第8話 <もう一度、ビートルズと向き合う>
その後、階下のショップでグッズを見て回り、ユニフォームと LFC Magazine を購入しました。
ユニフォームのネーム&ナンバーは誰かって? …それはですね、私にとって一番思い入れの深い選手です。来季はもっと爆発してくれるといいな…という期待をこめて入れてもらいました。
明日の試合に臨む準備ができたところで、スタジアムを後にしました。
まだ時間はたっぷりあります。クイーン・スクウェアまで戻って、図書館や博物館、ウォーカー美術館が立ち並ぶあたりを、ゆっくり回ってみることにしました。
空の青さも新緑も、目にしみいるよう。寒くも暑くもない、おだやかな陽気です。芝生の上でくつろいだり、寝転んだりして、日光浴を楽しむ人々。ゆったりした午後の時間が流れていきます。私もベンチに腰を下ろして、思い思いに過ごす人たちの様子をしばし眺めていました。
今頃職場のみんなはどうしているやら…。
普段の土曜日は休めないばかりか、いつもあわただしく過ぎてしまうだけに、仕事のことを考えなくてもいい、何をやっても自由な時間というのが、ことのほかありがたく感じられるのでした。
しかしイギリスなのに(?)、こんなに快晴でいいんでしょうか。日焼けが気になりはじめたので、ウォーカー美術館に入ってみることにしました。
グランドフロアの右手の一角に、イギリスの生活スタイルの変遷に関する展示があって、これがなかなか面白かった。例えば18世紀、19世紀、20世紀と時代を経て、生活様式がどう変遷してきたかを、服装や生活雑貨や食器などの実物と、再現ビデオで見られるようになっているんです。この国の昔の人がどんなものを着て、どんな食器を使って、どんな食事をしていたのか、21世紀の日本人の目には結構新鮮に映りました。
期待していた絵画のコレクションは、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)に比べて規模が小さいのと、閉鎖中の部屋が多くて、少し残念でした。ナショナル・ギャラリーよりも英国出身の画家の展示が多かったようです。
幾つか印象に残ったのは、芝居の一場面を描いた肖像画で(リチャード3世とレ・ミゼラブル)、心のひだを写しとったような描写が印象的でした。
世間の喧騒をしばし忘れて、いつもと違う時間にひたれる美術館は、私の大好きな場所です。
もしかして、絵を見るのが好きというアロンソも、ここでゆっくり過ごすことがあるのでしょうか…。
館内のカフェも、自然採光のもとで展示を見ながらひと息いれられるので、なかなか居心地のいい空間でした。
まだ午後の時間はたっぷり残っています。本日3つめの目的地、アルバード・ドックのビートルズ・ストーリーに向かいました。ビートルズの4人の出会いから下積み時代、大ブレイクを経て解散に至るまでの歴史を辿れるミュージアムです。ここでは、各自に渡される音声ガイドに従って、自分のペースで展示を観られるようになっています。生身のガイドさんと違って、何度も繰り返し聴けるのはありがたかった(苦笑)。
入り口を通ると、左手のウインドウにいきなりジョージ愛用のギターが登場! ここで一気に、ビートルズがアイドルだった中学生の頃の感覚が蘇ります。当時読んだビートルズの伝記を思い出しながら、展示をたどっていきます。
エネルギーに溢れていたハンブルグ時代、キャバーン・クラブでのライブ、ブライアンに見出され、成功の階段を駆け上る4人、アメリカ進出の大成功、これまでのポピュラー音楽が踏み入れたことのない領域へのチャレンジ、ブライアンの早すぎる死。4人はやがて別々の方向へ…。
ジョンが着用したミリタリー・ジャケットや『 All You Need Is Love 』の直筆の歌詞には思わず目が釘付けになってしまいました。
彼が身にまとったもの、記したものは確かに残っているのに、彼自身はもういない…。
4人はついに決別のときを迎え、新たな道を歩み始めます。この辺りまではよかったのですが、展示が終りに近づき、ジョンのメガネと白いピアノを目のあたりにして、こらえきれなくなりました。彼にもっと時間があたえられていたら、見たいこと、表現したいことがたくさんあっただろうに…なんて思ってしまったから、もうダメです。人前なのにマズイ、と思ったけど、こみあげてくる感情をおさえられません…。
他にも、ピアノの前で立ち尽くしている人が何人かいました。誰もが、ビートルズに寄せてきた思いを、かみしめているように見えました。
私がビートルズを知ったとき、彼らは既に解散していました。再結成の可能性はほとんどなく、それぞれが精力的にソロ活動を展開していました。
そんな矢先、ジョンの射殺という悲報が飛び込んできました。例え家族や友人ではなくても、自分の愛するものが暴力によって失われるというのは、あまりに理不尽なことに思えました。
立ち直るのに相当時間がかかりましたが、3人の存在と未来への期待が、喪失感を埋めてくれたような気がします。それから10数年が過ぎ、今度は大好きだったジョージが病に倒れ、帰らぬ人になりました。このときには、いずれそういうこともあるだろうと覚悟をしていました。それでも、大きな穴が開いた感じはなかなか埋められませんでした。
その後の私は、ビートルズから距離を置き、日常生活の忙しさに埋没することで、彼らの不在と直面することを避けていたように思います。でも、この時ばかりは、彼らが4人ではなくなってしまった、もう二度とジョンとジョージに会うことはできない、その事実を、もう一度つきつけられた感じでした。
ピアノの部屋でグシャグシャになってしまいましたが、閉館の時間が現実に引き戻してくれました。
6時というのに、外はまだ明るい日差しにみちています。川べりまで歩いて、ベンチに腰をおろし、キラキラ光る川面を眺めながらひと息つきました。
思えば不思議なもので、ビートルズとは暫く遠ざかっていたのに、全然違う流れから、レッズが私をここへ導いてくれたのでした。時がひとめぐりして、新しいものとの出会いが、かつて愛したものと、もう一度引き合わせてくれたようなものです。
彼らはこの街に確かな足跡を残して、世界に飛び立っていった。
そして、永遠に語り継がれる存在となった。
はるか遠い異国に住む1人の中学生にも、少なからず影響を与えてくれた。
けれども、もう元のビートルズは存在しない。
ジョンとジョージには、もう永遠に会えない。
それも現実。
今日あらためて、彼らの不在の大きさを実感しましたが、彼らがかけがえのない存在であることにかわりはありません。
そして、レッズを好きにならなければ、リバプールまで来て、もういちど彼らの不在と向き合うこともなかったでしょう。
新しいものとの出会いがあるから、別れとも向き合える。別れは、また新しいものとの出会いを連れてくる。そんな不思議な繋がりを感じさせられたのでした。
ようやく陽が傾きかけて、のんびりできた土曜の午後も、終わりに近づいてきました。
お腹も空いてきたことだし、チャイナ・タウンで気のきいたお店でも探してみることにしましょう。
(つづく)
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