第11話 <いつかまた、訪れる日まで>
リバプールを発つ日は、朝から雨模様でした。
昨日までの好天とはうってかわって、灰色の空から細かい雨が落ちてきます。雲が切れる気配はまったくありません。まるで
『ここにいてもしょうがないから、早く東京に帰りなよ』
と背中を押されているような雰囲気です。
気持ちは離れがたいのですが、私を送り出してくれた職場の仲間のためにも、帰らないわけにはいきません。思い出やら記念品やらを詰め込んだキャリーケースが、余計に重たく感じられました。
ご近所だというスティーヴィーの家を、遠くからでもいいから、ひと目見てみたい気がしました。
リズさんに聞いてみると、歩いて20分ほどの距離だといいます。
『でも敷地が広くて建物は見えないわよ』『また別の日にね』
と、釘を刺されてしまいました。残念。
でもまあ、20分もお散歩するのにふさわしい日ではないし、お行儀の悪いファンとも思われたくないので、忘れることにしました。
最後に、ステキな出窓のあるリビングルームと、玄関ホールを写真に撮らせてもらいました。リズさんのお好みなのか、かわいらしい陶器製の人形がそこかしこに飾られています。ダイニングにも玄関にも、いつもお花がたえることはありませんでした。
このステキなゲストハウスを1人で切り盛りしていくのは本当に大変だろうなあと、余計な心配をしてしまいました。最高に居心地のよかったこのゲストハウスとも今日でお別れ。いつまでもいたいのはヤマヤマですが、もう行かなくては…。お名残惜しかったけど、リズさんとハグしてお別れしました。いつか再びリバプールを訪れることがあったら、必ずまたここに戻って来たいし、何としてでもその機会を作らなくてはと思いました。
そうして、雨のそぼ降るなかを、重たいキャリーケースを引いて帰途につきました。駅までの道は、来た時と同じように静かです。2日間、Anfieldに通うために利用した
Blundellsands の駅とも、しばしのお別れです。この小ぢんまり感と静かな佇まいにすっかり愛着がわいてしまいました。Central へ向かうマージーレイル、いつも満員でせわしないJRにはないゆったり感が気に入っていました。
もう一度、オフィシャル・ショップに足を運んで、ひとしきり店内をひやかして回りました。平日の午前中なのに、結構お客さんが入っています。10日後には、優勝記念グッズで溢れることになるのでしょうか。
最後に、本当に重たい体をライムストリートの駅まで運びました。ガラス張りの自然採光と、壁を彩るペインティングもお気に入りでした。またまた列車の到着が遅れていて、ロンドンへ向かうお客さんたちがホームにたまっていました。
さすがに月曜日とあって、来た時ほどの賑わいはないようです。Dave さんは、今頃もう職場でしょうか。あとはいやおうなしに、列車と飛行機が私を東京まで運んでいってくれることでしょう。
ゆっくりと、Virgin Train はホームを滑り出し、見慣れた Anglican と Metropolitan の2つの大聖堂の姿が、車窓の後ろに流れていきます。
この2つのランドマークが、ものすごく懐かしいもののように思えました。
今頃、ラファは、スティーヴィーは、アロンソは…他のみんなは、どうしているのでしょう。決勝に向けて準備に余念がないのか、それともつかの間のオフを過ごしているのか。
身体はロンドンに向けて運ばれていくのに、心はリバプールにおいてけぼりになっているような、妙な感覚になりました。
この列車の窓から、初めてリバプールを目にしたとき、どこか寂しげな地方の街という印象を受けたものでした。
でも、短い滞在のうちに、この街のいろいろな面に触れて、Anfield も体験して、少しずつ印象が変わっていきました。
遠くておぼろげで、くすんでいたこの街のイメージですが、だんだんと輪郭がクリアになり、明るくイキイキした色に変わってきたような気がします。
それでもまだ私の知らない別の面が、たくさんあることでしょう。それを確かめるのは、次回のお楽しみに取っておきたいと思います。次がそう遠くない将来であることを願って。
弾けそうな期待とかすかな不安をかかえて始まった私の旅は、こうしてつつがなく終わりました。
この国に降りたった日に比べれば、ほんのわずかですが、言葉にも慣れ、人々の対応に戸惑うことも少なくなり、愛着すら感じるようになっていました。もう少し時間があれば、もっと色々出来たかも…とも思ったのですが、惜しいぐらいが潮時なのでしょう。いつかまた訪れるときには、もう少し肩の力をぬいて、旅そのものを楽しめるといいなあ…と思っています。
さて、私のつたない旅行記に、ここまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
このエッセイは、イギリス旅行のノウハウや、詳しい観戦レポートを意図したものではなく、海外旅行も試合観戦にも慣れない私が、初めてのリバプールと
Anfield で見聞したこと、感じたこと、考えたことを綴ったものです。
まだ戦術的な見方ができないので、最終戦の部分は表面的な記述にとどまってしまいました。物足りなく感じられた方もおられると思いますが、あくまで初心者の印象記ですので、その辺ご了承ください。
それにしても、ウッカリやお間抜けが多く、もう少し何とかならなかったのかと、後悔したことも多々あります。スタジアムツアーを逃したことと、ビラ戦のメンバーを控え忘れたことは、その最たる例です。かえすがえすも残念。
それでも私なりに色々チャレンジをして、いくつかの忘れがたい出会いも経験しました。何よりもあの Anfield に足を踏み入れて、あの場の空気とひとつになる経験は、なにものにも代えがたいものでした。
そんなかけがえのない旅に、私を快く送り出してくれた職場の仲間たちには、心から感謝しています。
そして、あの時間をもう一度振り返る機会を提供してくださり、ときに冷静な読者として、ときには立場を同じくするファンとして、的確なアドバイスと温かい励ましをくださったKazさんにも、厚く感謝しております。
最終戦から10日後、レッズはイスタンブールでミランを相手に奇跡の逆転劇を演じ、みごとヨーロッパ・チャンピオンに輝きました。
ビッグイヤーを掲げ、喜びを爆発させるイレブンの表情や、勝利に沸くリバプールの熱狂ぶりは、まだ記憶に新しいところだと思います。
その興奮も冷めやらぬうちに、彼らの新シーズンは始まっています。
予備予選の順調な勝ち上がりとともに、私の早朝覚醒の日々も戻ってきました。チャンピオンズ・リーグの試合の朝は、必ずキックオフ前に目が覚めてしまうから不思議です。レッズのスケジュールに合わせているうちに、そういう体質になってしまったのかも知れません(笑)。
そう、私が “early bird” でいられるのは、レッズのお蔭でもあるのです。
とりわけ今シーズンは長く厳しい闘いになりそうですが、彼らが果たしてどこまで勝ち抜いていけるのか、幾つタイトルを獲ることができるのか、そして Anfield
は新たな栄光の歴史の始まりとともに使命を終えることになるのか、しっかり見届けたいと思っています。
(リバプールに、Anfield に行ってみたい、でも自信がない、どうしよう…)
と迷っている方には、ぜひ一度チャレンジしてみることをお勧めします。
いま、この時にしか出来ないこともあるのです。Anfield を体験できるのも、あと2シーズン限りです。そして、ヨーロッパの頂点に立ったレッズは、新戦力を迎え、さらなる高みを目指して成長しつつあります。
現地に赴けば、私が行ったときとはまた違う熱気や期待感、タイトル・ホルダーの誇りを賭けた闘いぶりを目の当たりにできるかも知れません。
東京から見た Anfield は、遠い憧れの地、映像のなかだけのイメージでした。今回、実際に足を運んでみることで、現実の遠さを知るとともに、この街の日常に溶け込んだ、身近な姿も見ることができました。
私にとっての Anfield は、遠いけれども身近な存在です。でも、あなたにとっての Anfield は、また違うと思います。イメージではない、ほんものの
Anfield とリバプールの姿を、ぜひあなた自身の目で、確かめてみてください。
いつかまた私も、遠くて近い Anfield への道を、もう一度たどり始めると思います。
ひとまず、終わり。
(「遠くて近い Anfield / earlybird 」:おわり)
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