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Vol.4 Premiership; Man Utd VS Bolton Wanderers, Old Trafford, 31.12.2005 |
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from NLW No.233 - January 10, 2006 |
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下村えり
Eri Shimomura |
リヴァプール在住のフローラル・デザイナー。ファンとして長年プレミアリーグをウォッチし続けるうち、日本からの取材コーディネートや原稿執筆を手がけることに。スカウス・ハウスのメールマガジン「リヴァプール・ニュース(NLW)」に『Footballの旅』と『リアルエールのすすめ』を不定期連載中。 |
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【 まえがき 】
2006年の「フットボールの旅」のキックオフです。
一番最初のレポートに相応しく、イングランド北西の大御所マンチェスター・Utd と、日本代表・中田(英)が移籍するボルトン・ワンダラーズの対戦です。昨年最後の白熱した試合の模様をお届けいたします。
もうすでにバイアスのかかった発言が出ている私。前にも申しました様に、マンチェスター・Utd をサポートして13年(…何故にリバプールに住む??)です。今日は少しだけ偏ったレポートになってしまいそうな気がしてなりませんが、どうぞ最後まで石を投げないでお付き合い下さい。
【 2005年12月31日・大晦日 】
年も押し迫った2005年大晦日。この日は、カレンダーではしっかり土曜日、ということはつまり、「フットボールの日」。
イングランドのみならず、ヨーロッパを代表するチームとも言えるマンチェスター・Utd のホーム、「オールド・トラフォード」へやって来た。
フットボール日和とは行かない、小雨交じりの師走大晦日。それでも人々の足は全く鈍ることなく、今回も6万7千人、ビッシリ満員御礼のオールド・トラフォードになった。
イギリスのリーグは、他のヨーロッパリーグとは対照的に、人々が休みを取るクリスマスのこの時期はいつにも増して多くの試合が組まれ、活気あふれる戦いが繰り広げられる。
フットボールファンにとっては、すこぶるハッピーなことではある。しかし迷惑なのは選手や監督。まずクリスマスを家族と過ごせないし、祝えない。クリスマスからお正月にかけて休みが全くない。ここ最近は他のヨーロッパのクリスチャン圏からプレミアリーグに参加する監督や選手が増えているのだが、まずこの事で文句たらたららしい。
カレンダーにもよるが、大抵クリスマスの翌日のバンクホリデー(12月26日)に試合、そして元日にも試合が入る(今年は日曜日なので1日ずらして翌日の2日になった)。いつもの土曜日のゲームにプラスする形で、これらのゲームを消化しなくてはならないのだ。
今年は24日のイブが土曜日で延期になったものの、12月26、28、31日、そして1月2日という超過密スケジュールとなった。なんと8日間に4試合。当然各チームの監督は、適度に選手を休ませながら起用せざるを得ず、メンバーの組み合わせやゲームプランに頭が痛い日々となる。
【 マンチェスター・ユナイテッドの歴史 】
マンチェスター・Utd の始まりは1879年。Lancashire & Yorkshire Railway Newton Heath
の名でスタートした。
1902年に今のマンチェスター・Utd に改名するが、早速財政的に困難な状態を抱える。それを救ったのが地元醸造業者ジョン・ヘンリー・デイビスだった。彼からの500ポンドの投資で小さなスタジアムを作り、次々に有力な選手と契約を交し、1907-8シーズン、1910-11シーズンのリーグ優勝を皮切りに、1909年には初のFAカップ優勝を飾る。これが、マンチェスター・Utd
の輝かしい歴史のスタートである。
戦後の1945年から50年代にかけてはボビー・チャートンなどのビックネームを始めとする選手たちの活躍で、何度もリーグやFAカップの優勝に輝き、ヨーロッパ・カップなどでも上位進出を重ね、マンチェスター・Utd
の名をさらに大きく世に広げていくことになる。
50年代に起きた忘れられない惨事として思い出されるのは、1958年2月、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップの準決勝のアウェイ戦を終え、移動中に起きたミュンヘン空港での事故。積雪の悪天候の中、チームを乗せた飛行機の離陸失敗によって8名の選手が命を失い、2名が選手生命を断たれてしまった。
主力選手を多く失い、チームの勢いは低下して行くのだが、残されたボビー・チャートンやデニス・ローらの活躍により、マンチェスター・Utd は徐々に活気を取り戻す。55-56シーズン、56-57シーズンと連続でリーグを制覇。57、58年はFAカップでも決勝に進出する。そして60年代は、昨年11月に59歳で他界した偉大なアイリッシュ・ストライカー、ジョージ・ベストが大活躍。2度のリーグ制覇に加えてヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(現在のヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ)でも悲願の優勝を飾り、フットボール史に輝かしい足跡を残した。
そして1986年、現在もチームを指揮する Sir Alex Ferguson(1941年12月31日生まれ)がマンチェスター・Utd の監督に就任する。
【 アレックス・ファーガソン 】
監督就任後、ファーガソンは積極的な補強を行ってチームを強化。1990年にはFAカップ優勝、翌年はカップ・ウィナーズ・カップで優勝するなど、目覚しい進歩を続ける。
その次の1992-3シーズンでは、ついに26年間待ち続けたリーグ優勝にたどり着く。この時期にはかの有名な(悪名も高い)フランス代表、エリック・カントナをリーズから獲得したほか、ヨーロッパ大会で優勝を果たしたデンマーク代表のピーター・シュマイケル(永遠の名ゴールキーパー)を迎え、守備に攻撃に更に磨きをかけていく。私自身のドリーム・チームもこの時期だと言えよう!
そして90年代半ばからは、下部組織でじっくり育てられた若い選手たち(ライアン・ギグズ、デイビッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ネビル兄弟など)が加わり、人気・実力ともにプレミアNo.1のクラブとなった。
90年代以降のマンチェスター・Utd は、8度のリーグ優勝と4度のFAカップ優勝を手にしているが、そのハイライトはやはり1999年だろう。
ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝でバイエルン・ミュンヘン相手に劇的な逆転勝利、見事にヨーロッパ・チャンピオンとなった。この年はリーグ、FAカップをあわせて3冠に輝いたばかりか、トヨタ・カップでも南米王者パルメイラスを下し、世界の頂点に立った。
ファーガソンは、人前では絶対に自分のチームを悪く言うことはない。どんな場合でも選手を庇う監督として知られている。しかし、ひとたびチームの輪を乱した選手に対しては、有無を言わさず切ることも辞さない。カリスマ性の有る指揮官である。
しかし輝かしいユナイテッドの歴史にも、ほんの少しだが陰りが見え始めている。ここ2シーズンはリーグ優勝に届かず、今シーズンはヨーロッパCLでもグループ・リーグ敗退に終わっている。
そして昨年末、キャプテンのロイ・キーン(アイルランド代表)が突然退団を表明、セルティックへ移籍する。
またもや少しづつではあるが、ユナイテッドのチームカラーが変わりつつあるこの頃ではある。
リーグでは今現在2位につけてはいるものの、3位のリバプールとのポイント差は3、トップのチェルシーとは11ポイントも離されてしまっており、優勝を目指すにはかなり厳しいといえるだろう。
ファーガソンの64回目の誕生日であるこの日、これ以上は引き分けも負けもありえない、勝ち続けなければならないプレッシャーに、マンチェスター・Utd
は対処出来るのだろうか。
【 ボルトン・ワンダラーズの歴史〜サム・アラダイス監督】
一方、「ビッグ・サム」の愛称で知られるサム・アラダイス(1954年10月19日生まれ)率いるボルトン・ワンダラーズは、マンチェスター・Utd
と同じイングランド北西部のクラブである。
1874年に地元の青年達や教職員達によって創設されたとあり、最初は Christ Church FC の名でスタートした。1888年に創設された、世界初のフットボール・リーグに名を連ねる12チームのうちの1つである。
1877年に現在のチーム名となり、FAカップでは、栄えある第1回優勝を含めて通算4度制覇。しかしリーグでは未だ一度も優勝はない。
1999年にサム・アラダイス(元ボルトンDF)が監督に就任後は、彼の方針により、レンタル移籍やフリー・トランスファー等で海外のクラブから積極的に選手を獲得。少しづつではあるが、確かにボルトンFCは変わって行っている。
アラダイス就任から2年後に2部リーグからプレミアシップへ返り咲いたボルトンは、昨シーズンには6位というクラブ史上最高位まで達することが出来た。
ピッチ外においても、彼は最新のテクノロジーを採用し、スポーツ心理学、生理学なども取り入れてプレイヤーの健康(体調)や精神状態を管理している。選手たちがいつも最高の状態でプレー出来る様にと、最大限の配慮をしているのだ。
今シーズンのボルトンは現在7位と、前シーズンの6位上位を目指すに可能な位置である。今のボルトンは、プレミアシップの中で確かな存在感を獲得している。今後のサムの働きが益々気になる所である。
【 オールド・トラフォード 】
オールド・トラフォードへは、マンチェスターの繁華街ピカデリー駅からだと、トラム(市電)を利用すると徒歩を含めて30分足らずで到着する。
最高なのは、スタジアムの目の前にも鉄道駅があり、こちらはマッチの日のみオープンする。観戦には本当に便利である。ちなみに運賃は往復料金£2.70(約600円)。
午後3時キックオフだったので、町のチッピー(Fish & Chips の店)でゆっくり腹ごしらえをしてからオールド・トラフォードに行くと、すでに周辺は凄い人。
この近代的なスタジアムには、エバトンFCやリバプールFCの様なローカルの匂いや哀愁は無いが、何時来ても素晴らしい造りで、本当にため息が出てしまう。
この6万7千人入るスタジアムも、又もや増築の計画があるとか。その目的はシーズンチケット・ホルダーを増やすことらしい。私としては、それよりもメンバーが買えるチケットの枚数を増やして欲しいのだが…(メンバーでも手に入れられるチケットはたった1枚なんです)。
大型バスが入って来た。凄い人だかりと警備員。背伸びしてみてみると、ボルトンの選手達がスタジアム入りしていた様子。しかし人の頭でほとんど見えなかった。
スタジアムの中へ入ってしばらくすると、選手らのウォーミングアップが始まった。
中田の顔も観れたが、どうやら彼はサブの様子。マンUサイドも、ストライカーのファン・ニステルローイはスターティング・メンバーを外れていた。今日のフォワードは、サハーとルーニー。頑張って〜!
【 Kick Off! 】
3時ぴったりに試合は開始された。
9時間の時差なので、日本はちょうど夜の12時。元旦だ。きっと皆、おそばを食べながら除夜の鐘を聞きつつ「明けましておめでとう!」と言い合っていることだろう…などと考えつつも試合に注目!
ユナイテッドは最初からクリエイティブなフットボールを見せつけ、攻撃に集中する。そんなユナイテッドに味方したのか、試合開始7分で早々と1点目が入った。
ギグズのパスをリチャードソンが受け、ゴール前のサハーへボールを送る。しかしそれを払おうとしたボルトンDFヌゴッティの足に当たり、なんと自らのネットにボールが納まってしましまった。オウン・ゴール、1−0! ユナイテッドにとってラッキーな1点目であった。
その後もユナイテッドの攻勢は続き、中盤ではクリスティアーノ・ロナウドが、素晴らしいフットワークとボール捌きで正確なパスを前線へ供給。そして前線ではルーニーとサハーがコンスタントなプレッシャーをかけて常にボルトンサイドを脅かす。
しかし、ボルトンも黙ってはいなかった。前半33分、ゴール前左サイドからのMFファイのスローインが、ユナイテッドDFネビルとファーディナンドを超えて右サイドまで達すると、すかさずMFスピードがヘディング・シュート。1−1。試合は振出しへ。
追いつかれたユナイテッドだが、打ちひしがれる様子はまったくない。
いつもエネルギッシュな20歳のルーニーだが、今日のノリはまた抜群で、ワールドクラスのスキルを次々に見せ付けてくれてた。
今日のパートナーであるサハーに素晴らしいパス。しかしサハーのシュートはボルトンのGKヤースケライネンにブロックされる。
今日のもう一人の主役は、ユナイテッドの21歳、若きポルトガル代表MFクリスティアーノ・ロナウド。彼のボール捌きはプレミアリーグでも有名ではあるが、この日は更に磨きが掛かっていた。正確なパスや素晴らしいドリブルにはもう非の打ち所が無い。ギグズのクロスを上手くあわせてボレーシュートを放つが、惜しくもポストを叩く。
ユナイテッドの集中攻撃から、2点目が生まれた。またもやボルトンのディフェンスのミスによるものだった。
前半44分、ユナイテッドGKファン・デル・サールからのキックを、ボルトンDFハイムが安易に味方GKに返そうとした時、それを予知していたサハーがボールを奪取、素晴らしいタッチでボールを運び、サハーにとって今シーズン初ゴールが決まる。2−1。
ユナイテッドのリードで迎えた後半であったが、ユナイテッドの攻めは弱まるどころか、更に熱を帯びてきた。
クリスティアーノ・ロナウドが左足ロングシュートで又もやポストに当てる。
しかしその5分後、ルーニーの見事なパスを上手に拾ったクリスティアーノ・ロナウドは、目の前のゴールにシュート。今度は上手に決めて3−1。
80分を過ぎると、安心しきったのか、早々と家路と急ぐユナイテッドサポーターもいた。私の周りでも次第に空席が出来ていく。
しかし試合はまだ終わっていなかった。
終了直前、MFフレッチャーに代わって入っていたMFピケと、サハーに代わって入っていたファン・ニステルローイが、インサイドボックス手前でパス交換。そしてフリーのクリスティアーノ・ロナウドにパス。クリスティアーノ・ロナウドが絶好調のフットワークを生かしてボルトンDFガードナーをかわしてシュート。4−1。これで試合終了。
【 あとがき 】
少々私情の入った今回のレポートになってしまったが、言い訳をさせてもらうと、今日の試合は、誰が観戦してもユナイテッドの素晴らしさを感じてもらえるものだったと思う。
残念ながら、今日のボルトンの攻撃にはアイデアが無さ過ぎた様だ。
インサイドボックスにボールを運ぶまでにマンUのディフェンス陣に遮られたし、パスも上手く繋がらなかった。試合の60%はマンUサイドにボールが渡っていた。それでも守備が強固であればよかったのだが、ミスが多く、それが4失点という結果につながってしまったと思われる。
4−1という一方的な試合ではあったが、フットボールファンにとっては決して退屈しない、スキルフルなゲームであった。
なんと言っても、マンUサポーターにとってはこの上なく幸せな年の瀬になった。もちろん、64歳になったファーガソンへの素敵なバースデープレゼントになったことは確かだろう。
しかし、年明けの1月3日に行われたこの次のゲーム、対アーセナル・アウェイ戦は、残念ながらスコアレス・ドローに終わってしまった。
終了後にファーガソンはこう語った。
「今シーズンのチャンピオン争いは終わった」
どうやらこの先は、リバプールとチェルシーがチャンピオンの座を巡って争うことになりそうだ。
リバプール頑張れ!!
【 マッチ・データ 】
Premiership 05-06
Manchester United Vs Bolton Wanderers
Old Trafford
31 December, 2005 16:00 Kick Off
Attendance: 67,858
Man of the match: Rooney(Manchester Utd) |
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マンUtd |
ボルトン |
スコア |
4 |
1 |
ターゲットショット |
9 |
2 |
オフターゲットショット |
9 |
2 |
コーナーキック |
7 |
1 |
オフサイド |
2 |
4 |
イエローカード |
2 |
5 |
レッドカード |
0 |
0 |
ポゼッション |
53% |
47% |
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Manchester United
Van der Sar, Neville (c), Ferdinand, Silvestre, Richardson, Ronaldo,
Fletcher (Pique, 85), O’Shea, Giggs, Rooney (Park, 79),
Saha (Van Nistelrooy, 72).
Subs not used: Howard, Bardsley. |
Bolton Wanderers
Jaaskelainen, N’Gotty, Ben Haim (Vaz Te, 46), Gardner, Nolan,
Speed, Stelios (Fadiga, 75), O’Brien, Faye, Davies, Okocha.
Subs not used: Walker, Jaidi, Nakata. |
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from NLW No.233 - January 10, 2006 |
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