かった。

「ビートルズ・ショップ」でジェイミーと話しているときに、ふと思いついて、「アン=マリーはどうしてる?」と訊いてみた。アン=マリーというのはMSGのスタッフで、古くからの友人だ。

「アン=マリー? 上にいるよ」
とジェイミー。
「うえ? 上って、ギャラリーか? クローズしたんだろ?」
「ん? ああ、ははは、開いてるよ」
「にゃに? またオープンしたの?」
「おう。といっても今だけだけどね」

あわてて外に出て、ギャラリーへの階段を登ってみると、うわあほんとだ、ちゃんといつも通りの姿で開いている。
そればかりか、しっかり新しいエキシビションを開催中だった。

“Salvador Dali meets The Beatles - The Photographs of Robert Whitaker”

ビートルズの専属フォトグラファーだった、ロバート・ウィタカーさんのエキシビションだ!
ダリとビートルズをセットにした写真展か…なんだかすごいな。ポスターでは、ダリの口の中にビートルズの4人を無理矢理詰め込んで、「ミーツ」を表現(?)している…。かなり強引だけどインパクトがあって面白い。

アン=マリーと再会のハグを交わし、おめでとうと言う。
「ありがとう。でも2週間だけなのよ。これが終わったら閉めるわ、残念だけど。そうそう、Kaz 、ラヴリーなお花を贈ってくれてありがとう」
少し寂しそうだけど、いつものチャーミングな笑顔だった。とりあえず今年も彼女に会うことができて嬉しかった。


そしてその数日後、マシュー・ストリート・フェスティヴァルの日。
スカウスハウス・ツアーのお客さんと一緒にMSGを訪ねると、なんとそこにボブ・ウィタカーさんがいた。
事前にアナウンスはなかったし、コンヴェンションの会場でもボブさんは見かけなかった。臨時オープンなんだから今年はゲストを招待するのはやっぱり難しいだろうな、などと勝手に思い込んでいたので、びっくりしてしまった。
ちゃんとこの日のこの時間にここを訪れるなんて、我々はなんてラッキーなんだろう。

早速、みんなでボブさんを囲んでサインや記念撮影をお願いすることにした。もちろんボブさんは気さくに応じてくれた。
そしてこの後に、信じられないほどのマジカルな瞬間がやって来る。
なんと、我々スカウスハウス・ツアー一行は、ボブ・ウィタカーさんに写真を撮ってもらってしまったのだ。

スカウスハウスのお客さんに、少しマニアックなタイプのカメラを持っている方がいた。
そのKさんのカメラに大いに興味を示すボブさん。
「ファンタスティックなカメラだ。日本製だな」
そう言うと、Kさんからカメラを受け取っていろいろといじくりだした。

「雨の中で使ったんだろう? ずいぶん汚れてる。…ほら、こうやって拭くだけでずいぶん違うぞ」
レンズを外して、自分のシャツできれいに拭き掃除をするボブさん。
レンズはきれいになったが、ボブさんはまだカメラを離さない。よほど気に入ったのだろうか、無言でファインダーを覗いたり、ピントを合わせたりしている。

(ど、どうなるんだろ…)
緊張して見守る我々スカウス組。
もしかしてボブさんは、このカメラで写真を撮ってくれるのだろうか。
それとも、Kさんがいいコンディションで使えるように、調整してくれているだけなのだろうか…。

「じゃあボブさん、ついでに1枚撮ってくださいな」
と、喉元まで出かかったけれど…さすがにちょっと言えなかった、恐れ多くて。プロの、しかも伝説のカメラマンといってもいい大御所に向かって、気軽に「撮って」とはなかなか言えるものではない。

しかしボブさん本人には、そんな気負いはないようだった。
ひとしきりカメラをいじった後、ようやく顔を上げて、一言。
「さ、みんな寄って寄って」

その瞬間、全員が喜びを爆発させた。
「うおー」とか「イエー」とか、もうみんなで狂喜乱舞。
誰もがコーフンを抑え切れず、天にも昇るような気分のまま、ボブさんが放つシャッター音を聞いた。
ロバート・ウィタカー氏に撮影されるという、まさに想像を絶するシチュエーション…今でも信じられないくらいだ。
後日Kさんに写真を見せてもらったが、全員、湯気が出そうなほどホットな表情で写真に納まっていた。これほど「嬉しい」という感情がストレートに伝わってくる写真もないと思う。


臨時とはいえ、マシュー・ストリート・ギャラリーがオープンしていたこと。
そこで思いがけずボブ・ウィタカーさんに会えたこと。
そして、なんとボブ・ウィタカーさんに写真を撮ってもらったこと。

まったく、これだから「ビートル・ウィーク」はやめられない。
毎年必ず、思いもかけないところから突然、マジカルなハプニングがやって来る。

最大のマジカルを呼びよせたKさんと、Kさんのカメラに感謝!!

(利物浦日記7・おわり)

(NLW No.226に掲載)


第8話 <フェスティヴァル・デイ>

コンヴェンションの翌日は、“音楽の祭典”「マシュー・ストリート・フェスティヴァル(以下MSF)」の日だ。
正確に言うとMSFは土・日・月と3日間にわたって開催されるのだが、当然ながら、このバンク・ホリデイの月曜日に行われる最終日がメインの日だ。

この日のリヴァプールは、まさにお祭りムード一色となる。
およそ20ヶ国から、200を超える数のバンドが、このフェスティヴァルのためにやって来る。
演奏会場は、6つの野外ステージと、市内のパブやクラブ数十箇所。移動遊園地もあちこちににセットされ、にぎやかなことこの上ない。

朝から晩まで、どこへ行っても人、人、人。およそ30万人の人々が、シティ・センターの広い広いイヴェント・エリアにひしめき合う。おいじいちゃんおばあちゃんからヨチヨチ歩きの幼児まで、ジェネレーションの幅は驚くほど広い。
もちろん観光でやって来る人は数万人はいるだろう。しかしそれ以外の20数万人は、地元や周辺の街からやって来る人たちだ。

夏休み最後の休日。数日後には新学期が始まる。大人も子供も、去りゆく夏を惜しむかのように、一日中、家族や友人たちとゆっくり街を練り歩き、ライヴ・ミュージックや移動遊園地やひなたぼっこを楽しむのだ。
つまりMSFは、地元の人々が毎年心待ちにしているフェスティヴァルなのだ。だからこそ、これだけ盛り上がるのだろう。


さて、今年の8月29日。
午前中はしとしとと雨が降り続き、「ぶらぶらウォーク・ツアー」では少し難儀した。
しかし午後になると、リヴァプールの空は一転して目の覚めるような快晴となった。「MSFでは雨は降らない」というジンクスは今年もしっかり健在で、あらためて感心してしまった。僕は雨は嫌いではないけれど、やはりこの日だけは晴れてほしい。

スカウスハウス・ツアーのお客さん5人と、まずマシュー・ストリートを歩く。
今年もぎっしりと人が集まっているが、例年ほどの密度ではない。まあまあスムーズに流れている。そういえば昨日、一昨日は、もっとぎゅうぎゅうしていて、我々は通り抜けるのをあきらめたほどだ。MSFの楽しみ方も、分散型になりつつあるのかもしれない。

キャヴァーンクラブをはじめ、キャヴァーン・パブ、フラナガンズ・アップル、ラバーソウル、フレアーズなどはアツいライヴの真っ最中で、それぞれの入り口には、入場制限で順番を待つ人々の長い列が出来ていた。
そういうサウナ状態のライヴは体に悪いので(まず体力が要るし、外に出るとすぐに湯冷めしてしまう!)、我々はパスすることにしてピア・ヘッドに向かった。

今年の野外ステージは、ピア・ヘッドを中心にセッティングされていた。
ライヴァー・ビルディングの前に巨大なメイン・ステージ。そしてその真向かい(といっても数百メートル離れているが)にもうひとつ。そこからジェームズ・ストリートを上がったところにあるダービー・スクエアにひとつ。さらに、ライヴァー・ビルディングの裏手にひとつ。そこからウォーター・ストリートを上がったところにひとつ。そして今年初めての試みで、マージー河の向こう岸、バーケンヘッドにひとつ。

それぞれのステージがとても近く、どの会場にもイージーにアクセスできる。無料で配られるプログラムを吟味して、聴きたいバンドや音楽を選んで気軽に「ライヴはしご」をすることができる。
途中疲れたら、パブやカフェでひと休みしてもいいし、子供連れなら移動遊園地は素通りできないだろう。
そうそう、エリア内はすべて歩行者天国で、のんびりと自分たちのペースでお祭りを楽しむことができる。

メイン・ステージの Maximum Who(素晴らしい演奏だった)を観た後で、次のパフォーマー Jean Genie(デイヴィッド・ボウイのコピーバンドだ)の演奏を聴きながら、フェリーに乗ってバーケンヘッドに向かう。
驚いたことに、フェリーの中でもライヴ演奏があった。行きはオランダの2人組トゥ・オブ・アス、帰りは甲板に座っていたので確かではないけれど、ロウレンス・ギルモアさん。
わずか10分ほどの時間、しかも移動中の乗客のためにエンターテイメントを用意するなんて、粋だなあ、お祭りらしいなあと感心してしまった。

バーケンヘッドのステージでは、ローリング・ストーンズのコピーバンド Rocks Off が熱演中だった。
僕はこのバンドが大好きだ。スウェーデンのバンドなのだが、毎年やって来てはこの数日間、次から次へとほとんど休む間もなしに演奏して帰って行く。あのワイルドなパフォーマンスをキープするのは並大抵のことではないはずだけど、いつも手抜きなしの全力投球のステージを見せてくれる。メンバー全員、実に謙虚で律儀な性格なのだ。もちろん演奏のクォリティは文句なしにエクセレントで、当然固定ファンも多い。

次に登場したのは、Bryan Adams Experience だった。僕はブライアン・アダムスはあんまり知らないけれど、びっくりするほどそっくりだと思った。ホンモノだよと言われても信じてしまいそうなくらいだ。

他にも魅力的なバンドのステージはたくさんあったけれど、我々がちゃんと観たのは、結局この3組のステージだけだった。でもそれでじゅうぶんという気はする。クォリティの高いグッド・ミュージックを堪能しただけでなく、何万人もの人々の笑顔を見ることができた。まさに絵に描いたような「フェスティヴァル・デイ」だ。
それにフェスティヴァルはまだ続いている。夜には世界最強のビートルズ・バンド、Fab Faux のコンサートが待っているのだ。

毎年しみじみと感じるんだけど、つくづく、音楽って素晴らしい。何年か前のタワー・レコードのキャッチ・コピーに、こんなのがあった。
“No Music, No Life ”
まさにその通りだと思う。音楽のない人生なんて、ちょっと考えられない。
自分にとって、音楽は切実で大切なものなのだ。これまでもそうだったし、これからもずっとそうだ。
そういうことをさりげなく、MSFは僕に思い知らせてくれる。

今年も、マシュー・ストリート・フェスティヴァルはハッピーでピースフルなアトモスフィアでいっぱいだった。
この街と、この街の人々と、そしてグッド・ミュージックによって奏でられるハーモニー。
このフェスティヴァルが終わると同時に、リヴァプールは秋の訪れを迎える。

(利物浦日記8・おわり)

(NLW No.228に掲載)


第9話 <マイケル!?>

8月30日、火曜日。ビートル・ウィークの最終日。
最終日とはいっても、大きなイヴェントは昨日までにすべて終了している。観光客のほとんどは、最終日のイヴェントをパスして、この日の朝リヴァプールを後にする。
「マシュー・ストリート・フェスティヴァル」という大きな祭りが終わり、夏の3連休が終わったこの日のリヴァプールは、あっけないほどに普通モードだ。

スカウスハウス・ツアーのお客さんたちを駅で見送った後、宿で洗濯を済ませて街に出た。
空模様も、僕の気分もからりと爽快。嵐のような数日間を経た後では、この普通モードがやけに新鮮だ。ツアーの仕事を無事に終えた安堵感も心地いい。

そんな気分でクレイトン・スクエアを通りかかり、ビッグ・スクリーンに目をやると、マイケル・オーウェンが大写しになっていた。
(お、ついに決まったか、マイケルのカムバック!)

てっきり、レッズ復帰が決まったと思ったのだ。プレミア復帰を望むマイケルに一番最初にオファーを出したのはニューカッスルだったが、レッズもぎりぎりのところでよいしょっと腰を挙げた。マイケルの第一希望はレッズだと本人はいつも言っているし、チームメイトも、多くのファンもそれを望んでいる。よほどレッズがヘマをしない限り、すんなりと復帰が決まるはずだ。

しかし、あに図らんや、画面のBBCニュースが伝えているチームはリヴァプールではなく、ニューカッスルだった。

「うっそぉーーーっ!?」
思わず大声で叫んでしまった。
階段を駆け下りながら、「!」マークや「?」マークが頭の中をぐるぐると旋回するのを感じた。
(!!マイケル・オーウェンがニューカッスル??)

マイケルは、昨シーズンの開幕直後にレアル・マドリーへ移籍した。
ジリ貧ぎみのチーム状態、監督の交代、プレイヤーとしての焦りと危機感、そこへ世界一の面子を揃えることに執念を燃やすチームからのオファー…。これだけの条件が揃えば、移籍は必然だと僕は思った。
そしてスペインに行ったマイケルは、慣れない環境と不安定な起用に耐えながら、13のゴールを挙げた。13というと少ないように感じるかもしれないが、先発した試合数はたったの10。さすがマイケルとしか言いようがない立派な成績じゃあないか。

しかし、プレミアに戻って来るマイケルが着るユニフォームは、赤ではなくて白黒なのだ。
ゼブラ模様のマイケル・オーウェン…なんだか取り返しのつかないことが起きているような気がした。
レッズは本気でマイケルを獲得しようとしたんだろうか。どうしてもそうは思えない。1年前のことを根に持って貧弱な契約内容しか提示しなかったのではないか。当初の言葉どおり、ストライカーの補強は二の次だったのかもしれないが…しかしちょっと待て、マイケルは「ストライカー」じゃないぞ、「マイケル・オーウェン」だぞ…。


そんなことをぐちゃぐちゃ考えながら歩を進め、ウィリアムソン・スクエアにさしかかったところで、奇妙な光景に出くわした。
昼間はよく子供たちの遊び場になっている噴水のアーチ。そこで海坊主のような大男が、じっと下を向いて噴水に打たれているのだ。上半身裸、下は半ズボン、頭は丸坊主。僕にはまるで僧侶が滝に打たれて修行しているように見えた。もちろんここは日本の山奥ではなくてリヴァプールの街中だし、滝ではなくて可愛らしい噴水の水なんだけど、その周りには問答無用の厳しさが漂っていたのだ。

(もしかしてこのおじさん、マイケルのことを…)
古巣の冷たい対応をマイケルに詫びているのかもしれない。同時に、愛するチームの不甲斐なさ、情けなさに対する憤怒を静めようとしているのかもしれない。そういう気がしたのだ。

(いや、いくらなんでも…。ただの健康法か何かかも)
と一旦はその考えを否定しようとしてみたのだが、おじさんの手首を見て、やっぱりこれは「マイケル勤行」なんだと確信した。そこには、リヴァプールのチャンピオンズ・リーグ優勝記念のリストバンドがしっかりと巻かれていたのだ。


海坊主修行僧の迫力に圧倒されながらウィリアムソン・スクエアの前の道を下り、突き当りの角を左に折れ、ホワイトチャペルに入った。
実は僕は先を急いでいた。目的地はバークレーズ・バンク。早いとこ小切手を換金しないといけないのだ。

しかし 08 Place の前あたりで、いかにも一癖ありそうなおやじさんが、険しい目で僕を凝視しながらこっちに歩いて来るのに気づいた。やばいなーと思っていたら案の定、僕の正面で立ち止まって、ひと言。

「ユー・レッド?」

(き、きたあ〜)
うろたえる僕。もしかしてこのおやじさんはエヴァトニアンで、レッズのスエットシャツを着ている僕を見つけて厭味を言おうとしているのかもしれない。僕はエヴァトンも好きだし、エヴァトン・ファンの知り合いも何人かいるし、だからいつもはできるだけレッズのシャツを着てリヴァプールの街は歩かないようにしてるんだけど、今日は洗濯したせいでこれしかなくて、パジャマにしてるのを仕方なく着てるわけで、でもエヴァトニアンを刺激しないようにと思って、上にベストを重ねてレッズのエンブレムが見えないようにしてるんだけどな、なんでこのおじさんはレッズのスエットだってわかったんだろう…??

「え? えっと…」
「お前は赤かと聞いてるんだよ」
「え、ええまあそうです。でも…」
「おい、マイケル・オーウェンがニューカッスルだってよ」
「…? あ、ああ、そうですね、はい、さっき見ました」
「ノー…テリブルだよな」
「いやもうほんとに! もうトゥー・バッドですよね」
「やれやれだよな、まったくもう…」
「ねえ〜」

やれやれ、このおやじさんもレッドだったんだ。
ほっとしながらも、見ず知らずの人間と路上で分かち合わずにいられないほどやりきれない気持ちなんだろうなあと、ちょっと健気に思えた。


やっと銀行に着いた。
キューの最後に並んで、順番を待つ。エントランス・ホールにはTVが置かれていて、ここでもマイケルのニュースが続いている。何を言っているのかほとんどわからないが、画面を見てぼんやりマイケルのことを考えながら順番を待つ。

あとひとりで僕の番というところで、ふと我に返った。今僕が並んでいる銀行は…HSBCだ。僕が手に持っている小切手は…バークレーズ。
やれやれ、名前も看板の色もぜーんぜん違う銀行じゃあないか。うっかりするにも程がある…。

もしかしてマイケル、君もそうなんじゃないのか? 君も、うっかり行き先を間違えただけなんじゃないのか??

(利物浦日記9・おわり)

(NLW No.236に掲載)


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