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スカウスハウス・ツアー ニュース エッセイ&レポート

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13年ぶりということもあって、コンサートの開催が正式に決定する前から、リヴァプールはたいへんな盛り上がりようでした。

ここでは、「スカウス・ハウス」ウェブサイトやメールマガジン「リヴァプール・ニュース(NLW)」で伝えていたものを中心に、コンサート関連のニュースを日付順にまとめてみました。ほとんどのソースは、地元紙「リヴァプール・デイリー・ポスト&エコー」です。

リヴァプールの人たちがどれほどこのコンサートを待ち望み、どのように関わって行ったかのドキュメントであると同時に、リヴァプールの人々のポールへの思いや、ポールがリヴァプールに寄せる思いが伝わってくるものとなっています。


―2003年1月3日―
【バック・トゥ・マージー】
Sir Paul McCartney が、パフォーマーとしてリヴァプールに帰って来ます。
今春ブリテンでコンサート・ツアーを行うサー・ポールは、故郷リヴァプールも開催地のひとつとして選んでいるそうです。他の都市ではスタジアムが会場となるようですが、リヴァプールでのコンサートは、もっと小さい場所で行われるようです。

ポールのUKツアーは、10年ぶりとなります。
昨年行われた全米ツアーは大成功を収め、Billboard マガジンの “Tour of the Year” に選ばれました。
サー・ポールのスポークスマン Geoff Baker の話です。
「(昨年の)16週間にわたるツアーは、ビートルズ以後では最も大きな成功を収めました」
「100万人以上を動員しましたし、Rolling Stones よりも多くの収益をあげています。サー・ポールは、ブリテンでのツアーもとても楽しみにしていますよ」
「日程や会場については、まだ発表できる段階にはありません」
「サー・ポールがブリテンでコンサートをするのですから、リヴァプールは外せないでしょうね。リヴァプールが大好きなんです」

サー・ポールはこう話しています。
「このツアーの成功にはすっごく喜んでるんだよ」
「最初の予定じゃほんの数週間のコンサート・ツアーだったんだけど、それがどんどん大きくなって行った。僕自身にとって、ものすごくスペシャルなものになったよ」
「2003年もこのショウを続けるよ。新しい場所と、新しい楽しみを求めてね」


―2003年2月12日―
【マッカ・イズ・バック!】
今夏、Sir Paul McCartney がリヴァプールでスペシャル・コンサートを行うことになりそうです。
現在、その会場をどこにするかが検討されているところだそうです。

あるポールの関係者は、Liverpool Echo 紙にこう語っています。
「ポールは、ビートルズ時代よりも多くのビートルズ・ソングを演奏するはずですよ。ビートルズのショウは30分程度で、曲数も1ダース足らずでした。今回ポールは、およそ3時間にわたってその倍以上ものビートルズ・ナンバーを歌います」
「つまり、ブリテンで過去最大のビートルズ・ショウってことになるでしょうね」
「ポールは、故郷のリヴァプールを外してのブリテン・ツアーは考えていませんよ。それどころか、リヴァプール公演を特別なイヴェントにする計画を立てています」

ポールのスポークスマン Geoff Baker は、近々公式に発表するので今は詳しいことはコメントできない、と語ったそうです。
今回の公演が実現すれば、ポールにとって13年ぶりのリヴァプールでのビッグ・コンサートということになります。
前回のコンサートは1990年で、会場は、マージー河沿いのキングズ・ドックでした。


―2003年2月28日―
【すぐに売り切れ】
先週発売された Sir Paul McCartney のUKツアーのチケットは、ほとんどが数時間のうちにソールド・アウトになったそうです。
需要が供給を遥かに上回り、インターネット・オークション・サイト e-bay でも早々とプレミアつきのチケットが出品されているそうです。1000ポンド(約19万円)の値段がついているペアチケットもあるそうです。

ポールは、4月にシェフィールド、バーミンガム、ロンドン、そしてマンチェスターでコンサートを行います。まだ正式なアナウンスはありませんが、リヴァプールも公演地に挙げられています。

リヴァプールの Beatles Appreciation Society の創設者、John James-Chambers はこう話しています。
「何しろみんなずいぶん長い間待たされたものね。それに、次はいつやってくれるかわからないし。もちろんポールはこれが最後のツアーだとは言ってないけど、でもだんだん若くなるわけじゃないからね」
「私としてはぜひともリヴァプールでやってほしい。リヴァプールの人々がどんなに彼を愛しているかを見てもらいたいんだ」

4月9日と10日に行われる MEN Arena でのコンサートは、なんと24年ぶりのマンチェスター公演となります。
アリーナのスポークスマンの話です。
「驚くべき人気ですね。こんなに早くチケットが売り切れたのは、このアリーナ始まって以来だそうですよ。ジェネラル・マネージャーはそう言っています」
「初日のチケットは発売開始から20分で売り切れになりました。2日目も2、3時間のうちに無くなっています」
「ノース・ウエスト地域での彼の人気の高さを証明していますね」


―2003年3月28日―
【カミング・ホーム】
Paul McCartney のリヴァプール公演が決まりました。
現在発表されているヨーロッパ・ツアーの日程では最終日となる6月1日に、マージー河沿いのキングズ・ドックで4万人のファンを集めて行われる予定です。
このコンサートの実現のために、これまで数ヶ月間もポールのプロモーターと交渉して来たシティ・カウンシル・リーダーの Mike Storey の話です。
「ずっと交渉を続けてきたわけですが、無事にまとめることができて私自身とても喜んでいます。ポール本人が故郷でのコンサートを望んでいたので、私たちとしても実現のために最大限のことをしようと思っていましたから」
「世界の “Capital of Pop” と認められている街で、世界最高のロック・スターがコンサートをするわけですからね。ミュージック・ファンにとっては至上の幸福でしょうね」


―2003年5月1日―
【バック・トゥ・リヴァプール】
今夏リヴァプールで行われる最もホットなショウのチケットが、いよいよ今日発売になります。

もちろんそれは、6月1日にキングズ・ドックで行われる Sir Paul McCartney のコンサートのチケットのことです。
故郷でのコンサート、しかもワールド・ツアーのフィナーレとして行われるということで、3万枚以上ものチケットは、すぐに売り切れてしまうのではないかと言われています。

4月30日、サー・ポールはこう話しています。
「今回世界中をツアーしてこのショウをやってきて、もちろんどれも素晴らしいものになったんだけどね、でもこれを持って地元リヴァプールに帰れるってのは、やっぱり本当に特別な気分だね」

今回のワールド・ツアーは、昨年4月にカリフォルニアのオークランドでスタートしました。
以後ポールは、アメリカ、カナダ、メキシコ、日本と、合計58本のコンサートを昨年に行っています。
今年3月にはヨーロッパ・ツアーがスタートし、合計32本の予定が組まれています。
リヴァプールでのコンサートは、その最後、90本めのものとなります。規模、内容ともに最高のものになるのではないかと期待されています。

ポールの話は続きます。
「このツアーがうまく行って、すっごく嬉しいんだ。僕もバンドの連中も、リヴァプールで最後の夜を迎えるのを本当に楽しみにしてる」
「ワンダフルなこの1年の、素敵で感動的な締めくくりになるような予感がするよ」


―2003年5月2日―
【ポールのチケット】
5月1日午前9時、6月1日に行われる Paul McCartney のコンサートのチケットが、一斉に売り出されました。
しかし、前日にシティ・カウンシルが職員からの予約を受け付けていたことが分かり、ファンの怒りを買っています。

カウンシルは4月30日、約2万人の職員に対して、チケットの予約を受け付けました。しかも、チケット代金の支払いは翌日9時以降でとの条件でした。
カウンシルのスポークスマンは、銀行口座をチェックしてチケット代金が払えるかどうかを確かめる時間を職員に与えるためだったと話しています。
実際にチケットを購入した職員の話では、全部で3万枚のチケットのうち、4000から5000枚がカウンシルに回っていたということです。

ブートルから来た49歳の Ernie Herd は、確実にチケットを手にするために、Radio City Tower の外に一晩中並びました。
彼は、カウンシルのやり方に呆れたと言います。
「どう考えてもおかしいよな」
「こっちは一晩中並んでるってのに、あちらさんがたはぬくぬくとしたオフィスに座ってちょっと電話でしゃべるだけだなんてな」
「そりゃちょっと違うんじゃないかって思うさ。カウンシルの連中は、何時間も並んだ人のためにチケットを返すべきだったろうよ」
「みんなすっごく怒ってる。カウンシルはえらくバカなことをしたね」

Beatles Appreciation Society の John James-Chambers は、カウンシルの行為は常識外れだと言います。
「完全な職権の乱用であり、恥ずべき行為です」
「もし誰かが優先されるとすればですね、何年も一生懸命働いて来た我々ビートルズ・アプリシエーションのヴォランティアや、それからすべての本物のファン、そういう人にこそ権利があるっていうものです」
「このコンサートがどういうものなのかをまるで理解していませんね。このコンサートは、この街のごく普通のワーキング・クラスの人間がサー・ポールに会うチャンスなんですよ。間違ってますよね、完全に」


―2003年5月5日―
【ポールのチケット問題】
Paul McCartney のリヴァプール公演のチケットが、市の職員に優先的に予約が受け付けられたことが問題となっています。
2日、タウン・ホールに集まった野党議員は、徹底的な調査を市に要求しました。

シティ・カウンシルへのチケットの割り当ては、5000枚だったと言われています。
それらは Liverpool Direct を通じて一般に発売される予定でしたが、発売日には少ししか残っていませんでした。
発売の前日に、市の職員だけに予約するチャンスが与えられ、しかも枚数の制限がなかったことが原因でした。
市のスポークスマンが語った話によると、職員のうち2000人が権利を行使し、3800枚のチケットが発売前に予約で押さえられたということです。

労働党の議員 Joe Anderson は、誰がその許可を与えたのかを追求しています。
アンダーソン議員の話です。
「我々は、この決定を下し、このような問題を引き起こした責任者を明らかにするつもりです。判明するまで調査を続けます」

市の財政局長 Phil Halsall は、カウンシルは市内最大の雇用団体であり、その職員にまずチケット購入の機会を与えることで、結果的により多くのリヴァプールの人々にチケットが行き渡るはずだと語っています。
しかし実際には、多くのチケットが、市の職員を経由して市外に住む彼らの友人や家族の手元に渡っているという話もあります。

5月1日に売り出された3万枚のポール・マッカートニーのチケットは、ワールド・ツアーのファイナル公演ということもあり、4時間以内に完売となりました。

アンダーソン議員は続けます。
「まったく恐ろしい話ですよ。市が、自分のところの職員や議員だけを特別扱いしたわけですからね」
「我々は皆、公僕なんです。一般の人よりも優先される特権なんて許されるはずがありません。行政に汚点を残すことになるでしょうね」
「職員の中には、4枚とか6枚もチケットを買って、市外の人に回した者もいるそうですね。こういった行為が、公演を楽しみにしているリヴァプールの人の妨げとなっているんです」

自民党議員でカウンシル・リーダーの Mike Storey は、コメントを出していません。

チケットが圧倒的に足りない事態となったことで、ポールの追加公演を望む声も上がっています。
しかし、ポールのスポークスマン Geoff Baker は、コンサートを追加することはできないと語っています。
「ポール本人は故郷での追加公演を望むに違いありませんが、しかしそれは不可能なんです」
「シェフィールド公演の延期分が5月29日で、それからステージをリヴァプールに持って来て組み立てるのにギリギリの時間しかありません。それに、6月1日のリヴァプール公演がツアーの最後ですから、我々のスタッフのうちの半分は次の日から違う仕事が入ってるんです」


―2003年5月14日―
【ポールのチケット問題】
Sir Paul McCartney のコンサート・チケットの発行が遅れています。
すでにソールド・アウトになっているこのチケットは、13日に一斉に市内の各販売所で購買者に手渡される予定になっていました。
ところが当日になって、印刷が間に合わなかったという理由により、チケットの受け渡しはとりあえず翌日に持ち越されました。
しかしそれも間に合わないのではないかと見られています。

13日、Cavern City Tours のダイレクター Bill Heckle は、チケットを受け取りに来たファンに、明日は受け取りに来ないように求めました。
「明日届く予定だったんですが、また変更があったんです。うちでの受け渡しは、おそらく来週になるでしょう」
「少し不便な思いをさせてしまいますが、みなさんの予約はちゃんと出来ているってことは保証しますよ」
「大騒ぎになっていますが、だいじょうぶですよ。印刷が遅れているというだけです。その他については何も問題ありませんよ」

6月1日行われるこのコンサートのチケットは、5月1日の発売と同時に申し込みが殺到し、わずか数時間で3万枚のチケットが完売しています。


―2003年5月27日―
【バック・ホーム】
Sir Paul McCartney が3万人のファンの前でロックする、今年最大のギグがもう目前に迫っています。
地元紙 Liverpool Echo は、「バック・イン・ザ・ワールド? …ノー。彼は今、ホームに帰るのだ」と伝えています。

キングズ・ドックには、建築のエキスパートたちの懸命な作業により、特設のコンサート会場が作られています。
70フィートのステージはすでに完成し、現在は客席やフェンスなどが日曜日のショウに間に合うように建設中なのだそうです。

パブやバーのオーナーたちは、殺人的に忙しくなりそうなウィークエンドへの準備を着々と進めています。
なにしろこの週末は、世界中からやって来るファンたちで街がいっぱいになってしまうのです。

Cavern City Tours のダイレクター Bill Heckle は、チケットがわずか数時間で完売となってしまった後も、コンサートへの関心はまったく衰える様子がないと語っています。
「チケットはすぐになくなってしまいました。世界中のファンから予約の申し込みが殺到しましたからね。ずっと電話が鳴りっぱなしでしたよ」
「とてつもないギグになりそうですね。週末のリヴァプールは大騒ぎでしょう。チケットを持っている3万人以外にも、たくさんの人々が集まって来るでしょうからね。楽しみですね」


―2003年5月29日―
【4回目のお父さん】
Sir Paul McCartney が、もう1度お父さんになります―61歳で。
28日夜、妻 Heather の妊娠が発表されました。
約12ヶ月前にアイルランドで結婚したマッカートニー夫妻にとって、最初の子供となります。
夫妻によるコメントはシンプルでした。
「このハッピーなニュースに、私たちはとても喜んでいます。赤ちゃんは今年の終わりに生まれる予定です」

同28日夜、ポールの弟 Mike McCartney は、夫人の Rowena と一緒に、地元紙の取材に応えています。
マイクの話です。
「グレイト・ニュースだよね。最初に知らせを聞いた時、思わず『オー・マイ・ゴッド』って言ってしまったよ。『僕ら、またおじさんとおばさんになるのか』って」
「僕らがこのワンダフルなニュースを聞いたのはちょっと前だったんだけどね。うちの子供たちには今日教えたんだ」
「とっても喜んでるよ、ポールもヘザーも。もちろん、マッカートニー一族も全員が大喜びさ」
「ロウィーナと僕は、特別に嬉しい気持ちだよ。知らせを受けたのが、ちょうど僕らの21回目の結婚記念日の前日だったんだ。すごく若返ったような気分にさせてくれたよ」

ポールのいとこ Ian Harris は、ポール自身が親戚みんなに電話をかけて、グッド・ニュースを知らせたのだと話しています。
「ポールは興奮気味だったよ。ヘザーが妊娠3ヶ月で経過もとても順調なんだ、って言ってね」
「公になる前にファミリーに知らせようとして電話をくれたんだ。すっごくすっごく嬉しそうだったよ」
「たしかにちょっと歳をとったけど、ポールは充実した人生を送ってるよ。ハートは子供の頃のまんまだしね。きっとまたグレイトなお父さんになるだろう。これまでと同じようにね。ポールの子供たちはみんなラヴリーだからね」


―2003年6月2日―
【ファンの声】
Paul McCartney のコンサートの日、会場のキングズ・ドックで集められたファンの声です。

「初めてのポールのコンサートなんだ。リヴァプールで演ってくれるなんて最高だね。リヴァプールはツアーの最後に相応しいよ。今日が終われば、普通のスピーク出身のおじさんに戻るんだね。それにしても、あの歳を考えたら信じられないよね」
( Terry Sweeney ゲートエークル)

「ここで演ってくれるってのがいいよね。ポールがスカウサーだってことを誇りに思う。僕があの歳になった時、あんなふうにできたらいいなあって思う」
( Dave McNicholl 26歳 アイグバース)

「マッカートニーにとっても、リヴァプールの人々にとっても、ビッグなセレブレーションだよね。でも1回きりってのが残念だ。もっとたくさんの人が観られれば良かったんだけどね」
( Colin Lafferty 29歳 アイグバース)

「ポールが彼のルーツを忘れないでいてくれて、またここでギグをやってくれることが嬉しいね。マンチェスターでやろうとするビッグ・ネームたちに、リヴァプールだって出来るんだぞってことを教えてやろうじゃないか」
( Mark Koo 26歳 チルドウォール)

「初めてのポールのコンサートなの。最後のコンサートをリヴァプールでやってくれるなんて最高だわ」
( Clare Atherton 26歳 チルドウォール)

「リヴァプールでやってくれるなんてグレイトよね。ポールは絶対に故郷のことを忘れてないのよね」
( Sue Taylor フォーンビー)

「それに、ツアーの最後のギグの週にベイビーができたって発表するなんてのもグレイトだよな」
( Bill Taylor フォーンビー)

「リヴァプールに帰って来てくれてすっごく嬉しいわ。今夜のポールはすごく気合が入ってるはずよ。きっと感動的なコンサートになるわ」
( Lisa Dutton ウエスト・ダービー)


―2003年6月2日―
【バック・トゥ・キャヴァーン】
キングズ・ドックで3万人をロックした Sir Paul McCartney ですが、コンサートの前にも、故郷リヴァプールで楽しい時間を過ごしています。

金曜日(5月30日)には、伝説の The Cavern Club でシークレット・パーティーを行い、数曲を演奏しました。
パーティーには、妻の Heather を含め、家族や友人が180人も出席しています。
キャヴァーンのステージでポールは、“Let It Be” や “We Are Family” などを歌ったということです。

キャヴァーンのオーナーのひとり、Bill Heckle の話です。
「最初に話があったのは2、3ヶ月前なんですが、最終的に決まったのは2、3週間前のことなんです。秘密厳守を誓約して、たくさんの書類にサインしましたよ」
「シークレットが外部に漏れたら直ちにキャンセルってことになってました。もし万が一そんなことになったらポールががっかりするだろう、そんなことになったらたいへんだ、っていうんで、特別態勢を組みました」
「ポスターを貼ったんですよ、『 Barclay's Bank スタッフ会議』っていうね。ヨーロッパじゅうのバンク・マネージャーが集まるってことにしたんです」
「かなり信憑性があったみたいですね。みんな信じてましたからね。ポールとバンドが到着した時も、『バンク・マネージャーは何時に来ることになってるの?』って訊かれたくらいですよ。大成功でした」
「スタッフにも、最後の最後まで言ってなかったんです。ポールが、ヘザーやファミリーと一緒に入って来るのを見た時の彼らの顔、見せてあげたかったですよ」
「ポールは言ってましたね。1999年のキャヴァーンでのギグは最高に楽しかったった、だから、ワールド・ツアーの最後にここに戻って来たかったんだ、って」
「ヘザーとダンス・フロアで踊ったりして、あの晩は最初から最後まで本当に楽しそうでしたね」

キャヴァーン・クラブのバー・マネージャー Steve Marsh はこう話しています。
「ファンタスティックだったね。ポールとヘザーは踊りっぱなしだったよ。本当に楽しそうだった」
「2人が入って来た時は Vanilla Ice の “Ice Ice Baby” がかかってたんだけど、ポールはダンス・フロアに直行したんだ」
「秘密厳守は、軍隊式だったよ。関係者以外には絶対しゃべらなかったんだ」

ポールとヘザーは、続く土曜日(5月31日)には、ポールが中心となって創設した学校 Liverpool Institute for Performing Arts に出向き、4時間にわたって学生のためのワークショップを開いています。


―2003年6月19日―
【ポールのチケット問題】
リヴァプール市のチーフ・エグゼクティヴ David Henshaw は、Paul McCartney のコンサート・チケットが市の職員に優先的に販売された問題について、失態の全責任は自分にあると認めました。

1万9500人の市の職員には、一般発売に先駆けてチケットを予約する機会が与えられました。
この結果シティ・カウンシルは、何時間も窓口に並んだり、チケットを手に入れることができなかったファンたちから、激しい抗議を受けました。
市は後に誤りを認めたものの、個人的な責任追及はしないとしていました。
しかし、カウンシル・リーダーの Mike Storey は、ヘンショウ氏からの、全責任を負う旨が記された公式な文書を受け取りました。

ストーリー氏の話です。
「ミスター・ヘンショウ自身はこの問題に直接関わったわけではありません。しかし彼は、この問題を引き起こした全責任を負うと言っています」

しかし、自由党議員 Jan Clein は、納得していません。
「チーフ・エグゼクティヴの態度は立派だと思いますよ。でも私たちが言ってるのは、判断を下した直接の責任者が誰なのかをはっきりさせなければならないってことです」

ストーリー氏は続けます。
「この地域に住む私たちは、責任をしつこく追及するようなカルチャーを持ち合わせていないと、私は信じてるんですがね」
「コンサートは大成功でしたし、Capital of Culture の勝利への素晴らしい開幕劇となったじゃないですか」


INTERVIEW & REVIEW ON 'LIVERPOOL ECHO'

ポール・マッカートニー・インタヴュー
コンサート直前の5月30日と31日、ポールのインタヴューが「リヴァプール・エコー」に掲載されました。収録されたのはリヴァプールの2つ前の公演地・ダブリン。インタヴュアーはおなじみのピーター・グラントです。

コンサート・レヴュー
コンサート翌日の「リヴァプール・エコー」には、同じくピーター・グラントによるコンサート・レヴューが掲載されました。


「ポール・マッカートニー インタヴュー」

―アメリカ、イタリー、ドイツ、極東、ロシアと来て、いよいよ故郷に凱旋するわけだね。待ちきれないと感じてる?
「イェ、とても楽しみだね。ワールド・ツアーの最後を飾るためにリヴァプールに帰れるなんてね。USツアーを始めて半分くらいの時に、オーディエンスのリアクションを見ながら思ったんだ。『これを故郷リヴァプールにも持って行こう』ってね」

―60歳だというのに、ステージでの姿はずっと若いし、パフォーマンスへの熱情やエナジーは少しも衰えていない。去年からずっとツアーを続けて来て、もう200万人を相手にいるわけだけど、疲れを感じたりすることはないの?
「いいや、ずっと絶好調だよ。とにかく朝食をしっかり取るようにしてるんだ。たくさんのフルーツもね。1日の準備はその日の朝ごはんからって言うだろ」
「それに毎日演奏するわけじゃないから。もしこれが毎日だったらぶっ壊れてるよ。でもちゃんと休みを取れば、さあまたやるぞ、って続けて行けるんだ」
「このツアーがすごく好きなんだ。ファンタスティックな反応も含めてね。終わったら、きっと寂しく感じるんだろうな。クルーの大多数も同じ気持ちなんじゃないかな。僕らはすごくハッピーなチームだからね」
「バンドと一緒に旅をして回るってのはとてもいいもんだよ。でもね、それと同時に、家に帰る日を楽しみに待つ感覚ってのもいいもんなんだよ」
「ステージを降りて、バスに乗り込んで、ヘザーやバンドの連中と乾杯する。そういうのがとても楽しいんだ」

―でもショウの前にはアルコールは口にしないよね、ミネラル・ウォーターだけでしょう?
「だって歌詞を忘れちゃいそうだから。ちょっと想像してみてくれよ。エリナー・リグビーを歌い出す、途中で歌がストップする、ちょっと間が空いて、続きが始まる、なんてところをさ」

―ステージには、世界最新鋭の巨大なヴィデオ・スクリーンが用意されているね。
「ジェネシスを観に行った時にね、フィル・コリンズはどこにいるのかなって探したことがあるんだよ。で、じいっと目を凝らして悩むことになったよ、『あれかなあ?』ってね」
「一生懸命プレイしようが何しようが、ほとんどマッチ棒にしか見えない時もあるからね。お客さんは僕を見るためにお金を払うわけだからね、どこからでもちゃんと見えて、聴こえるようにしてあげないと」

―素晴らしい思い出がたくさん出来たそうだね。USツアーの最終公演では、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の時にロード・クルーたちがハート・マークのカードボードを掲げているのを見て、感動で歌詞が出てこなかったと聞いたんだけど。
「イェ。もういっぱいいっぱいになってしまって、続きが歌えなくなってしまった。たいへんだったよ。おかげで散々なヴァージョンになってしまったけど、そういうわけだから仕方ないよね」

―ローマやモスクワにも行ったね。
「コロシアムでの眺めはグレイトだったよ。電球や人々のライターの光が、ずうっと向こうまで広がってね」
「演奏しながらラテン語の授業のことを思い出したりね。そういえばね、ちょうど太陽が沈んで行くのを眺めながら、“and the fool on the hill sees the sun going down” って歌ったんだ。あれはよかったなあ」
「モスクワでは、“and Moscow girls make me sing and shout” って歌ったもんね。赤の広場で、バシリカ聖堂やクレムリンをバックにして、しかも本物のモスコー・ガールたちの前でね。最前列にはプーチン大統領もいてさ」
「その時こんなふうに思ったよ。『こういうのって悪くないな。リヴァプールのスピークから出て来たおっさんにしちゃあ上出来だ』なんてね」

―どの会場でも、ジョンに捧げる歌「ヒア・トゥデイ」は、ハイライトのひとつだね。特に “You were always there with a smile. I love you.” のところは。
「僕もね、あそこを歌う度にじーんって来るよ。ジョンと一緒に過ごした時間のことをいつも思い出す。今ジョンがここにいたらどんなだろう、って考える時もある」
「僕にはいつもジョンがついててくれるような感じがする。同じようにリンダもね。いやいや、ユリ・ゲラーとかそういう類のもんじゃないぜ」

―あとほんの数日でリヴァプールだね。
「日曜日のステージで自分がどんなリアクションをするかなんて、全然わからないな。ほんとにね。ダブリンでどうなるかだってまるで予想できなかったんだからさ。それがリヴァプールとなると…うーん…深呼吸をするとか、息を呑むとか…ああそうだね、息するのも忘れてるかもね」
「昔の特別な時代のことを思い出すのは確かだろうな。そうだな、『ヘイ・ジュード』の歌詞を見せた時に、ジョンが僕の肩をぽんとたたいてくれたこととかね」
「“Don't carry the words on your shoulders” のとこなんだけどさ、ジョンはあのラインをすごく気に入ってくれてね、『ここは絶対変えちゃだめだ』って言ってくれたんだ」

―ダブリンでのショウは感動的なものになったね。ビートルズの時以来、40年ぶりだったしね。
「そうだねえ、このツアー全部の中でいちばんラウドなギグになったよね」
「まあでも、日曜日のリヴァプールがまた塗り替えるはずさ。だってリヴァプールはアイルランドの首都だからね! つまり今度はスカウサーがチャレンジする番ってことだな」

―リヴァプールではマッカートニー一族に集合をかけるのかな?
「リヴァプールのファミリーみんなが来るよ。もちろんヘザーも連れて行くんだけど、一族のみんなと一緒に踊ったり歌ったりしてくれれば、こんなに嬉しいことはないね」
「でもみんなステージから離れた席に座っててほしいな。だって親戚たちとアイ・コンタクトしながらじゃあ、とてもまともなコンサートなんて出来やしない」
「そう、もうとにかく邪魔にならないようにしてほしいね。コンサートが終わった後でゆっくりワイワイ楽しむことになってるんだからね」

―ホームタウンのために、いくつかサプライズを約束してるよね?
「うん。でもここで君にしゃべるつもりはないよ! そんなことしたらサプライズじゃなくなってしまうじゃないか」

―ツアーであちこちを回っている間も、いつもリヴァプールのことを気に掛けていた?
「イェ。いつだって僕はリヴァプールに繋がってる。どこに行こうがね」
「実はさ、ロシアでこんなことを訊いてきた奴がいてね。『ポール、世界でベストな街はどこだと思う?』ってさ。たぶんモスクワとかサンクトペテルブルグとか言ってほしかったんだろうけど」
「で、僕はこう答えてやった。『そりゃリヴァプールさ。リヴァプールしかないだろう』ってね」

 (聞き手:ピーター・グラント)

('Paul's band on the run comes home' , May 30 2003, Liverpool Echo)
('The friends I'll be playing my heart out for at city concert' , May 31 2003, Liverpool Echo)


「マッカ・ロックス・ドック」 / ピーター・グラント

確かに彼は、世界最大の競技場で演奏したことがあるかもしれない。
それが何だというのだ。
「ポール・マッカートニーがホーム・タウンで歌う」
これ以上に特別なことってないんじゃないだろうか。
そして彼は実際に3万5000人の群集を熱狂させ、キングズ・ドックのこの特別なショウを忘れられないものにしてくれた。

リヴァプールには、サー・ポールのショウを呼べるような大きなコンサート会場がない。
だから彼は自分で作ってしまった。
最先端のヴィデオ・スクリーンや、完璧な4ピース・バンドも一緒に連れて来た。
そして、チケットを手に入れることができたラッキーな人々は、サー・ポールの最高のパフォーマンスを楽しむことができた。
それは、もしかするとこれまでで最高のものだったかもしれない。群集も彼本人も、そう感じていたはずだ。

「このマージー河のバンクでみんなと一緒にいられるのって、本当にスペシャルだ。今夜の気分は言葉じゃあ表現できないな」
オーディエンスの中には、ポールのファミリーも呼ばれていた。ポールは、心を込めて演奏した。

「ハロー・グッドバイ」をオープニングに、20以上のビートル・クラシックが歌われた。
その他の曲の中には、これまで92回行ってきた「バック・イン・ザ・ワールド・ツアー」で1度も演奏されたことのないものもあった。
Tシャツにジーンズ、トレーナー姿のポールは、今まさに音楽家としてのピークを迎えているように見える。

「バンド・オン・ザ・ラン」、「ジェット」、「ブラックバード」、そして「オール・マイ・ラヴィング」では、20以上のスクリーンに印象的な映像が映され、聴衆の全員がポールと一緒に歌った。
音楽業界のバイブルであるビルボード紙がこれを「ベスト・ツアー・オブ・ジ・イヤー」に選んだのは、まったく驚きに値しない。

バンドの演奏は、ショウが進むにつれて輝きを増していく。
マッカートニー自身は、最初から最後までマスター・ショウマンだ。今月18日には61歳になるというのに、衰えの兆しさえ見られない。

「エリナー・リグビー」、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」、そして「キャント・バイ・ミー・ラヴ」でポールは、モップトップの頃と同じような瑞々しいサウンドを聴かせてくれた。最初に書かれた40年以上前そのままのような。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、「フール・オン・ザ・ヒル」、「レディ・マドンナ」、そして「ロング・アンド・ワインディング・ロード」では、全員がファブ・フォーのヒット曲を堪能した。

途中ポールはこれまでの人生について語り、「マイ・ラヴ」をリンダに、そして「ユア・ラヴィング・フレイム」を最前列に座る「ビューティフル・ワイフ・ヘザー」に捧げた。

涙が溢れてくる瞬間もあった。
「ヒア・トゥデイ」でポールは、ジョン・レノンについて語り、旧友に向けて心を込めて歌った。彼は感極まっていた。
ジョージ・ハリスンに捧げる「サムシング」では、ウクレレを弾いた。オーディエンスはさらに涙を流すことになった。

だんだんと空が暗くなる。多くのファンは、終わりが来ませんようにと祈りつづけるが、やはりその時はやって来る。
それにしても、何というフィナーレだったろう!

「リヴ・アンド・レット・ダイ」ではステージが爆発し、花火が打ち上げられた。こんなスペクタクルを演出できるのは、このスピーク出身のおっさんだけだ。誰も真似できない。
「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」、「トゥ・オブ・アス」、そしてポールが生まれて初めて作った「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」では、マッカートニーの天性の才能を再確認させられた。

ポールは、いくつかのサプライズを約束していた。そして彼は、フル・ヴァージョンの「マギー・メイ」を披露した。

ステージの上でポールは、ガンビア・テラスやフォースリン・ロードで過ごした日々のことを懐かしそうに話した。

「バック・イン・ザ・USSR」はエレクトリックだった。

客席に向かってポールは、ギターを高く掲げたり、親指を立てたり、たくさんの満足げな笑顔を送ったりした。
それらは、どこの会場よりもこの「ホームカミング」においては大きく、気持ちが込められていたに違いない。

もうすぐ、リヴァプールがキャピタル・オブ・カルチャーに選ばれるかどうかが決まる。しかしポールはこう言った。
「リヴァプールはキャピタル・オブ・ユニヴァースだ」
彼はそれを証明してくれた。彼のすべての歌詞や旋律もそうだ。

ファビュラスとしか言いようがないよ、マッカ。

('Macca rocks the dock' by Peter Grant, Jun 2 2003 Liverpool Echo)


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