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BEA-MAIL 『フロムUK』 バックナンバー・ライブラリー

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フロム・ビー発行のメールマガジンBEA-MAILに連載中のコラム「フロムUK」のバックナンバーです。
ロンドンでの生活で遭遇した出来事や日々感じたことなどを綴るこの連載の第一回は2000年8月。早いものでもうすぐ7年です。思えば最初の頃はPCがなくて、ワープロ原稿をファックスで送信していました。で、掲載されたビーメールを友だちに頼んでプリントアウトしてもらって・・・懐かしいです。
何らかの形として残したいと思っていたので、こうしてまとまった形で掲載していただけて嬉しいです。転載をご快諾くださったフロム・ビーさんにも感謝いたします。 (えつぜんこずえ)

『フロムUK』 2006年

No.27 <市民パートナー法>

この記事が掲載される頃には、ちょっと古いニュースになっているかもしれないが、2005年のクリスマス・パーティの話題は、何と言ってもエルトン・ジョンとデヴィッド・ファーニッシュの結婚だった。
「背が低く、髪が薄く、太っていて、しかもホモ」というロック・スターにはありえない4重苦を背負い(失礼!でも事実ですよね?)、一時は過食症やドラッグ中毒に苦しんだエルトンが、精神的な面を含めあらゆる面で安定したのは長年のパートナー、ファーニッシュに出会ったのがきっかけというのは、有名な話だ。

12月21日、イギリスでは彼らを含む687組の同性愛カップルが、「結婚式」を挙げた。
これは、12月5日に「市民パートナー法」が正式に施行されたことで、同性カップルにも年金、遺産などの面で異性間夫婦と同等の法的・社会的権利を認められ、法律上は結婚として扱われないものの、事実上の「同性婚」が認定されたことは間違いない。

これは30年前には「違法」であった同性愛者にとって、画期的な出来事だ。
ブライアン・エプスタインも、そのことでずいぶん悩み苦しんだ。フレディ・マーキュリーのパートナー、ジム・ハットンは、「権利がない」という理由で遺産相続がほとんどなされなかった。
また、私の身近の英国人と外国人のカップルは、この法律のおかげで「結婚」が可能になり、パートナーのビザ失効によって関係を引き裂かれる(男女のカップルであれば、まったく問題にならない話だ)ことがなくなった。

社会的に「パートナーであること」を声高らかに宣言できるということは、ヘテロセクシャルである私の想像以上に大きな出来事であろう。
派手好きで知られるエルトンが、非常に質素で当たり前の結婚式を選んだのは、同性愛が「自然なこと」として認められた第一歩を祝福する意味あいもあったのではないだろうか?

私の周りの男性・女性を含むホモセクシャルのカップルは、みな声をそろえて「今すぐとは言わないけれど、近い将来に」と嬉しそうに語った。
ジョージ・マイケルがちょっと入ったマネージャーのホセも、大喜びだ。何と言っても、交際7ヶ月のボーイフレンドとラブラブなのだ。
今年10周年を祝福するレズビアンのクレアも、「結婚ということが考えられるだけでも、感動的」と瞳を潤ませた。

素晴らしいクリスマス・プレゼントではないか。21世紀の新しい家族の形として、歓迎したい、一大革新である。愛は大切だ。

そして、「ああ、私も声高らかに宣言できるパートナーが欲しい・・・」とため息をつく私に、肩をたたいて「その気持ち、よくわかるよ。僕も今ボーイフレンドがいなくて」と励ましてくれたのは、ゲイの新人店員サム君だった・・・。

(『BEA-MAIL』2006年1月10日(第296号)に掲載)


No.28 <ショーン・レノン恋人募集>

〜 ロンドン在住のツアー・ガイド、えつぜんさんが現地のホットな情報をお届けするコラム。今回は、ショーン・レノンが12月28日付『ニューヨーク・ポスト』紙のゴシップ欄「ページ・シックス」に、ガールフレンド募集中との発言をしたという話題から。ショーンの求める女性は「18歳から45歳。IQ130以上。誠実で優しい人。(中略)5つ目の乳首などがない人」だとか。危なくて全部は載せられませんが、あくまで『ニューヨーク・ポスト』ですから! 〜

ショーン・レノンが「孤独で寂しい、恋人募集中」だそうだ。
お金持ちの独身貴族男性というのはシングルライフを謳歌、デュラン・デュランのプロモ・ビデオ「リオ」のように(古い?)地中海やカリブ海にヨットを浮かべて美女をはべらせる「各港に女あり」のような生活をしているようなイメージがあったのだが、どうも違うらしい。
「愛が欲しい」と嘆くのは、往々にして女性だと思っていた。これも遺伝子の女性化の影響だろうか?

ショーン君がどこまで本気かわからないが、『ニューヨーク・ポスト』紙で大々的にこんな情けない話をするのだから、案外真剣な悩みかもしれない。
にしても、なかなかシビアな条件だ。言葉づかいからしても、ずいぶん女性に幻滅しているような気配が感じられる。

そんな気配を感じてか、
「うじうじしないで、もっと人生をエンジョイした方がいい」
「どんどん外に出て、いろいろな女性と付き合ったほうが」
という投書が、女性から寄せられているそうだ。

確かにその通り。それに、どうせ投書するなら恋人募集欄をもっと研究して、自分を売り込むような文章を書かなくては。
相手に求めることばかり羅列するのではなく、
「マンハッタン在住のミュージシャン、30歳。オリエンタル系のハーフ。音楽と芸術をこよなく愛する繊細なタイプ。趣味料理(本当かどうかは別として、料理の上手い男性はもてるので、多少誇張してもいいと思う)。誠実で優しいミューズを求む」
くらいは、書いてほしいものだ。自己憐憫は、この時代今ひとつアピールしないぞ、ショーン君。まずはレコードを作って、才能で勝負だ!

待てよ。これは、ショーン君を励ましている場合ではない。
そうだ! 私の年齢は18歳以上45歳以下。IQはしばらく調べていないが、人並みだ(と思う)。かなり誠実で、けっこう優しい。乳首は2つしかない。条件にぴったりではないか。
『ニューヨーク・ポスト』に投書だ。

(『BEA-MAIL』2006年1月23日号(第297号)に掲載)


No.29 <いくら傑作でも・・・>

『リボルバー』のCDを買った。
LPでさんざん聴いたはずのアルバムだが、通して聴くのはもう10年以上ぶりであることに気がついて、びっくりした。
ロンドンに引っ越した時にレコードは持って来ず、ビートルズは自分で編集したカセットしかなかった。これを読んでいる人は、CDなどもう10年以上前に揃え終わっているだろうし、「何を今さら」と思われるかも知れないが、私は発育が遅いのだ。

それはさておき、『リボルバー』。傑作だ。
CDで聴くと音もいいし―あくまでもLPとの比較論で、早くリマスター・高音質でビートルズを聴きたい―この1週間ほど1日3回の割合で聴いている。
楽曲のバラエティと起承転結みたいなものがはっきりしていて、飽きさせない。傑作は飽きが来ないものだ。

ビートルズの普遍性というのは、本当にすごいもので、語学学校に通っていた時代にはどこの国のクラスメイトともビートルズの話で盛り上がったものだ。
先生の中には「ビートルズは嫌い」という人もあったが、それでもいい議論のネタになるのだから、大きな存在であることには違いない。

ロンドンの地下鉄でバスキング(許可制のストリート・ミュージシャン)をしている友人も、「イエスタデイ」などビートルズ・ナンバーがいちばん人々に好まれ、お金が入ると語っていた。
通勤途中、疲れているときに、生の音楽を聴くと本当に心が和む。好きな曲だとなおさらだ。ネズミが走り、公害基準を100%以上超えていそうなロンドン地下鉄を救うのは、音楽だ。

ある日のことだ。「イエスタデイ」を演奏する彼の前を、多くの人が微笑みながら通り過ぎていく。中にはハミングしている人もいる。
「数秒間の観客たち」の反応に、本人も気持ちよくなったのだろう。「じゃあ、アンコール」と、もう一度「イエスタデイ」を弾きはじめた。通り過ぎる微笑の波。5度目のアンコールを過ぎる頃には、もう悟りの境地に達していた。

気がついたら、自分の2時間の枠が過ぎていた。指はくたびれていたが、人々に幸せを届けた充実感で一杯だった。しかも、充実感に比例するコインが。
含み笑いを浮かべながら、帰り支度をする彼の前に、駅員が現れて「トホホ顔」でこう言った。
「延々聴かされる俺達の身にもなってくれよ〜。いつ次の曲が始まるかと思ってたら、終わっちゃったよ〜」

確かに。2時間ぶっ続けはファンでも辛い。ある意味気持ちのよい拷問だが、拷問は拷問だ。傑作にも飽きが来るようだ。

この友人、土門秀明氏が、悲喜こもごもの地下鉄の風景を本として出版した。
『地下鉄のギタリスト』。今日の戦争をしない理由だ。ぜひどうぞ!

(『BEA-MAIL』2006年2月13日号(第300号)に掲載)


No.30 <アイリッシュ・たまご酒>

3月17日は、アイルランドの祝日セント・パトリックス・デイだ。
ニューヨークのパレードが世界的に有名だが、ロンドンも負けじとケン・リヴィングストン市長自ら盛り上げ、大パレードが行なわれる。

私がこよなく愛するギネスも、ここが稼ぎ時と(?)、アイリッシュ・パブに限らずパブというパブで、グッズプレゼントなどのキャンペーンを行なうので、ロンドン中どこのパブへ行っても、美しい黒のパイント・グラスが輝いているのである。ああ、美しい。

アイルランドのお酒というと、ギネスやシングル・モルトのウィスキーが有名だが、カルーア・ミルクに似た甘めのベイリーズも人気が高い。

私は流行の風邪をものともせず、年末年始を過ごしたのだが、ここに来てどうも風邪にやられたらしい。
思えば、この1週間パブからごぶさた。ギネスを飲んでいない。やはりギネスが身体にいいというのは、本当だったのか・・・。
しかし、雪解け時期の冷たい風吹く中、パブからも足が遠のいてしまう。せっかくセント・パトリックス・デイも近いのに。

だが、酒好きはそんなことには負けない。そんな日は、身も心も暖まる「アイリッシュ・たまご酒」に限る。暖かい部屋で、いい音楽といい酒。風邪も吹き飛ぶというものである。

<ベイリーズ風・ミルクリキュール>
(材料)
 エバミルク・・・・・・500ml
 コンデンスミルク・・・500ml
 卵・・・・・・・・・・6個
 ウィスキー・・・・・・250ml
 ココア・・・・・・・・テーブルスプーン山盛り1杯

 (1)卵を割り、よくかき混ぜる。ざるでこして、大きなボールに入れる。
 (2)そのほかの材料を入れて、よく混ぜる。
 (3)びんにつめて、冷蔵庫で冷やす。

冷蔵庫で2〜3か月保存可能。ロックで飲んでも美味しいが、ミルクがわりにコーヒーに入れるのもまたよい。

(『BEA-MAIL』2006年3月20日号(第305号)に掲載)


No.31 <オイスター・カード>

去年秋、日本に帰ってよく訊かれたのが「ロンドンの地下鉄の初乗りが600円って本当?」という質問だった。
「ロンドン散歩クラブ」(会員募集中)を主宰する私はほとんど公共交通機関を使わない上に、あまりニュースを見ていなかったので、「そうなんですか?」と逆に質問する始末であった。
で、遅ればせながら、お答えします。確かにそうです。2006年1月から、初乗りが3ポンド=600円。

しかし、これにはからくりがあるのだ。この料金は、現金で切符を購入する際に適応するのである。
それが、「オイスター・カード」と呼ばれるスマート・カードを利用すると、初乗りは1.50ポンドと半額なのだ。バスも現金ならば、1.50ポンドのところがオイスターなら0.80ポンド。しかも、プリペイドの場合、1日乗車券の料金に達した時点でそれ以上の課金がされないという。

オイスター・カードは、3ポンドのデポジットで誰でも購入可能。プリペイド・カードもしくは定期券の役割を果たす。
何らかの理由でカードを使わなくなったときには、デポジットは返還されるうえ、購入の際に登録することによって紛失・盗難にあった場合の補償がなされるのだ。いいことづくめではないか!

おまけに、「タッチ・イン・タッチ・アウト」を合言葉に便利さと格安をうたい文句にしたオイスター・カードの制度はあっという間に浸透した。駅の改札・券売機がものすごい速さで設置されたのだ。

産業革命以来、進化を止めたと言っても過言ではないイギリス産業。10数年前にこちらに来た時に、ポールの「プレス」に出てくる旧型券売機と新型券売機が「まだ使えるから」という理由で(推
測)隣り合わせて設置されていたことは、今も忘れられない。それが今やどこへ行ってもオイスターだ。

その一方で、オイスター・カードには8週間の記録が保存される。間違って多く課金された場合(嘘のような本当の話)など、データをもとに返金されたりと便利なのだが、警察が「防犯目的」でこのデータを定期的にチェックしているという。
これがプライバシーの侵害として、現在問題になっている。夫の浮気を疑った妻が、夫のオイスター・カードのデータを調べてしっぽをつかんだというニュースもタブロイド紙に掲載された。これぞ涙の乗車券。

ところで、なぜ「オイスター」? 
ロンドン交通局・オイスター・カード課に問い合わせたところ、「それは面白い質問ですね」と3人くらい担当者を感心させた結果(要はたらい回し)、判明した理由は簡単。カードに内蔵されたチップには、外から見えない多くのデータや金銭価値があり、それを「かき貝」に例えたのだそうだ。
ポエムもいいが、「古い・汚い・危険」な地下鉄そのものをとっとと美しくして欲しいものだ。

(『BEA-MAIL』2006年3月27日(第306号)に掲載)


No.32 < Oasis on the Underground >

Oasis On The Underground
といっても、マンチェスター出身の兄弟ではない。3年前に許可制となったバスカーの話である。
しつこいようだが、「古い、汚い、危険」の3kを誇る(誇張ではない。「安全性に問題がある」と運転手がストをする地下鉄なんて、どこにある?)ロンドン地下鉄。しかも、冷房がないので夏は暑い。この2年ほどは、夏になるとエビアンがスポンサーになって、無料でミネラルウォーターまで配布していた。通勤時の不快指数は、日本のラッシュ・アワーをはるかに越えるはずだ。涙なのは乗車券だけではない! オイスター・カードよりも空調を先に導入して欲しかった!

そんなロンドン地下鉄のオアシスとも言えるのが、駅構内で演奏するバスカーの音楽だ。
オペラからクラシック、ブルースに、以前紹介した「イエスタデイ2時間」に代表されるビートルズと、100数人のバスカーが様々な音を提供してくれる。いらいらしているときに、聞き覚えのあるメロディがふと耳につくと、自然と心が和むものだ。

かつて通勤していた時代、レスター・スクエア駅でほぼ毎日ブギーを歌っていた陽気な黒人のバスカーとは、最後には挨拶を交わす仲になっていた。
大声で「おう!姉ちゃん、今日は元気かね?」と遠くから叫ばれるのには、さすがに照れくさかったが。

日本でもバスキングを導入しようと、3月はじめに東京から視察団がロンドンを訪れた。
いわゆるストリート・ミュージシャンと混同されがちなバスカーだが、もっとも大きな違いは、ストリート・ミュージシャンが「観客を集める」一方、バスカーはあくまでも「BGMを提供する」ところだ。
バスカー規約にも、「通行人の邪魔になるような行動は慎む」「人だかりができるような演奏はしない」と書いてある。

もちろん、彼らにはそれぞれのスタイルがあり、存在感充分なのだが、驚くほど当たり前に風景に溶け込んでいる。
通りすがりのリスナーを相手に「数秒間の勝負」を挑むバスキングは、ある意味究極のエンターテイメントかもしれない。

また、こちらではバスキングを生業としている人がほとんどだ。人々は「いいひと時をありがとう」と、バスカーにコインを渡す。
「サービスは無料」という日本で、地下鉄のギタリストにお金を払う人が果たしているのだろうか? もっとも、「サービスが悪ければチップは払わない」というイギリスで、バスキングのチップだけで収入を得るには、かなりのレベルが要求されるのが事実だ。

ジョン・ライドンが「床に座って昼飯食える」と称した、清潔度世界一の東京の地下鉄なら、クラシック音楽のCDを流すのも適しているのではないだろうか? 
「地下鉄落語」なんていうのも、どうだろうか(だめ?)。

「文化の輸入」は日本が得意とすることだが、文化が根付くには時間がかかる。
どのような形で導入、定着していくのか? まずは興味深く見守ることとしよう。
盟友・土門秀明氏の『地下鉄のギタリスト』好評発売中! 

(『BEA-MAIL』2006年4月10日(第308号)に掲載)


No.33 < Yoko Ono Sky Piece for Hokkaido >

古い話だが、去年秋に里帰りした。ここぞとばかりに友人・知人と会って、怒涛の酒食生活を繰り広げ、宿泊先の友人から「毎朝地獄の底から這い上がってくるようだ」と言われた。ああ、楽しかった。
しかも私の来日を記念して、オノ・ヨーコが北海道・十勝千年の森にインスタレーションを制作してくれたのも嬉しいところだった(多少誇張)。

そのインスタレーション「Sky TV for Hokkaido(北海道のためのスカイTV)」の公開が、春の訪れとともに再開した。
昭和初期に建てられた民家の中に15台のテレビが設置され、十勝の空がライブで中継されており、さらにそれぞれの部屋には「この部屋は雲と同じスピードで動いている」「部屋が青色になるまでここにいること」など、ヨーコ自筆のインストラクションが書かれている・・・と文章にしてしまうと何ということはなくなってしまうのだが、私は彼女の作品が持つ、あっけらかんとしたポジティブな空気をこよなく愛しているので、楽しんで見学することができた。

また、場所となった民家自体にも古い台所や壁紙が残っていて、文化的な意味でも興味深い。
インスタレーションは屋外にも続き、“Smile Box”を思わせる井戸をのぞくと底が鏡になっている「Cloud Piece(雲の曲)」、七夕の笹の木に影響を受けた「Wish Tree(念願の木)」などがあり、オノ・ヨーコの「グレーテスト・ヒッツ」的要素が感じられた。

オノ・ヨーコは「モダンアートの先駆者」として近年再評価が高まっている。
最近のブリット・アート作品を見ていて感じるのが、「境界線を押し広げ」ようとショック効果ばかり狙い、結果として自意識過剰で非常に幼稚な作品があふれているという点だ。
「わけわからん」という点ではオノ・ヨーコの作品もそうなのかもしれないし、「自意識過剰」が当てはまる作品があるのも事実だ。しかし、両者の大きな違いはユーモアと余裕である。
ヨーコの有名な発言に「空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか」というものがある。その言葉どおり、空を見上げると思わず微笑んでしまうような、そんな雰囲気が彼女の作品にあふれている。空を見ているといろいろなことが心に浮かんでくるように、ヨーコの作品は見ている人の想像力を喚起するとても自由な部分がある。

場所となる十勝千年の森は、とにかく広大だ。丁寧に案内してくれた支配人さんが「東京ドーム何個分」と説明してくれたのだが、いかんせん北海道人に東京ドームのサイズというのは今ひとつぴんと来ないので(私だけか?)、具体的な数字は覚えていないものの、ものすごく広い。
「千年後の未来に緑を残そう」というプロジェクトで、2000年に植樹が始まった。

敷地内にあるのは森だけではなく、牧場や遊歩道があり北海道の自然を満喫することができる。
季節が寒かったので散歩はできなかったのだが、ほおの木というレストランで支配人さん強力プッシュの「ごぼてんそば・温」を食べた。
千年の森で作られた手作りそばに、最後までてんぷらのさくさく感が味わえるスープは極上の味であった。地ビールも最高だ。
うまい酒にうまい料理、さらに素敵なアートもあるのだから、文句なしだ。
支配人さん、オノ・ヨーコさん、ありがとうございました。

「Sky TV for Hokkaido(北海道のためのスカイTV)」見学には予約が必要。
詳細は千年の森ウェブサイトにて。
http://www.tmf.jp

(『BEA-MAIL』2006年5月15日(第312号)に掲載)


No.34 <ポール・マッカートニー離婚>

ポール・マッカートニー離婚の話には、正直なところ驚いた。
今年に入ってから、夫妻で中国の毛皮輸出やカナダのアザラシの問題でドキュメンタリーを制作して、活発に共同活動をしていたので、まさかといった感があった。
また、ヘザーの性格や経歴を考えてもポールから離れないだろうと思っていたので、かなり意外であった。ポールとしては、よほど腹に据えかねるものがあったのだろう。

公式の理由が「メディアによる干渉」という、生煮えなところも今ひとつ納得できないところだ。「性格の不一致」でいいではないか。たぶんそうなのだろう。
結婚の時点で、年齢差以外に「どうみてもあのふたりは合わない」と思ったファンは多かったはずだ。
しかも、ポールはビートルズ、ウイングス地代を経て40年以上も有名人としての生活を送っている一方、ヘザーもチャリティ活動家として数多くのメディアに登場している。
結婚の失敗を今さらマスコミのせいにするのはお門違いであり、まったく説得力を持たない。単純に相性がよくなかったことに、4年かかって気がついただけだ。たぶん。

イギリスでは、一般的にポールに対する同情票が多く、公式ウェブサイトでヘザーに対する温かい言葉を送ったことに対しても「そこまでしなくても」という評価がほとんどである。
もっとも、負けず嫌いのポールとしては「金目当ての女に引っかかった」と認めたくないだけなのかもしれないが・・・。

一方で当然ながら、慰謝料が大きな焦点になっており、現時点ではヘザーが2億ポンドを受け取る権利があるとの予想もある。
24日に英国上院議会で「離婚にあたり夫婦の財産は共有とみなすべきか」という新判例が決定するため、この結果がポールの離婚に大きな影響を及ぼすことは疑いがない。
4年の結婚生活で発生した共有財産に対し、ヘザーがどこまで影響があったかというのも、興味深いところである。

来月64歳になるポール。「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」の歌詞が今となっては皮肉にしか聞こえないが、それをシャレで歌えるくらいでいてほしいものだ。MPLも先週末にソーホー・スクエアから移転した(新住所は不明)。
リンダが亡くなった時、ポールはファンクラブを解散するなど、キャリアの面で転機を計った。別離のあとの引越しは悪くない。ポールがそう思ったかはわからないが、心機一転と考えたのだろう。

ファンとしては、ついていくしかない。「オッスの仲」の私としては、ぜひギネスのパイント・グラスを傾けながら、「人生そんなこともあるよ。お互い頑張ろう」と励ましあいたいところだが、電話番号までは交換していない・・・。とりあえず、励ましのファンレターでも書くこととしよう。
そして、「オッスの仲」以上になった暁には・・・ビートルズ・ツアーで自宅前を訪れるのはやめにしよう(笑)。

(『BEA-MAIL』2006年5月22日(第313号)に掲載)


No.35 <ポール誕生日に思う>

ポール夫妻別居のニュースから約1ヵ月、ヘザー・ミルズの過去がタブロイド紙を賑わせている。
それよりも、国民の関心はイギリスのメディアの話題は離婚訴訟となった場合のヘザーが受け取る金額に向けられている。

ポール夫妻が別居した翌週、イギリスでは2件の高額所得者の離婚が大きな話題となった。5年の結婚生活の末離婚した税理士の元妻(45歳)は、3人の子どもの養育費を含め、生涯年に25万ポンドを受け取り、2年9ヶ月で離婚した投資コンサルタントの元妻(41歳)は500万ポンドの慰謝料を受け取ることが決定した。
新聞では「あくまでもこれは、桁違いの高額所得者の場合のみであり、一般人はこれほどではない」と報道していた。しかし、そうだろうか。

かつて私が下宿していた南ロンドンの家の話である。私の仲間からも「イエーのおやじ」と呼ばれ、親しまれていた陽気なアルジェリア人の大家ミシェルの口癖が「男は離婚すべきではない」であった。
イエーのおやじは、60年代にパリに移住しシェフとして働いていたが、ある日ダンスホールで出会ったイギリス女性と恋に落ち、70年代半ばにイギリスへやってきた。
まったく英語ができなかったおやじだが、「愛に言葉はいらない」と「料理はインターナショナルだ」をモットーに、北部イングランドで奥さんとレストランを経営し、地元の新聞に載るほど成功していた。

ところが、生来の女好きが災いし、数々の浮気が発覚し、離婚。家もレストランも失ってしまった。
その後再婚し、二度目の奥さんとも数軒のレストランを経営し、息子も誕生。人生大成功・・・の矢先にやはり浮気が原因で離婚。反省が全くない本人のせいといえばそうなのだが、基本的に夫婦の財産は半分、さらに子どもがいる場合は養育費の支払いと、収入にかかわらず離婚が男性にもたらす経済的ダメージは大きい。

イギリスでは、日本のように結婚によって税金などの面で有利になることが少ないので、ポールをはじめとする離婚のニュースで、ただでさえ低い結婚率がさらに下がることが予想される。
しかも、初婚では5組に2組、再婚でも10組に7組が離婚という、冗談のような離婚率だ。失敗を恐れていては何もできないとはいっても、これはあんまりだ。

ところで、「男はダンスだ」というモットーもかかげるイエーのおやじは、これまたダンスホールで3人目の奥さん(下宿時代にはお世話になった)と出会い、18年という自己最長結婚記録を更新したばかりだ。
「今度は続くといいね」という私の言葉に、おやじはこう言った。「いやな。今回は大丈夫だ。この家はもともと嫁さんのものだし、万が一離婚しても半分は俺のものだ。わっはっは」。末永くおしあわせに・・・。

ポール、誕生日おめでとう。ハッピーな1日となりますよう・・・。

(『BEA-MAIL』2006年6月12日(第316号)に掲載)


No.36 <7月7日>

ロンドンは猛暑続きで、夏まっさかりだ。そういえばこちらに来てから、空を見上げることが多くなった。
ヨーロッパに長く住んでいて、いつも見てもあきないものの一つが夏の空だ。北欧のように白夜とは行かないまでも、ロンドンの夜空も完全に暗闇にはならない。

薄く青みがかった、ベルベットのような感触の藍色の空は、ほんとうにきれいだ。ベルベットに映る北斗七星は、手が届くくらい近い。
ロンドンの日暮れは10時近く、夜が来るのがずいぶん遅い。窓から外を眺めてベルベットの闇が広がっていると心が洗われるようで、今日一日生きていてよかったと実感する。
朝が来れば、ベルベットの幕が開いて、新しい一日が始まる。

そんな美しいことばかり考えて日々生活しているわけではないが、このようなささやかな喜びに支えられて、人生は成り立っているのではないだろうか。
昨年の7月7日にロンドンの地下鉄に乗っていた人々も、そうだったはずだ。普段は疑問にすら思わない、ささやかな日常の幸せを楽しみにしていたはずだ。
会社で会う同僚のこと、帰りにパブで待ち合わせた友だちのこと、家族の食卓に並ぶ夕食のこと、大切な子どもの顔、愛しいパートナーの顔。あの日も暑かった。

ひとりの生活が長くなると、失うものはないという錯覚におちいることがある。
それは間違いだ。あの日の朝、ニュースで事件の概要がわかりはじめたとき、まっさきに心に浮かんだのは、大切な、かけがえのない友人の顔だった。
無事だろうか。大丈夫だろうか。あのとき胸から沸きあがった、アルミホイルを噛んだときのような、白い不安の味は一生忘れられない。
友人の安否がようやく確認できたとき、同じように私のことを心配しているだろう、日本に住む、大事な、やはりかけがえのない家族や友人のことを思い、電話をとった。私は大丈夫だと伝えた
かった。ささやかなしあわせは、あまりに大きい。

地下鉄に爆弾を抱えて乗った犯人が、最後に見た景色はレンガのトンネルだったはずだ。彼にとって、宗教という大義名分のほかにも大切なものがあったはずだ。
彼は空を見たのだろうか。

きれいなものをきれいと感じられることを、最近心からうれしく思う。きれいと思ったら、そう口にしよう。ベルベットの幕が開いているうちに。ベルベットのとばりが美しいうちに。

Last but not least - 昨年のテロの時には、家族や友人以外にも、BEA-MAILの読者のみなさんやビートルズ・ツアーを通じて知り合った人々からも、たくさんのメールをいただきました。
みなさんの思いに、1年遅れの、心からのお礼を。
ありがとうございました。今日もいい日になりますように。

(『BEA-MAIL』2006年7月10日(第320号)に掲載)


No.37 < Gone Fishing >

私がロンドンに来た当時通っていた語学学校は、郊外の住宅街にあり、生徒はほとんどが一般家庭にホームステイしていた。
その中で、日本人のマサキ君は珍しくフラットを借りていた。
「生徒」とは言え、18歳以上の人間としてはやはり普通の自由が必要だ。それで、1ベッドルームで広々とした彼のフラットにはよく人が集まり、みんなから「ランドロード(大家さん)」と呼ばれていた(アメリカの場合ホストファミリーのお父さんは「ホストファーザー」だが、イギリスでは「ランドロード」と言う。ホームステイでも家賃を取るためだろう)。
夜遅くまで飲み会をしたり、ニンテンドーで遊んだり、クラブ帰りに泊めてもらったりしたものだ。

マサキ君のフラットから私のホームステイ先までは、歩いて20分程度だったが、夜遅くなったときはミニキャブを利用した。いわゆる黒タクシーより安いのがよく、電話で呼ぶこともできれば、駅前などにある事務所から拾うこともできる。
いつも同じような時間に電話するからだろう。ある日、運転手のほうからきさくに話し掛けてきた。
「ここはホリデイ・フラットかい?」

彼の名前はネヴィルといい、ジャマイカ出身ということだった。めがねをかけて、少し太め。白髪交じりのネヴィルは、おだやかな話し方をする人で、どこか深いところを読むようなブラウンの瞳が印象的だった。
同じ運転手の方が安心できるということもあり、私たちは、
「こちらオークランド・ロードのホリデイ・フラットです。ネヴィルよろしく!」
と、「指名」でネヴィルを頼むようになっていた。

たった10分ほどのドライブだったが、私とネヴィルおじさんは世間話をするようになり、奥さんのパリ旅行の話や私の出身地は大雪が降るという話など、夜の締めにゆったりしながら、とりとめのない会話をするのが楽しみになった。覚えたての英語で話すのも、何となく嬉しかった。そのせいもあって、たまに街から帰る時もあえて遠回りのナイト・バスを使い、ミニキャブの事務所からネヴィルの車に乗ることもあった。

そんなある日、将来の話になった。
「で、君は勉強が終わったら、サッポロへ帰るのかね?」
まだこちらに来たばかりで若かった私は、
「ヨーロッパを旅行して、それからニューヨークへ行きたい。西へ向かっているうちにいつか日本に着くよ」
というようなことを言ったような気がする。くすりと笑って、ネヴィルは言った。
「そりゃいいな。私はな・・・ロンドンも長くなったが、いいところも悪いところも見た。友だちもいるし、住めば都と言うからね。でもゆくゆくはジャマイカへ帰るんだ」

夜更けのせいか、ちょっと飲みすぎたビールのせいか、センチメンタルになっていた私は、胸が一杯になった。
「さみしくなるね」
ネヴィルは一瞬こちらを見て、口元だけで微笑むと、そのまま前方を見て続けた。
「ジャマイカに家を買うんだ。バンガローを買って、毎日魚釣りをして暮らすんだ。孫が遊びに来たりしてな・・・楽しみだよ」

丸顔のネヴィルにはパナマ帽が似合いそうだった。
「それもいいな」
彼はにっこりと微笑んだ。
「そのときは、この車に“Gone fishing”って看板をかけて行くさ。だから君にもわかるよ」

その後、ランドロードはカレッジに通うためにロンドンの反対側に引越し、私の行動範囲も変わると、キャブを使うことが減った。
ある日、近所のパブでお客さんを迎えに来たネヴィルを見かけたが、軽く挨拶をしたきりだった。

数ヵ月後、懐かしくなって、以前のように遠回りをしてキャブの事務所へ行った。
「ネヴィルお願いします」
「ネヴィルは先月辞めたよ」

Gone fishingの看板のかかった車はなかったが、パナマ帽で釣竿を構えるネヴィルおじさんの姿が目に浮かんだ。
今頃、おじさんはジャマイカで魚を釣っているのだろうか? そうであることを心から祈る。もう10年以上も前の話だ。

(『BEA-MAIL』2006年7月31日(第323号)に掲載)


No.38 <ジョンの魂>

数ヶ月前に、ちょっとした機会があって『ジョンの魂』を歌うことになった(編注:ドイツを拠点に活動するアーティスト、キャンディス・ブライツの映像作品「ワーキング・クラス・ヒーロー(ポートレイト・オブ・ジョン・レノン)」< http://www.balticmill.com/ >)。

さて、このアルバム。あまりに暗すぎてファンとは言え、まともに聴いたことは5回くらいしかなかった。
ファンとして、ジョンの「魂」をしっかり踏まえていなかったことをかなり反省したのだが、この年齢になって聴きなおすとずいぶん共感したり、考えさせられる点が非常に多かった。後悔先に立たず、である。

このアルバムを改めて聴いて、ひとつ心にひっかかったのが、「ラヴ」の一節だった。「愛とは、愛されたいと願うこと」。そうだろうか・・・「女は愛されてこそ」などとよく言うが、それにしても不自然だ。彼は「愛したい」のでも、「愛している」のでもなく、「愛されたかった」のである。

この曲を書いた時点で、ジョンは30歳だった。「相手の存在に自分のアイデンティティを求める」という段階など、とうに乗り越えていてもよさそうなものだが、そうではなかった。
彼は本当に淋しかったのだ。

親の愛が必ずしも無償や無条件ではないことを、幼い頃に身をもって体験したジョンは、「愛されること」に不慣れなまま、成人した。
「マザー」にあるとおり、ジョンはジュリア(母)のものであったがジュリアはジョンのものではなく、アルフレッド(父)はジョンを捨てたが決してジョンはアルフレッドを捨てなかった。
そして「両親から捨てられたおかげで、俺はスターになった」(「アイ・ファウンド・アウト」)ということだ。

ということは、ジョンにとってロック・スターになること、ミュージシャンとして成功することは、代償行為だったのだろうか? 
いや、酒やドラッグは確かにそうだった。親のスキンシップから得られる、安心感や快楽という原始的な感覚を知らなかったジョンにとって、疑似体験になったことだろう。
しかし、音楽は彼にとってネガティブな感情の昇華・表現方法だったはずだ。
いわゆる「心の穴」、つまり喪失感が彼の原動力であり、そのはけ口としてロックンロールがあった。
そして何より、ジョンには大きな才能があった。

ヨーコとの出会いで、ジョンは変わったといわれる。
しかし、公私におけるパートナーであったヨーコですら、ジョンにとっては「母の代償」だった。ヨーコのことを「マザー」と呼んでいたのは有名な話だ。
ジョンにとっての「マザー」は、すべてを容認する、「無償で無条件の愛」を提示する存在だった。そして、ヨーコにはその度量があった。それでも、ジョンの希望を100%満たすことは不可
能だったはずだ。
近年のヨーコのインタビューを読んでいると、ジョンの理不尽な要求や行動には女性として理解しかねるものがずいぶんある。

もちろん、ジョンはヨーコとの出会いによって、大きな心の糧を得た。
しかし、ジョンが本当の意味で「満たされた」のは、ショーンの誕生だ。ジョンが音楽活動をやめて、ハウスハズバンドになったのは、父親になることで原始的な「愛し愛される」という感覚を得ることができたからだ。他の何をさしおいても、それを「生きよう」と感じたからだ。

「愛されたい」と願うジョンにとって、赤ん坊として無償の愛を求めるショーンの存在を目前として、初めて本当の意味で愛を「与える」ことを彼は知ったはずだ。
ここでもヨーコがステップバックし、ビジネスにかかわるという選択をできたというのも大きい。
ネガティブな感情を原動力にしてきたジョンは、穏やかなものに不慣れだった(最初の結婚が失敗に終わった原因のひとつはここにあるだろう)。
そのジョンが、ショーンの誕生を機に、満たされることに対する幸せを、素直に受け入れることができたのだ。家族を手に入れたジョンは、ようやく「ただのジョン」になったのだ。

ショーンの誕生から5年目に、ジョンはヨーコとともに復活作『ダブル・ファンタジー』を発表した。
「丸くなった」とか「気の抜けた感じのする」作品と言われることもあるが、30歳のジョンが『ジョンの魂』でトラウマを吐き出したように、40歳のジョンは自分の幸せを世界に伝えたかったのだ。
あくまでも音と言葉を表現方法とするジョンとしては、当然の流れであろう。

かっこいいところも、情けないところも含めて、人間らしいところが、ジョンの魅力だった。
66歳のジョンを見たかったし、機会があればぜひ会ってみたい人だった。
今日はブラック・ベルベットで乾杯することとしよう。

(『BEA-MAIL』2006年10月10日(第331号)に掲載)


No.39 <ひとり暮らしとお茶>

ワイト島にある、友だちの家に泊まりに行ったときのことだ。
朝、ノックの音で目が覚めると、友だちが「おはよう」とやってきて、お茶をいれてくれた。大げさだが、感激のあまり涙が出そうになった。
作家のアリソン・L・ケネディが言っていたが、「シングルは最初の5年はすごくいいけど、問題は6年目を過ぎると頭がおかしくなるってことね。自分だけのために、何かするというのは、やりが
いのないことよね。一人でいると、実はすごく自分勝手になるし」。
まさしくそのとおり。まあ、一人でいるからこそ、こんな何気ないことをありがたいと感じられるのかも知れない。

先日、友だちにお茶を出したときに「ありがとう」と言われ、ささやかにうれしくなった。
ありがとうというのは、とても気持ちのいい言葉だなあ・・・と茶を飲みながら思った。
誰か共有する空間は悪くない。一人暮らしはのんびり気楽とは言え、妙にくつろがないものでもある。

電車の中で眠くなったり、不思議と落ち着いて本を読めるのは、適度にテンポの変わるリズムとノイズのせいだ。
ある程度の騒音があったほうがリラックスできるというのは、人間の習性である。

最近また音楽を聴くようになった。
父親が音楽ファンだった影響で、子どもの頃から音楽を聴き続けていたので、「また」という言い方は正確ではないのだが、だいたい「調子が悪いなあ」と感じるときは、しばらく音楽をかけなかったということが多い。

ジャンルを問わず、音楽には人の感情に働きかける作用がある。
ほかのアート形態にはない、心の中に直接入り込んでくる力のようなものが。
以前、鬱になり、一切のことが手につかなくなったとき、「何かしなくては」という脅迫観念に駆られてしたことがキャロル・キングのDVDを観ることだった。
ぼーっと映像を眺めているうちに、「これはいいライブじゃないか」思うと同時に、砂漠に水が湧き出るように感情があふれてきた。何かを感じると言うのは、数ヶ月ぶりだった。1時間のDVDが終わる頃には、「たぶん大丈夫だ」とやる気のようなものが復活したことを覚えている。

数ヶ月前、イベントの関係で『ジョンの魂』を聴きなおしたときも、ちょうどいろいろな壁にぶつかっていて、ジョンの声に心を癒されつつ、悩みながらも前進し続けた姿に励まされた。
思えば今週はジョン・レノンの命日だ。ジョンは孤独感と闘った人だったが、それと同時にポールやヨーコをはじめ、いい仲間に恵まれていた。
私も一人暮らしだが、一人きりではない。そろそろ仲間に会いに、パブへでも出かけることとしよう。ジュークボックスにはジョンのベスト盤が入っていたはずだ。みんなでいい酒といい音楽を楽しむこととしよう。

(『BEA-MAIL』2006年12月4日(第339号)に掲載)


No.40 <ときどきジュリアン・レノンさん>

10代の頃の夢が叶った。
社会勉強をかねて働いている雑貨店に、ジュリアン・レノンが現れたのだ。
15年間のプラトニック・ラブが、「5枚目のファースト・アルバム」(「フォトグラフィック・スマイル」)といきなり老けたルックス(「ハロー」誌)でぶち壊しになったはずが、本人を目の前にすると世界はばら色、恋心再燃というものだ。

思えば、私のビートルズへの入り口はジュリアン・レノンだった。14歳の頃、「ホンダシティ」のCMで画面いっぱいに見せてくれた笑顔に、私はすっかり悩殺され(死語?)、以来寝てもさめてもジュリアンという青春時代を過ごしていたのだ。
初詣や七夕のお祈りは、「ジュリアンに会えますように」だった。
私にとってビートルズは、「ジュリアンのお父さんのいたバンド」だったのだ。

ジュリアンは、スタッフらしき2人と店に現れた。
ふと顔を上げると、ポスターやビデオで見慣れた人物がそこにいるではないか。驚きのあまり、まばたきを30回くらいしても、やはり本人である。穴の開くほど見つめ続けた顔を、見間違うはずはない。
ポール・マッカートニーと出会ったときは、無意識のうちに駆け足になっていたのが、ジュリアンにはなぜか近寄りがたかった。憧れの混じった恋心のなせる恥じらいと言うものであろうか・・・。

しかし、照れている場合ではない。勇気を振り絞って「ジュリアン・レノンですか?」と声をかけたら、「Sometimes」という答えが、あの聞きなれた声で返ってきた。
「いえいえ、そんなはずはない。長年のファンである私が言うんだから、間違いなくあなたはいつも本人です」と、余裕のイングリッシュジョークが一瞬頭に浮かんだものの、現実には心臓はばくばく、口はぱくぱくと、「セサミストリート」のキャラクター状態になっていた。

「14歳のときからずっとファンでした(ちょっと誇張)。レコードも全部持ってます(これは本当)。まさかここで会えるとは思いもよりませんでした」
と口走るのが精一杯であった。

金魚顔で呆然としていると「それは親切にありがとう」と握手してくれたのだ。
そして、よほど私が惚けた顔で立ち尽くしていたからだろう。「大丈夫?」と、精神状態を心配するような声までかけてくれた。
しどろもどろで「とにかく信じられないし、本当に感激です」というようなことを言ったような気がする。ジュリアンは「こちらこそありがとう」と頬キスにハグまでしてくれたのだ。生きていてよかった! 

しかも、
「最近この辺に引っ越したから、また会えると思うよ」
だそうだ。これは近所づきあいだ! 人生ばら色だ!

帰宅して、家族や学生時代からの友人にこのことをメールすると、「願いは叶うものだね」「思い続けたかいがあったね」などなど、私の喜びを倍増してくれる返事が次々と返ってきた。
まさにそのとおりだ。学生時代、ノートの名前を書く欄に「えつぜん‘レノン’こずえ」と書いていたのも、妄想ではなく現実になるかもしれない(いや、それ自体が妄想だ)。

夢を現実にすべく(?)、それ以来私は遠回りでジュリアンが住んでいるらしいあたりを通って通勤している。
今のところ、再会の日はまだ訪れていない。待てよ・・・私の願いは「ジュリアンに会えますように」だった・・・ということはすでに叶ってしまったのか! 

せめて「友だちになれますように」とか「ロマンチックな出会いがありますように」とか、なぜ思いつかなかったのだろう。
いやいや、14歳の自分を責めてもはじまらない。欲張りすぎもよくない。ローマへの道は一日にして成らず。夢は叶うと信じて、今日も頑張ろう。

ビーメール読者のみなさまに、暖かいクリスマスが訪れますように。2007年が夢の叶う一年となりますように! 

(『BEA-MAIL』2006年12月18日(第341号)に掲載)

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