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「ポール・マッカートニー インタヴュー」
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―アメリカ、イタリー、ドイツ、極東、ロシアと来て、いよいよ故郷に凱旋するわけだね。待ちきれないと感じてる?
「イェ、とても楽しみだね。ワールド・ツアーの最後を飾るためにリヴァプールに帰れるなんてね。USツアーを始めて半分くらいの時に、オーディエンスのリアクションを見ながら思ったんだ。『これを故郷リヴァプールにも持って行こう』ってね」
―60歳だというのに、ステージでの姿はずっと若いし、パフォーマンスへの熱情やエナジーは少しも衰えていない。去年からずっとツアーを続けて来て、もう200万人を相手にいるわけだけど、疲れを感じたりすることはないの?
「いいや、ずっと絶好調だよ。とにかく朝食をしっかり取るようにしてるんだ。たくさんのフルーツもね。1日の準備はその日の朝ごはんからって言うだろ」
「それに毎日演奏するわけじゃないから。もしこれが毎日だったらぶっ壊れてるよ。でもちゃんと休みを取れば、さあまたやるぞ、って続けて行けるんだ」
「このツアーがすごく好きなんだ。ファンタスティックな反応も含めてね。終わったら、きっと寂しく感じるんだろうな。クルーの大多数も同じ気持ちなんじゃないかな。僕らはすごくハッピーなチームだからね」
「バンドと一緒に旅をして回るってのはとてもいいもんだよ。でもね、それと同時に、家に帰る日を楽しみに待つ感覚ってのもいいもんなんだよ」
「ステージを降りて、バスに乗り込んで、ヘザーやバンドの連中と乾杯する。そういうのがとても楽しいんだ」
―でもショウの前にはアルコールは口にしないよね、ミネラル・ウォーターだけでしょう?
「だって歌詞を忘れちゃいそうだから。ちょっと想像してみてくれよ。エリナー・リグビーを歌い出す、途中で歌がストップする、ちょっと間が空いて、続きが始まる、なんてところをさ」
―ステージには、世界最新鋭の巨大なヴィデオ・スクリーンが用意されているね。
「ジェネシスを観に行った時にね、フィル・コリンズはどこにいるのかなって探したことがあるんだよ。で、じいっと目を凝らして悩むことになったよ、『あれかなあ?』ってね」
「一生懸命プレイしようが何しようが、ほとんどマッチ棒にしか見えない時もあるからね。お客さんは僕を見るためにお金を払うわけだからね、どこからでもちゃんと見えて、聴こえるようにしてあげないと」
―素晴らしい思い出がたくさん出来たそうだね。USツアーの最終公演では、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の時にロード・クルーたちがハート・マークのカードボードを掲げているのを見て、感動で歌詞が出てこなかったと聞いたんだけど。
「イェ。もういっぱいいっぱいになってしまって、続きが歌えなくなってしまった。たいへんだったよ。おかげで散々なヴァージョンになってしまったけど、そういうわけだから仕方ないよね」
―ローマやモスクワにも行ったね。
「コロシアムでの眺めはグレイトだったよ。電球や人々のライターの光が、ずうっと向こうまで広がってね」
「演奏しながらラテン語の授業のことを思い出したりね。そういえばね、ちょうど太陽が沈んで行くのを眺めながら、“and
the fool on the hill
sees the sun going
down”
って歌ったんだ。あれはよかったなあ」
「モスクワでは、“and
Moscow girls make
me
sing and shout”
って歌ったもんね。赤の広場で、バシリカ聖堂やクレムリンをバックにして、しかも本物のモスコー・ガールたちの前でね。最前列にはプーチン大統領もいてさ」
「その時こんなふうに思ったよ。『こういうのって悪くないな。リヴァプールのスピークから出て来たおっさんにしちゃあ上出来だ』なんてね」
―どの会場でも、ジョンに捧げる歌「ヒア・トゥデイ」は、ハイライトのひとつだね。特に
“You were always there with a smile. I love
you.” のところは。
「僕もね、あそこを歌う度にじーんって来るよ。ジョンと一緒に過ごした時間のことをいつも思い出す。今ジョンがここにいたらどんなだろう、って考える時もある」
「僕にはいつもジョンがついててくれるような感じがする。同じようにリンダもね。いやいや、ユリ・ゲラーとかそういう類のもんじゃないぜ」
―あとほんの数日でリヴァプールだね。
「日曜日のステージで自分がどんなリアクションをするかなんて、全然わからないな。ほんとにね。ダブリンでどうなるかだってまるで予想できなかったんだからさ。それがリヴァプールとなると…うーん…深呼吸をするとか、息を呑むとか…ああそうだね、息するのも忘れてるかもね」
「昔の特別な時代のことを思い出すのは確かだろうな。そうだな、『ヘイ・ジュード』の歌詞を見せた時に、ジョンが僕の肩をぽんとたたいてくれたこととかね」
「“Don't carry the
words on your shoulders”
のとこなんだけどさ、ジョンはあのラインをすごく気に入ってくれてね、『ここは絶対変えちゃだめだ』って言ってくれたんだ」
―ダブリンでのショウは感動的なものになったね。ビートルズの時以来、40年ぶりだったしね。
「そうだねえ、このツアー全部の中でいちばんラウドなギグになったよね」
「まあでも、日曜日のリヴァプールがまた塗り替えるはずさ。だってリヴァプールはアイルランドの首都だからね! つまり今度はスカウサーがチャレンジする番ってことだな」
―リヴァプールではマッカートニー一族に集合をかけるのかな?
「リヴァプールのファミリーみんなが来るよ。もちろんヘザーも連れて行くんだけど、一族のみんなと一緒に踊ったり歌ったりしてくれれば、こんなに嬉しいことはないね」
「でもみんなステージから離れた席に座っててほしいな。だって親戚たちとアイ・コンタクトしながらじゃあ、とてもまともなコンサートなんて出来やしない」
「そう、もうとにかく邪魔にならないようにしてほしいね。コンサートが終わった後でゆっくりワイワイ楽しむことになってるんだからね」
―ホームタウンのために、いくつかサプライズを約束してるよね?
「うん。でもここで君にしゃべるつもりはないよ! そんなことしたらサプライズじゃなくなってしまうじゃないか」
―ツアーであちこちを回っている間も、いつもリヴァプールのことを気に掛けていた?
「イェ。いつだって僕はリヴァプールに繋がってる。どこに行こうがね」
「実はさ、ロシアでこんなことを訊いてきた奴がいてね。『ポール、世界でベストな街はどこだと思う?』ってさ。たぶんモスクワとかサンクトペテルブルグとか言ってほしかったんだろうけど」
「で、僕はこう答えてやった。『そりゃリヴァプールさ。リヴァプールしかないだろう』ってね」
(聞き手:ピーター・グラント)
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('Paul's band on the run comes home' , May
30 2003, Liverpool Echo)
('The friends I'll
be playing my heart
out
for at city concert'
, May 31 2003, Liverpool
Echo)
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| 「マッカ・ロックス・ドック」 / ピーター・グラント |
確かに彼は、世界最大の競技場で演奏したことがあるかもしれない。
それが何だというのだ。
「ポール・マッカートニーがホーム・タウンで歌う」
これ以上に特別なことってないんじゃないだろうか。
そして彼は実際に3万5000人の群集を熱狂させ、キングズ・ドックのこの特別なショウを忘れられないものにしてくれた。
リヴァプールには、サー・ポールのショウを呼べるような大きなコンサート会場がない。
だから彼は自分で作ってしまった。
最先端のヴィデオ・スクリーンや、完璧な4ピース・バンドも一緒に連れて来た。
そして、チケットを手に入れることができたラッキーな人々は、サー・ポールの最高のパフォーマンスを楽しむことができた。
それは、もしかするとこれまでで最高のものだったかもしれない。群集も彼本人も、そう感じていたはずだ。
「このマージー河のバンクでみんなと一緒にいられるのって、本当にスペシャルだ。今夜の気分は言葉じゃあ表現できないな」
オーディエンスの中には、ポールのファミリーも呼ばれていた。ポールは、心を込めて演奏した。
「ハロー・グッドバイ」をオープニングに、20以上のビートル・クラシックが歌われた。
その他の曲の中には、これまで92回行ってきた「バック・イン・ザ・ワールド・ツアー」で1度も演奏されたことのないものもあった。
Tシャツにジーンズ、トレーナー姿のポールは、今まさに音楽家としてのピークを迎えているように見える。
「バンド・オン・ザ・ラン」、「ジェット」、「ブラックバード」、そして「オール・マイ・ラヴィング」では、20以上のスクリーンに印象的な映像が映され、聴衆の全員がポールと一緒に歌った。
音楽業界のバイブルであるビルボード紙がこれを「ベスト・ツアー・オブ・ジ・イヤー」に選んだのは、まったく驚きに値しない。
バンドの演奏は、ショウが進むにつれて輝きを増していく。
マッカートニー自身は、最初から最後までマスター・ショウマンだ。今月18日には61歳になるというのに、衰えの兆しさえ見られない。
「エリナー・リグビー」、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」、そして「キャント・バイ・ミー・ラヴ」でポールは、モップトップの頃と同じような瑞々しいサウンドを聴かせてくれた。最初に書かれた40年以上前そのままのような。
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、「フール・オン・ザ・ヒル」、「レディ・マドンナ」、そして「ロング・アンド・ワインディング・ロード」では、全員がファブ・フォーのヒット曲を堪能した。
途中ポールはこれまでの人生について語り、「マイ・ラヴ」をリンダに、そして「ユア・ラヴィング・フレイム」を最前列に座る「ビューティフル・ワイフ・ヘザー」に捧げた。
涙が溢れてくる瞬間もあった。
「ヒア・トゥデイ」でポールは、ジョン・レノンについて語り、旧友に向けて心を込めて歌った。彼は感極まっていた。
ジョージ・ハリスンに捧げる「サムシング」では、ウクレレを弾いた。オーディエンスはさらに涙を流すことになった。
だんだんと空が暗くなる。多くのファンは、終わりが来ませんようにと祈りつづけるが、やはりその時はやって来る。
それにしても、何というフィナーレだったろう!
「リヴ・アンド・レット・ダイ」ではステージが爆発し、花火が打ち上げられた。こんなスペクタクルを演出できるのは、このスピーク出身のおっさんだけだ。誰も真似できない。
「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」、「トゥ・オブ・アス」、そしてポールが生まれて初めて作った「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」では、マッカートニーの天性の才能を再確認させられた。
ポールは、いくつかのサプライズを約束していた。そして彼は、フル・ヴァージョンの「マギー・メイ」を披露した。
ステージの上でポールは、ガンビア・テラスやフォースリン・ロードで過ごした日々のことを懐かしそうに話した。
「バック・イン・ザ・USSR」はエレクトリックだった。
客席に向かってポールは、ギターを高く掲げたり、親指を立てたり、たくさんの満足げな笑顔を送ったりした。
それらは、どこの会場よりもこの「ホームカミング」においては大きく、気持ちが込められていたに違いない。
もうすぐ、リヴァプールがキャピタル・オブ・カルチャーに選ばれるかどうかが決まる。しかしポールはこう言った。
「リヴァプールはキャピタル・オブ・ユニヴァースだ」
彼はそれを証明してくれた。彼のすべての歌詞や旋律もそうだ。
ファビュラスとしか言いようがないよ、マッカ。
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('Macca rocks the dock' by Peter Grant,
Jun 2 2003 Liverpool
Echo)
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