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BEA-MAIL 『フロムUK』 バックナンバー・ライブラリー

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フロム・ビー発行のメールマガジンBEA-MAILに連載中のコラム「フロムUK」のバックナンバーです。
ロンドンでの生活で遭遇した出来事や日々感じたことなどを綴るこの連載の第一回は2000年8月。早いものでもうすぐ7年です。思えば最初の頃はPCがなくて、ワープロ原稿をファックスで送信していました。で、掲載されたビーメールを友だちに頼んでプリントアウトしてもらって・・・懐かしいです。
何らかの形として残したいと思っていたので、こうしてまとまった形で掲載していただけて嬉しいです。転載をご快諾くださったフロム・ビーさんにも感謝いたします。 (えつぜんこずえ)

『フロムUK』 2005年

No.21 <アビイ・ロード映画祭>

ついに夢のアビイ・ロード・スタジオに足を踏み入れた・・・のは、時の経つのは早いもので一ヶ月前の話だ。
「アビイ・ロード・フィルムフェスティバル」と銘打った映画祭で『バック・ビート』を観たのである。
£15で映画は高いと思われるものの、いやいや映画はあくまでも「おまけ」で、スタジオの見学料金と思えば安いものだ。
映画上映1時間前開場、スタジオ内の見学がメインイベントであることは言うまでもない。

第2スタジオは、天井がものすごく高くがらんとしている−ジョージが「寒かった」とコメントしているのがよくわかる。
スカッシュコートくらいの広さがあるのだから、セントラルヒーティングのない1960年代にはさぞかし寒かっただろう。
しかも、こんな広いところで4人だけでレコーディングするのだから、リバプールから出てきたばかりの彼らはさぞかし心細かったに違いない。
そんなことを思いながら、スタジオ内に展示された写真を眺める。古い写真とほとんど変わらない風景に、「ここでビートルズが」「あの曲が」「この曲が」と感慨が深まる。
何度も本で読んだ「スタジオを見下ろすコントロールルーム」は、本当に高い位置にあり威圧感を感じる。立ち入り禁止なのが非常に残念だ。ぜひこの視点を体験したかった・・・。

残念といえば、ほかに公開されたのは、映画が上映される第1スタジオと食堂だけという点だ。確かに感慨深いのだが、若干時間を持て余してしまった。
食堂で中庭を眺めながら、「ここでジョンやポールがお茶を・・・」と自分に言い聞かせているうちに映画上映のアナウンスが聞こえた。

会場の第1スタジオには、特設の客席とスクリーンが用意されている。さすがイギリス人だ。食堂で買ったポップコーンとビールを手にしている人がちらほら見える。
『バック・ビート』は良い選択だった。「そして、彼らはここへやってくるわけだ・・・」と彼らの足跡を体験することができたように感じられたからだ。

ところで、私の観た『バック・ビート』は全て白黒だった。私の記憶では冒頭が白黒で、物語が始まった瞬間にカラーになったのだが――これがとても印象的だったのを覚えている。別の日に観た友人は全てカラーだった、と言っている。誰か確認してください!

(『BEA-MAIL』2005年4月25日号(第264号)に掲載)


No.22 <リンゴ遭遇記>

2週間ほど前にキングス・ロードでリンゴ・スターを見かけました。
近くにフラットがあるとは聞いていたのですが、バイト先の雑貨屋で、なにげなくウインドーの外を見ると歩いているではないですか! リンゴ!
びっくりして、同じフロアにいた同僚ベバリー(40代・アメリカ人)に「リンゴだ!」と叫び、二人でドアのところへ走っていきました。

リンゴはセインズベリーというスーパーの袋を手に、ミュージシャンらしきサングラスをかけた男性と二人で連れ立って歩いていました。
思わず「ハーイ!」と声をかけると、二人揃って「ハーイ!」と応えてくれました。
リンゴが歩き去って3秒後、私とベバリーは大感激のあまり悲鳴をあげ(事実)大騒ぎ。それに驚いたマネージャーと数人のお客さんが地階から階段を上って来ました。
「リンゴが!」と声をそろえて大騒ぎの私たちに、マネージャーは「なんだ! 強盗かと思ったわ」。お客さんは「あまり興味ないわね」の一言・・・。
「私は日本人で、彼女はアメリカ人だから」と言うと、みんなに大笑いされました・・・。

リンゴは小柄ですらりとしていて、とても健康そうでした! もう、私とベバリーは、「リンゴとはハーイの仲」とみんなに自慢中です。
ちなみにスーパーの袋にはミネラルウォーターのボトルが入ってましたよ。禁酒続行中なんですね。

(『BEA-MAIL』2005年7月4日号(第273号)に掲載)


No.23 <オノ・ヨーコ@メルトダウン>

【Yoko Ono @ Meltdown Festival】
 6月18日 オノ・ヨーコ・コンサート(メルトダウン・フェスティバル) 会場:クイーン・エリザベス・ホール

「ライジング・ツアー」以来のオノ・ヨーコのライブ、しかもパティ・スミス監修のメルトダウンの一環ということで、ものすごい期待を持ってでかけたライブだったが、それを裏切らない内容だった。
舞台に現れたヨーコは、「安い席の人は・・・」と言うと、しゃがんでステージ下のカメラマンに耳打ちをする。
「そうなの・・・最近は安い席というのがないらしいわね」
(一体どんなライブになるだろう)と緊張気味の観客席が、ここで大笑いする。

そして演奏が始まる。
ベースにショーン・レノン、キーボードにホンダ・ユカ、プラスドラムとギター2本というバンド編成。
とにかくすごい迫力だ。無理が通れば道理引っ込む。あのボーカルといい、カリスマ性といい、パンクだ。
アート・リンゼイを思わせる激しいギタリストも、これまたかっこいい。

ロックは、かつて写真家のランキンも指摘したとおり、「多少ルックスが悪くてもOK」というショービジネスでは特異な分野であるわけだが、どうしても女性はある程度のルックスや歌い方が期待される中、あそこまでわけのわからん(失礼)音楽をごり押しで聞かせられるというのは、「Women In Rock」の代表と言っても過言ではないだろう。

しかも、ヒット曲のないライブを1時間もたせられるというのは、並みのバンドには不可能ではなかろうか。オノ・ヨーコは、ある意味ジョン・レノンより、ロックンロールなのかもしれない。

MCでは歌の迫力とはうってかわって非常にチャーミングなのも、コントラストがあって魅力的だ。
ステージに用意したたくさんの帽子をかわるがわるかぶったり、オーディエンスと会話したりと、本人も楽しんでいるようすだった。

アンコールには、ペット・ショップ・ボーイズが登場。「ウォーキング・オン・シン・アイス」を共演。
ファンの私としては、大満足のおまけつきであった。ただ、ライブはここでおしまい。わずか1時間のステージであった。客席もここで盛り上がったところだったのに、残念であった。
「あえて観客の期待を裏切る」のが目的だったのかも・・・と深読みしてみたりもしているのだが・・・。

ところで、ショーンがライブの後、ローディがステージから楽器を搬出している傍らで、客席の友だちに携帯で電話していたのは、とてもほほえましい光景だった。ミュージシャンなのに・・・実はいい人なのかも。

(『BEA-MAIL』2005年7月11日号(第274号)に掲載)


No.24 <怒りと安らぎと音楽と>

ロンドンのテロから1ヶ月が経ちました。
街はほとんど通常通りになったものの、百貨店をはじめとして消費は10パーセントダウンという数字がでています。周りの人も、通勤・通学に公共交通機関―とくに地下鉄―を利用することに対する不安を取り除けないままにいるようです。

未だに気分が悪い。私はとにかく気分が悪い。テロリズムはなにも生み出さない、まったく無駄な行為です。
今回は「イスラム教に対する冒涜行為」を行うイギリス政府に対する抗議、というのが「大義名分」ですが、イスラム教の名を貶めたという意味において、大多数の敬虔な教徒に対しても大きな損害を生む結果となりました。

ロンドンは、世界にまれにみる「人種のるつぼ」であり、多人種に対する懐の広さがなによりの特色であるはずなのに、それが侵害されるのはとても辛く、とくに外国人である私には腹の立つことです。

実行犯のビデオ公開に伴い、被害者の女性のボーイフレンドが、イスラム教徒として今回の事件に対する大きな怒りを表明しました。誰もが憤りを感じています。

9月6日には、ラッセル・スクエアで爆破されたバスの運転手が職場復帰したことがニュースで報道されました。
ほとんど原形をとどめていないあのバスの写真は、9.11のツイン・タワーの光景同様、ロンドン市民の心に一生残ることでしょう。
彼は「あのようなたいへんな事件はあったけれど、ロンドンは美しい街」と語り、事件前と同じルートの運転を再開しました。彼の勇気はゴードン・ブラウン大蔵大臣をはじめ、多くの市民から称えられました。

私の親しい友人が、2年前から許可制となった地下鉄でバスキング(街頭での演奏)をしています。
彼をはじめとする数人のバスカーは、テロの翌日から演奏をはじめました。
彼らの演奏は、奇妙な環境の中に安らぎと日常を取り戻し、緊張感とともに地下鉄を利用する市民、そして地下鉄職員の心を和ませてくれました。
事件直後、いつも見慣れているはずの友人の演奏姿を見たときには、「無事でいてくれてよかった」というとてつもない安心感におそわれると同時に、あの状況の中で演奏を続ける勇気に、言葉では語り尽くせない感銘を受けました。あのときほど、音楽が人の心を救うと感じたことはありません。

リバプール・ストリートの側で美容師をする友人も、キングス・クロスを毎朝利用する友人も、みな今日も事件前と同じように生活をしています。

自分にとって大切な人々の生命が理不尽な危険にさらされることを、望む人間はどこにいるのでしょう? 
そして、それを防ぐために自分に何ができるのだろう・・・? 
気分が悪い。本当に気分が悪い。

(『BEA-MAIL』2005年9月12日号(第281号)に掲載)


No.25 <セント・オルバンズの日本人>

ロンドンから1時間ほど北へ行った、セント・オルバンズでのことだ。
パブの駐車場でちょっとした荷作りをしていると、裏から「いや〜懐かしいですね」という日本語が聞こえてきた。
振り返ると、どこからみてもビール腹のイギリス人のおじさんだ。あまりにシュールな光景に一瞬あたりを見回したが、このおじさんしかいない。
「いや〜どこかで会ったことあったかなあ」と考えてみても、覚えがない。

「日本語がなつかしいなあ」
日本に24年間暮らし、去年もろもろの事情で帰国したとのことだ。
「こういうものです。どうぞよろしく」と両手で差し出された名刺には、フランク・レザーズ、カメラマンとあった。

お祭りの写真を中心に日本各地の撮影をしていた。帰国してからは、このパブでコックの仕事をしているという。
日本語はものすごく流暢と言うわけではないが、言葉は文化とよく言ったものだ。仕草がもろに日本人なのと、あいづちが完璧なのには、とにかく驚いた。
思えば、朝食を出してくれたときに軽く会釈してくれたのだが、妙に日本人っぽかった。そのときは「我々が日本人とわかったから、お辞儀をしたかったのだろうか? ありがちな話だ」と気にも留めていなかった。

「もう帰ってから、カルチャーショックで。しかも、まっさきに口から出るのが日本語だからねえ。この前も『え?何ですか?』って聞き返しちゃって、慌てて英語で言いなおしたりして、わはは」
ふむふむ。私は逆パターンをよく経験するので(とっさに出るのが英語)、気持ちはよくわかる。
もっとも、英語を解する日本人の方が日本語を解するイギリス人より多いだろうから、さぞかし不気味だろう。私の場合はせいぜい「これだから洋行帰りは」と、鼻で笑われるくらいなものだ。

複数の言語を使えると、表現の範囲は広がるが、微妙なニュアンスで「こっちの言葉の方がいいやすい」というフレーズもあるものだ。
そのために逆に表現の限界を感じることも多々ある(けんかと議論は断然英語だ)。

フランク氏にとって「母国語」のような日本語で、世間話ができるのはとても嬉しかったのだろう。お茶まで出してくれてとても親切にしてくれた。
できれば彼のローストビーフも食べたかったが、残念ながら時間がなかった。

頭をぺこぺこ下げながらの別れの挨拶のあと、「本当はトンカツが食べたいんだけどねえ」と、フランク氏は東のほうを向いて遠い目をした。

(『BEA-MAIL』2005年10月24日(第285号)に掲載)


No.26 <もっといい人>

年の初めに大失恋した。ありがちな話なので詳細は省くが、しばらくやられていた。
ところで、こういうのはインフルエンザみたいに流行るものなのか、以前にも触れた、リンゴ・スターもやって来るバイト先で、同じ時期に3人が彼氏と別れるという状況が起こった。みんなで傷をなめあったのは言うまでもない。

「それは最低!別れて正解!」
「でもやっぱり辛いよね〜」
「周りにもっといい人いるよ、きっと」
こういう話は万国共通だ。

しかしだ。ここで共通しないのが「周りにもっといい人」という点だ。
ロンドンはヨーロッパ、いや、世界に名だたるゲイ・シティだ。しかも、インテリア・雑貨・ファッション業界においては、男といえばまずゲイと思って間違いない。もしくは学生バイト・・・若い、若すぎる。
従って、周りで対象年齢に属するいい人はすべてゲイ。可能性ゼロ。我々3人は、再び深いため息をついた。

素晴らしいファッションセンスと北部イングランドの鋭いユーモアで大人気の主任フィル。ちょっとジョージ・マイケルが入った、みんなに優しいマネージャーのホセもゲイ。
失恋仲間のジェイドとフィル主任は、自他ともに認める無二の親友だ。そして、ホセと私は年齢が近く、親しい友達である。私を「ダーリン」と呼ぶ男性は、彼くらいしかいない(「奥様は魔女」か!?)。失恋した時もなぐさめてくれた。

「どうしてあの二人がヘテロじゃないんだろう」
出るのはため息ばかりだ。もう一人の失恋仲間アイリーンが、思い出したように言った。
「これはもう、仕事を変えるしかないんじゃない?」

しかし、いわゆる小売業界、サービス業のゲイ率の高さにかなうものといったら、深夜1時のすすきのにおける酔っ払い人口密度くらいなものだ。あれもだめ、これもだめ・・・とお客そっちのけで、キングス・ロードの店をかたっぱしから頭に浮かべ、思案にふけった。

そして出た結論は・・・「電気屋」と「携帯電話屋」だ。
「え〜、何かね〜」3人の声が揃った。業界として問題があるわけではない。しかし、しかしだ。華やかさに欠ける。
日本の電気屋さんは電飾も派手で、店員さんも明るいが、なぜかこちらの電気屋さんはちょっとマニアックな雰囲気がするのだ。全体的に印象も地味だ。女性の店員も極端に少ない。
結局結論が出ないまま、失恋3人衆は淋しい心を抱えたまま仕事に戻った。

数日後、金融関係に務める友人と飲む機会があった。
「いい出会いないかなあ」
と、彼女は言い、こう続けた。
「どうしていい男ってゲイか既婚者なんだろう?」
ブルータスお前もか?! ロンドンにヘテロのいい男は存在しないのか?!

<つづく>

P.S. クラパム・コモンという公園で、最近ゲイ差別の殺人事件が起こった。今も犯人がつかまらないまま、市民に大きな波紋をなげかけ議論を巻き起こしている。非常に残念なことだ。

(『BEA-MAIL』2005年11月7日(第288号)に掲載)


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